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日帰り旅行〜エル・ジェム〜


1999年11月13日

 眠すぎてだめーぇ。8時から10時の授業中、半分死んでたよぉ。10時の休憩にカフェしないと、起きてくれない(泣)。ので、今日からもう少し早く寝ることにする! 授業時間が勿体ないもの!
 3時にAちゃんと待ち合わせして映画を見に行くつもりだったのだけど、終わってしまったのかやってなかった。ので、メディナまでカセットテープを買いに行った。仏語のテープが欲しくて、セリーヌ・ディオンを買った。実は聴いたことなかったんだけど、いいなぁ。調子の悪かったテレコも最後まで動いてくれたし、いい感じ。

出発

11/13、私は友達3人と連れだってエル・ジェムとスーサに出かけた。これはその記録である。

 朝5時に起き、家を5時45分に出た。まだ辺りは真っ暗でセーターの上にジャンパーを着ていても身震いするほどの寒さだ。通りに出たが、車は一台も走っていない。もう少し大きな通りに出てタクシーを捕まえるしかあるまいと思い、バス停を過ぎて歩き出すと、後ろからバスが追い抜いていった。さすがにアラブの国、どんなに真っ暗でも夜明け前のアザーン(祈りの呼びかけ)が鳴れば、もう動くってことだ。
 大通りに出たところで、バスが向こうからやって来ているのを見つけた。後ろには一台のタクシー。それ以外に車はない。しかしバス停はまだ遠い。私がバス停に着く頃には過ぎてしまっているだろう。私はバスの番号を見極めようと目を凝らした・・・と、バスがちかちかっとこちらに合図を送ったのが見えた。おおっ? 青信号で動き出したバスは、見事に私の目の前に停まる。しかも、ナイス! 進行方向のバスだ。

 中心部に出るとバスもタクシーも多くなった。私はバスを降りたが、まだそこから鉄道駅まで歩くには遠かった。時間がない。タクシーを拾って、お願いした。「急いでるの、バルセロナ駅まで行って頂戴!」勿論、方言で言った。古典語なんか使うより、仏語なんか使うより、こういうときは役に立つ。彼は快く、駅までの道を走ってくれた。途中、「お前、ハイ・ズフールに住んでないか?」と訊かれて、おかしくなった。確かに去年、ハイ・ズフールに日本人の友達が住んでいたからだ。「それは私じゃない。友達だよ。けど、彼女はもう日本へ帰ったよ」と言うと、「そうか。お前じゃないのか。彼女もよくテュニ語を喋ったよ」としみじみ言われてしまった。知らない人から友達の話を聞くというのも、なんか面白いものだ。

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列車

 無事に待ち合わせを果たしチケットを購入した我々は、早速車両に乗り込んだ。暗かったので、電車の写真を撮るのを忘れていた。車内は撮ったんだけどな。
 列車が動き始める頃、空の方も白々としてきた。そうなったら、ジャンパーが暑くて仕方ない。私は早速それを脱いだ。

 流れる景色は見慣れたものだ。見渡せど見渡せどオリーブ畑。そうでなければ、まだ実を付けたサボテンの群。ぽこぽこの羊。たぶん、エル・ジェムまでなら、この景色にもそう変化はないだろう。
 ふっと窓の外に目を遣ったとき、一件の民家から民族衣装を着た女の人が、誰かを追って飛び出してきた。列車が進み、私の目に、彼女の前を行く女性の姿が映る。その人は必死の形相で鎌を持ち、「おのれ、どこ行った?」とでも言わんばかりに、首を振って何かを探している。そして列車が進み、彼女からわずかに離れたところ、サボテンの群の横を、のんきにココココと歩く雄鶏を見つけた。何やら微笑ましい光景である。非常にのどかな風景だ。テュニスではあり得ない光景に、思わず吹き出した。

 車内販売が何回か来た。5時などに食べた朝食で昼まで保つ筈もないので、デニッシュを買った。1つ500ミリーム。安いカフェで350ミリーム、安いパン屋で200ミリームほどの品だ。いまいちおいしくなかった。しかも、それよりは高いだろうと思われたミルフィーユと同じ値段だった。なぜ?!

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到着

コロッセオが見える

 4時間も揺られて、ようやく目的地に着いた。車内放送はなかったが、エル・ジェムの目印はローマのコロッセオだ。どんなに遠くからでも、あの大きな建築物は目に留まる。それが目に入ったから、駅を降りた。
 目的地は駅から歩いてすぐだ。写真を撮ろうと思ったけど、あの大きさはなかなか収まってくれない。半端なものしか撮れなかった。

 チケット売場近くまで来ると、現地人がうるさい。
 英語で「コカはいらない? うちのカフェへおいでよ」と言ったかと思えば、変な日本語で「コニチワ」とか言う。それだけならまだしも、「You know シュクラン?」とか訊いてくる。シュクランとは、正則アラビア語で「ありがとう」を意味する。ありがとうって言ってほしいんかい! こっちは何も感謝してへんぞ! ムカついたから帰りに思わず「ビスラマ!」(さいなら)って方言使ってしまった。ああ、失敗失敗。無視すれば良かったのに。

 チケット売場で、ブルギバスクールの学生証を見せる。そうすると「マルハバン ビクム」と正則アラビア語で歓迎の言葉を堅っ苦しく言われた。それだけでフリーパスだ。

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内部

 中は広い。入り口の階段を上ると、目の前に壁が登場する。頭の中は「???」だらけだ。一体どういう造りになっているのやら、全く分からない。ここはそもそも「入り口」だったのだろうか?

 壁と壁の間をすり抜けて、階段を無視し、最初に真ん中の広間に出た。そこは何とも不思議な空間で、真ん中に横に長く穴が空いている。その上下にもまた四角い穴が小さく空いている。コロッセオの真ん中にある穴。これは果たして何なのだろう? ここの闘技場では、実際どういうことが行われていたんだろう? 奴隷や猛獣との戦い? どうやって?
 大きな穴を覗いてみた。どうも地下に通路があるらしく、それは結構大きかった。どこから降りれるんだろう??

中から見る

 ぐるりぐるりと周囲を回って、小さく暗い入り口を見つけた。地下への階段だ。中からは家畜の粗相の臭いが漂ってくる。この地下で動物が飼われていたんだろう。これはいつの時代の臭いなんだろう? 真っ暗な階段を手探りで降りながら、そんなことを考えた。
 地下は通路というものではなく、ちゃんと地下階が存在していた。奴隷でも閉じこめていたのだろうか、個室らしきものが一応あった。部屋をどうやって仕切っていたのかは、よく分からなかった。杭の後は少なかった。部屋の中に、妙な形の石の塊があったが、それも何物か不明。椅子なのか?

 地下は面白かった。迷路のようだ。どこに何があるのかさっぱり分からない。正面から見て右手は、真っ暗な行き止まり。その対照に、正面から見て右は、ちゃんと明かりを取り込むところがあり、出ようと思えばそこから外へ出ることもできた。この左右対称は一体何?

 外へ出た。コロッセオの一番上まで上ってみるのだ。階段は結構急で、しかもどこに階段があるのかイマイチ分からない。それに、こんなに階を作っても、一体どこでどうやって観賞することが出来たのかさっぱり分からない。
 このコロッセオ、入り口の正面には分かりやすい階段式の座席があり、どうも一般人向けという感じがした。だから、この入り口側のこみ入った造りの方は、きっとボックス席で、金持ち連中が使ったに違いないのだ。なのに、どこがどういう造りなのか、どうやったら外が見れるのか、全く分からない。謎だ。  とにかく一番上まで来た。眺めは最高だ。そして、エル・ジェムという町がほんとにちっぽけなのがよく分かる。天気は凄く良くて、久々に夏が戻ってきた感じだった。セーターが凄く暑苦しくてたまらない。けれど、コロッセオの最上階は、さすがに風の通りが良くて、とても気持ちよかった。

 コロッセオの壁にやたらと楔形の穴があった。もしくは、ごつい不格好な四角い穴だ。楔形の方は全部同じ形で同じ大きさだったから、同じ目的のための物なんだろうけど、私たちには分からなかった。大理石をはめ込んでいたのだとしても、こんな楔形にはしないような気もするし、こんな大きな四角は必要ない。

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ルアージュ

 という訳で、我々はさっさと次の目的地へ行くことにした。レストランも一つしか見当たらないし、スーサの方がいいだろう。  ルアージュ乗り場まで行く。駅前にあるので、どちらにしろ近い。ルアージュは、町と町を結ぶ乗り合いタクシーのことで、人が集まればすぐにも出発する。電車と違って決まった時間はないし、値段はバスなどより高いが飛ばすので速い。
「テュニス、テュニス、テュニス」と言い続けるおじさんに、「スーサ」と一言声を掛けた。そしたらあっちだと言われた。「テュニスか」「違う、スーサだ」確認しながら、車に乗り込む。それは5人乗りだったので、あと一人はすぐ現れ、私たちはすぐに出発することができた。

 車の中で運ちゃんは、もう一人のテュニ人と延々話をしている。最初はオリーブがどうとか、そのあと客の方が、どこへ行くには何時くらいが・・とかいう情報を訊いた。
 私に分かるのは断片だけで、知ってる話もあったし、理解できないこともあった。どうせ彼らは、私らが理解できるとは思ってないから、ぼーっと聞くだけ聞いていた。ときどき吹き出しそうになるのを堪えながら。
 スーサを前にして、いきなり車が停まった。運ちゃんにつぶやきによれば、メトロが動かないので渋滞になってるらしい。運ちゃんは諦めて一旦エンジンを切った。
 その間に客が5DT札を運ちゃんに握らせた。運ちゃんはどうも我々をボろうと思ってるのか、私たちに見せないように、釣りを探してポケットをかき回しだした。某ガイドブックによれば、エル・ジェムからスーサまでは3.5DTだった。私は運ちゃんが客にお釣りを渡すのを見たが、2枚あっただけで、それが1.5なのか2なのか確認できなかった。だから、「一人いくらなの? 3? それとも?」と方言で訊いた。最初、その「ひとりいくら(ひとついくら)」という表現が別の意味に取られたらしく、分かってくれなかったが、繰り返すと「ああ、お金のことか。3だ、3ディナール」と言ってくれた。なんだ、あのガイドブック書いた人たち、やっぱボられてるやん。その後、運ちゃんはやたら愛想が良くなり、私たちは安心してお金を払って、それぞれにさよならを言って降りた。

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