〜授業こぼれ話〜

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‖‖‖お祝いしよう‖‖‖

 授業後バス停に向かうと、クラスメイトのロシア人・ラダが、花束を抱えてやって来た。バス停の近くに花屋が固まっているのだ。
 びっくりして「どうしたの?」って訊いたら、嬉しそうに「祭日なの」と言う。「何の?」と訊くと「うーん、普通には、humanの日」と、少し考えてから答えてくれた。「それってロシアの?」「そう」。
 私はちょっと感心して、「へえ、じゃあ、よい祭日をね!」と言って別れた。

 自分の国の祭日はしっかりお祝いするらしい。日本人はそんなことしてないけどなぁ。そういえば、アメリカ国籍の日本人が「今日はアメリカの祭日だからお休み」と言って休んでたなぁ、と思う。
 日本では、大学の教授がエジプト人の先生が休んだときに「日本の祭日は休みなのに、イスラムの祭日に大学を休んでいたら、いつ授業をするんだ!」と怒っていたけど、それってやっぱり日本人の感覚なんだろうなぁ。

 仕事が主じゃないってこと、遠く離れていても祖国を思うっていうこと。

 先日、節分の豆まきを日本語補習校でしたが、違和感があったけど楽しかった。去年は、ひな祭りの日にちらし寿司を作った。食べることだけはしっかりしているのだ。
 けど、敬老の日だとか、文化の日だとか、今の生活に関係ない物は忘れていく。今日が日本で何の日だったかなんて、あまり気にしなくなっている。が、その代わり、イスラムの祭日に振り回されている。どこにも適応力があると言えば聞こえはいいけど、ちょっと寂しいかもしれない。

 花束を抱えて嬉しそうだったラダの姿を思い出す。彼女はあの花を、一体どこへ持っていったのだろう。きっとそこでも、ロシアの祭日が祝われているに違いない。

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‖‖‖アラ→仏辞書‖‖‖

 私はフランス語の授業に、辞書をいっぱい持っていく。和仏・仏和は当然のこと、仏英・英仏、そして仏アラだ。アラ仏が一緒になったのを買おうとして間違って買ってしまったので、アラ仏は持っていない。

 ところで、クラスのみんなはあまり辞書を持ってきていない。だもので、持っている人の辞書があちこち飛びくことになる。仏アラは私が持っているので問題ないのだが、記述問題をしているときに、仏語の単語が知りたくなったらどうするか。

 まず、私の隣の席のアミラまで話が回ってくる。それをアミラが、古典アラビア語で私に伝える。私は自分の頭の中をひっくり返して、当てはまる単語を探しだす。もしくはアミラが、私が分かるまで延々説明する。で、そのあと、私が和仏を引き、出てきた単語を仏アラで引いて、アミラに確認してもらう・・・。
 という、かなり面倒なことをしている。

 辞書くらい持ってきたらいいのに・・と思うのに、やっぱり高いのかなぁ??

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