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テュニジア日記


1999年12月31日(アインドラハムへ)

 昨日の晩からY2K対応のプログラムダウンロードしてて終わらず、結局寝てない。4時頃布団に入ったけど寝ずに5時頃起きる。
 支度して5時50分頃出かけ、6時頃バス停前でタクシーを拾う。7時からバスに乗り10:40頃アインドラハム着。さむいっ、まるで日本の冬っ。暖冬のせいでテュニスはぬくいから、この寒さを忘れてたよ。手がかじかむなんて。マルセイユもニースもそれほど寒くなかったし。自分の吐く息吐く息が全て白いのに違和感を覚える。

 すぐ近くのペンションLes pins(もみの木)に泊まる。客がいないらしく3つも部屋を見せてくれた。二人で35DT(冬季)。バス付きの部屋にしたが、セントラルヒーティングが使えなくて、ガスのストーブを持ってきてもらう(ガスボンベ丸ごとよ)。
 昼を手持ちで済ませ(やっぱ、どこも閉まってる)夕食探しと観光(見物?)。やっぱり雪は積もったりしてなくて、けど解けかけの氷はあちこちで見た。コルク林の中を歩いて、久々の緑に心を和ませる。土産物屋を見る。籠とか可愛いけど持って帰れない。テュニスであまり見ない菓子を買う。
 宿に戻ってストーブを付けてもらったら(マッチで点火)、途中でガスが切れた。受付の人が交替してて、新しい人がガスボンベを持ってきてくれた。けどそのあと、でかい電気ストーブを運んできてくれた。凄くぬくい。なんかやたらとサービスがいいの。客がいないからなぁ。最初の受付のおねーちゃんは「夜もレストラン開いてないから、どっかでなんか買ってきて食べてね」と冷たいことを言ってたけど、今度のにーちゃんは、近くは開いてると言う。ああ、あったかいご飯が食べられる・・・!
 雪が何度が降っては止み、降っては止み。今夜中降って少しくらい雪景色見せてくれないかな。煙突付きの赤い屋根、あれに雪が積もったらさぞかし綺麗だろうに。

 4時になると眠気は絶頂。4時45分頃コーランのテープ(拍手入り)がモスクから流れ出し、それを聞きながらウトウト・・・。5時18分にマグリブ(日没)のアザーン(祈りの合図)。その最中に、爆竹のような音がパンパンを鳴り、びっくして飛び起きちゃった。モスクを見ると、煙がぽわぽわと昇ってた。アザーンが終わると、辺りはほんとに静寂に包まれ、一度車がぶーと走っていったあとは(多分、アザーンを言った人では?)何の音もしなくなった。そして、モスクのミナレット(尖塔)の先にネオンが付く。なんか妙だ。
 しばらくぼーっとしてからレストラン探しに出かける。冷たい雨が降ってた。寒かったからショルバ(スープ)とケブダ(レバー)を頼む。けど、日頃ライラの辛さ控えめショルバに慣れてる私には、そのショルバは辛かった・・。ケブダは久々で、おいしく食べれた。
 ぬるめのシャワーを浴びて(蛍光灯の下で自分の肌荒れを再確認・・、ひどすぎぃ)から一眠り、目覚ましで11:58に起きて年明けを迎える・・・(つづく)

1999年12月30日

 掃除掃除掃除。カビが取れないけど、とりあえず掃除っ。

 4時頃、明日の旅行に入用なものを買いに出た。田舎へ行くからお昼にレストランが開いてない可能性もあるので、非常食を持って行かねばならないのだ。で、ついでにパンを買おうとパン屋を振り返ったら、凄い行列が出来ていた。入り口も中も狭いから外へ流れ出るしかないんだけど、でも珍しい。さすが、ラマダーン中はみんなの食事時間が一緒だからこういうことになるわけだねー。
 今日はライラが5時にやってきた。明日はいないって言わないといけなかったから、来ないんじゃないかとドキドキしちゃったよ。旅行へ行くとか言ったら、また日本人は金持ちだからとか思われてもヤなので、「年末だから友達んちでパーティするんだ」と言っておいた。が、しまった。明後日も晩御飯時に帰って来れないかも知れないのに・・・。まぁ、なんとかなるか。

1999年12月29日

 布団の中が気持ちよくて起きられないー。11時頃ようやく起き出して、冷凍してあったお好み焼きを食べる。ふと思いついて、マルセイユで買ってきたアイオリ(ニンニク・マヨネーズ)をソースと一緒に塗ってみる。美味なるかな。
 大家のところへ土産を持って行ったら、グライバとファンタを出された。皆さんの前で食すですか、恐縮です・・。しかも主人のヌールは風邪で寝込んでた。フェディ坊やは1週間見ない間に頬の辺りがぷくっとした感じ。かわいいんだけども、うーん・・。聞けば、私がいない間も食事時になると「これはカー(私のこと)の!」と言い張ってたらしい。フェディ、私が食べてるとやっぱり欲しくなるらしくて、哺乳壜に薄めたファンタを入れてもらって飲んだのはいいけど、ねだったグライバは食べずに握りつぶしてしまった。グライバはちょっと力を入れただけで崩れてしまうような柔らかいお菓子だから、子供としたらぐしゃってやるのが快感なのね。だから気持ちは分かるんだけど、3つも4つもするのはやめて、勿体ないよぉ。

 31日に出かけるので、バスの時間を確認しに出かけた。いつも乗らないバスに乗り込んで行き先を告げると、なんと650ミリームもした。帰りは近いところを告げて安く帰ろうと思い、ちょうど中間地点を告げたら、フランス語で「パストゥールか、うーん、650だな」と言われた。その言い種はどう考えてもボってる。けど、こっちもズルしようと思ってたわけだから文句も言えず、規定通り払って帰ってきた。けどさ、行きのときにボられてた可能性もあるんだけど・・。
 で、隣のライラに約束したとおり、ちゃんと食事時には家に帰ってきて、今日は3皿ももらった。ブリックとカンムニーヤと、初めて食べるブリードゥってスープ。ライラが言うには「つまり、野菜のスープよ」ってことなんだけど、だしはしっかり羊で取ってあり、色はジャガイモで白っぽくなってて全然辛くなかった。こういうものもあるんだと、なんか妙に納得した。カンムニーヤはぶつ切りの羊肉の煮込み。ライラのカンムニーヤを食べたら「味付けはこうするもの」っていう私の定説が崩れたので、それ以上解説できない・・。

1999年12月28日

 11時頃目が覚めたのはいいけど起きる気になれず、そのまま3時頃までうだうだと横になってた。ら、父から電話。昨日、手首が痛いーHELPー!とメールしたので、かけてくれたらしい。で、体操を4通りほど教わって(父はカイロプラクター)から、昨日より動くので、シャワーを浴びる。きもちいー。
 そのあとで体操をして、フランスで買ってきたシティハンターを読む。漫画だと妙な単語が増えて面白い。今日はゴキブリという単語を覚えた・・。うぬぬ。
 明日こそ隣に土産を持って行かなくては・・・。

1999年12月27日

 飛行機に乗ってマルセイユを発つ。手首を動かすと痛いものだから、うまく機内食が食べれない。そう、2時5分発だというのに、軽食っていうか、朝食程度の食事が出るんだもん。さっき食べたとこなんだよー。おかげでちょっと気持ち悪くなった。
 テュニス・カルタージュ空港へ着く。パスポートコントロールで、またもや「滞在証は?」とか訊かれる。「だから、レジデンス持ってないって。見てよ、切れてるでしょ」・・・通じない。「なにがNonなんだ? ほら、出しなさい」見たら分かるでしょーっ、入れないつもりか、このばかーっ。私もフランス帰りでテュニジア方言なんか使いたくないものだから、NonNonを繰り返し、あーもうっと、方言使おうと思ったら、おっちゃんの方がどうでもよくなったらしく、「Bon」ってはんこ押して通してくれた。なんやねん!

 なかなか出てこなかった荷物を持って(右手首痛かったから預けた)、早く帰りたいーと思いながら外へ出る。で、いつものようにタクシー乗り場へ行き、地名を告げると、「一人か、一人ならバスで行け」とか言われる。近くて、メーター動かしたら1DTちょっとしか儲けられないからだ。そしたら、別のとこから、乗せてやるって声。けど乗ったらメーター動かしてくれない。なんで?って言ったら「3DTだ。お前鞄もってるだろ」「なにいってんのよ、普通は1DTくらいでしょ」「降りるなら降りろ」・・・。はっきし言って、疲れてんのに!とムカつきまくり、私は「お前らテュニジア人かって訊いてやりゃよかった。そしたら、テュニジア人ならもっと親切で優しい!って断言してやったのに!」とぶつくさ言いながら、自分宅めがけて歩き出す。途中でタクシー拾えるだろうと思ったのだ。けど、下手したら余計に近くなって乗せてくれないかも・・。
 そろそろ空タク通らないかなーと思ってたら、目の前で普通車が停まった。手招きされたんで、知り合いかなーと思って(目が悪いから)近づいてくと、知らないおっちゃんだった。最初、どこ行くんだとフランス語で訊かれ、そのあと英語、テュニ語で言われた。地名をフランス語で言うと、「どこだ? 教えてくれたら乗せてってやるよ」というお言葉。なんで知らないの?と思ったから「あんたテュニジア人?」と方言で訊き返すと「そうだけど、この辺は詳しくない」と言う。ちょっと迷ったけど、全然悪い気がしなかったので(直感で生きてる私・・)「ありがとー」と乗せてもらう。こういうテュニジア人は全然平気だ。英語だけで言ってくる奴は信用しないけど。訊けば彼はテュニスエアのメカニックとかで、もうすぐ食事時だから一旦家に帰るところだったらしい。ゆっくり車走らせる間お喋りして、近くで降ろしてもらった。うん、やっぱりテュニジア人は親切で優しいんだよ、と思った。

 家に帰ってカビが増えてるからなんとかしようと思い、お湯を沸かそうと思ったらガスが出ない。さては、大家、元栓切ったな。うーむ、けどこの時間に言いに行くと、ご飯前だから「食え」とか言われそうで、時間をずらすことにした。

1999年12月21日→12月26日

 →南仏旅行へ

1999年12月20日

 朝5時に起きて支度してると、雨が降ってきた。暗いのにタクシー捕まるかなと思いながら、傘を差して6時に家を出る。大通りまで歩いたところで、手を挙げたら、停まってくれたタクシーには既に先客が。けど、お客さんがすぐそこで降りるってんで乗せてくれて、料金も空港行き道路の入り口からメーター動かしてくれた。ラッキー。
 パスポートコントロールで、またレジデンスがどう、印紙がどう、とうるさく言われて焦る。もう期限切れてるってば!って主張してなんとか通る。  空港内で日本人のおばさんと会う。日本から猫を連れて旅しているとかで、鞄を開けてもらうと、どうしたのー?って感じで黒い猫がこっちを見上げてた。おとなしい・・。来年1月1日から日本の空港で猫にもチェックが入り、2週間預けなきゃ駄目になるらしく、猫との海外旅行もこれで最後になると、悲しんでいた。テュニジアは三回目とかで、前に来たとき、猫を拾って帰ったんだって。そのときも、そして今回も、いわば「密輸」状態。イタリアからのチケットは猫の分も払ってるらしいけど。すごいなぁ。
 飛行機が離陸し雲の上へ出ると、太陽の光がほんとに気持ちよかった。機内の朝食は冷えてたけど、まあまあかな。
 マルセイユの空港へ着くと海は荒れていた。けど一応晴れてるし、いい感じだ。

 →→南仏旅行記へ・・

1999年12月19日

 風邪ひきは寝るに限る、ということで、今日は12時まで寝た。起きて冷蔵庫の片づけをするため、キャベツとコーンと卵を全部使ってお好み焼きを作り、冷凍庫に入れる。お昼ご飯もそれ。そのあと4時半まで寝て、ライラが持ってきたショルバとブリックを食べ、残った人参とカブを切って湯がいて、それまた冷蔵庫へ。カリフラワーを食べようと思ったけど、諦めた。残った牛乳の半分を、蜂蜜入りのホットミルクにして消費。これで冷蔵庫はあらかた片づいた。
 鼻水は止まらない。昨日よりはマシ。明日は5時起きだ。

1999年12月18日

 今日は10時から補習校があるので、9時10分頃に家を出てバスを待っていたけど、来ない。30分まで待ったけど来ないので、大通りまで出たが、それでも45分になってしまった。タクるしかないかも、郵便局行かないかんし・・と思ってたらようやく来た。全くラマダーン中の交通ときたら、どうなってんねん。
 補習校で、Nちゃんにテスト。テストなんてやったことないもんだから、すぐにだれる。分からないを連発する。私も短気だからいけないのかもしれないけど、今までが甘やかせすぎなのよ、テストくらい・・・と頑張るけど、一時間で半分しかできなかった。
 そのあとクリスマス会に突入し、お母様方が持ってきて下さったちらし寿司とかバンバンジーとか唐揚げとか・・飛ぶように売れていく。日本製品があふれ返っている。さすが、ただの学生とはひと味違う。いい生活してるなぁとしみじみ思いつつ、お裾分けを堪能する。そして子供たちにささやかなプレゼントを贈るのが目的のゲーム大会が始まる。ビンゴゲームにジャンケン退会、あみだくじに椅子とりゲームとか色々。伝言ゲームは大人も混ざってやる。みんなてんでバラバラで、面白い文章が出来て楽しんでたのは私だけ?!

 たらふく食べて満足して家に帰ってきたはいいけれど、残りのお菓子やジュースで冷蔵庫が片づかない。そして4時半、ライラが今日はお菓子をくれた。見慣れないものがあるなと思ったら、「これはタタウィンとか南で作ってるお菓子で、アーモンドとか砂糖とかが入っててね、ちょっと揚げるんだよ」と教えてくれた。なるほど、ヌールの親戚が来てるわけだな。さすがはラマダーン、親戚が集まる・・。で、ストーブも貸してくれた。ありがとう!と言って引っ込んだら、今度はまたショルバ(スープ)とパンを持ってきて「こっちのスープはハラーラといって、うちの妹の住んでる地域(テュニスから100キロとか)で作ってるの。こっちのパンはアラブパンで、タブーナっていうの。家の壁なんかにくっつけて干すんだよ」といろいろ教授してくれた。さすがラマダーン、テュニスにいるだけであちこちの風土料理が食べられる。おいしいなぁ。しかし、今日も冷蔵庫が片づかない・・・

1999年12月17日

 久々に「星の王子様」を読み進めてみた。おお、前より分かる。進歩してるんだねぇ、これでも・・。

 今日はブリックとショルバ(スープのこと、ここではテュニジアン)をもらった。ライラのショルバ大好き。魚の身が豊富に入ってて出汁が利いてるし、辛すぎないし、。ラマダーンが終わったら作り方教えてもらおうかなぁ・・?
 ライラが、ジャンパー着込んで出てきた私を見て、「部屋が寒いのか、ストーブは要るか」って訊いてくれた(多分、ストーブのことだと思う。単語が混ざっててよく分からなかった)。欲しいって言ったら、分かったって言ってたけど、どうなるんだろう??

1999年12月16日

 テストの結果、うーん、これが私の実力?ってのがちゃんと返ってきた。記述はともかくオーラルは合格点ギリギリ・・
 とにもかくにも今日で1期は終わり。アムナが「Bonne Année」と言って、ニューイヤーカードをくれた。ちゃんとフランス語とアラビア語で書いてある・・・。そうか、年賀状だけじゃなくてこういうカードっていう存在があったのね! 失念してたよ、ありがとうアムナ! 何て書いてあるか読んでみた。すると、「親愛なる**へ フランス語で何て言うのか知らないけど、アラビア語なら<あなたとテュニスで知り合えてほんとに嬉しいわ>、そして日本語で何て言うのか知らないけど、”よい年を!” ”次は2000年だよ!”」って書いてあった。なんかストレートでホッとするよね。

 さて、午後は雨だったので、今日はライラは食事を持って来るんだろうか・・と考えながらも一応待ってた。すると、4時半頃にライラが「早く早く!」って呼ぶから慌ててスリッパのまま飛び出したら、雨の中、ラップかけるとかもせず、皿を二つも抱えて首を竦めてた・・。やるな、ライラ・・。本日のお裾分けは、ブリックと豆とお魚!とオリーブを辛く煮込んだもの・・。今日は他に何を食べてんだろうなぁ。

1999年12月15日

 気持ち悪いー。もう食べられないー。
 今日は朝からだるくて目が覚めたら8時を過ぎてたので、休んでしまったのだが、次に起きたら1時を回ってたのだ。だから、ブランチを2時頃食べたので、このクスクス攻撃は効くーっ。だるくなってきたからスープでも作っておいてそりあえず寝ようと思ったら、またライラが呼ぶんで、またブリックかなーと思ってもらいに出ていったら、今日はクスクスだった・・・。塩味見てというので味見をしたんだけど、もうほとんどおじーさんのヌールが食べるためか、いつもこの家の味付けは薄目だ。日本人のお腹にも優しい。
 具は、キャベツと空豆と人参とかぼちゃもどき(味と食感は人参に近い)と、見た目が蕗に近い野菜(何だろう?)と羊。キャベツでスープをしようと思ってたのを、仕方ないから中華風コーンスープに変更。けど、5時前にだよ、2時に食べたのに食べるっていうのはきつい。なんで電子レンジがないんだ?! ついでにスープまで一緒に食べたから、もっと苦しい。残ったクスクス、あとで食べられるかな??

1999年12月14日

 オーラルだけかと思っていたのに、実は今日筆記のテストもあった。私のリスニング能力の問題ですな。けど、なんとか無事終わった。オーラルのテストは、まずくじを引き、くじに書いてあったページを読んでから、先生がその文法や内容に関連して適当にする質問に答えるというものだった。私は、日常生活のところが当たったので、毎日やってることを朝から晩まで説明しなさいと言われ、その後日本とテュニジアの違いとかを訊かれた。しかも、ほとんど一文言うごとに訂正されまくり、書けばまだまともなのにな悔やむことが何度あったかけど、それでも通じるんだからまあいいか、と開き直りもした。頑張ってるねと一応認めてもらい、でももっと喋るようにしなさいねと言われた。

 日没のアザーンが鳴ったので、シチューでも煮込もうかなと台所に行ったら、外で大家の呼ぶ声。またブリックをもらってしまった。しかもナツメヤシとデザートのバナナつき。早速ナツメヤシを食べたら、昨日と違う香ばしさが! なんだ?と思ったら、中に入ってたアーモンドに焦げ目がついてた。うぬぬ。やるな。・・・このナツメヤシ、はまりそうです。おいしーよぉ。。。

1999年12月13日

 昨日もらったブリックのお皿を返しに、食事前(!)に大家の家に行った。まあまあ座んなさいと言われて、パンを買いに行くつもりだったのにそのままそこに居座り、フェディ坊やの相手をしていたら、しっかり私の分のお皿がお盆の上に用意されていた。なんかうれしい・・・。だもんで「今日はちょっとだけ断食なのよ、お昼食べなかったからー」とか嘘をつき、食べる権利を主張してみて(そんなことしなくてもいいんだけど、その方が彼らが喜ぶ)、日没のアザーン(祈りの合図・・っていうか食事の合図やね)が鳴り終わると同時に家に帰ってきた。
 昼御飯を、授業の関係で2時過ぎに食べた上、ちょっと足りなくておやつまで摂っていた私には、5時過ぎにデザートのミカン以外を食べるのも少しきつかった。でも温かいうちにと食べてしまう私・・。おいしかったです、ほんと。明日またお皿返しに行かないといけないんだけど・・・(^ ^;;

1999年12月12日

 この間作った仏語の宿題である「旅行日記」、あれの続きを書くのが明日までの宿題だ。今度は「天気のこと」と「災難」について書かなくてはいけない。また面倒な・・・
 今日、大家が5時前にブリックを差し入れてくれた。あたたかいうちにと思って、彼らが食べる時間になる前に食べてしまった。ケイパーの酢漬けとツナと卵が入ってて、なかなかにおいしかった。

1999年12月11日

 今日は朝から雨が降ったり止んだりよく分からない。雨が降ってたらなしね!っていう約束があるのに、どっちなんだ?

 補習校は、初の二人相手! Nちゃんの方は思うようにいかない。曖昧な表現で逃げて、とりあえずそれやっといて!っていうのが駄目。すぐに飽きて来ちゃうのね。今日は彼女が途中からお医者に行ったので、後は楽だった。中2のFちゃんは、つつけば出てくるタイプなので、やたらつついて考えさせてやりたくなる。今日は漢字の復習と文法の復習をやってみたけど、最初は埋まらなかった問題も、解説してやればちゃんと答えは出てくる。いいことだ。鍛え甲斐がある。しかし、今日はこれでいいとして、来週、どうするよ?

 1時の待ち合わせに出かけてみたけど、誰も来なかったから、たぶん「雨で中止」になったんだろう。

1999年12月10日

 金曜は昼までぐっすり寝るのが最近の決まり事。ご飯作ってたら大家が呼びに来て、7月から9月までの電話代の請求書を持ってきた。たかだか2000円ほどのものだ。確かに私は9月までの分を払うからと言っていたので、分かったと言って受け取った。次は何が来ても払わないからね!

1999年12月9日

 ラマダーンが始まった。「ラマダーン・カリーム(寛大なラマダーンが直訳)」で挨拶する。授業の時間割も変わって、休み時間が10分しかないから厳しい。午後の授業なんか、休み時間の分全体の時間が短くなって、今までも休憩取ってなかったから損した気分。しかも、2時からのが11時50分からになったんでチェックしてなかった人は来なかった。私が呼びに行った人だけが来たよ・・。
 午後の授業で、疲れた顔をしていたマッドに、先生が「どうしたの、疲れた? まだラマダーンは初日よ」。こういう言葉は一年ぶりだと懐かしい気がする。

 授業後市場へ買い物に行くと、人々でごった返していた。さすが初日とあって張り込んで買うらしい。高いバナナだって売れに売れてた。

1999年12月8日

 今朝の関心事はただ一つ。今日ラマダーンは始まったのか、ということ。友達に訊いたら「明日だよ」と教えてくれた。けど、教室では同じ質問が仲間内でされていた・・・みんなムスリムやのに、朝食べてからそれと知ったらどないすんねん。イエメンとかパレスティナって厳しいんと違ったんかい。
 今日はコンサートへ行く予定だったけど、面倒だったので出かけなかった。だって、アムナはやっぱし駄目だって言ってたし、一人で行くのもつまらないし・・・

1999年12月7日

 今日の宿題凄すぎ。現実世界か空想世界へ旅行したことを、日記か手紙形式で書け・・っていうもの。私は空想世界へ出かけたけども、むずかしーっ。日本にいたら絶対やらないよね、こういうこと。
 家賃を払いに行った。大家に年末マルセイユに行くと言ったら「マルセイユか、高くつくな。あそこにはアラブ人も多いぞ」「スリも多いから気を付けなさいよ」と言われた。やっぱしヨーロッパの方が怖そうだよぉぉ。アラブって、大きな危険ってそうそうないし、テュニジアは平和だからなぁ・・・

1999年12月6日

 先日大使館から日本人ピアニストの演奏するコンサートの招待状が送られてきていたので、大のクラシック好きのイエメン人・アムナを誘ってみた。「コンサートの招待状があるんだけど」って言ったら飛びついてきて「行く!」って何も訊かずに言うから「だけど、Attention! これ、ラマダーン初日なんだけど。大丈夫?」。彼女はその場で固まり、8日って書いてある日付を睨み「8日って明後日?」「そう」「時間は・・・」。「やっぱり無理?」彼女は低く唸ると、「行きたいのよ。ほんとにほんとにほんとに、行きたいのよ」とかなり強調し、「なんでラマダーン初日なのー?!」とのたまった。かなり悔しかったらしい。私だって悔しい。なんで誘う度に駄目なんだろうね。
 そのコンサートのチケットを持って場所の確保に行った帰り、バスを待っていたんだけど、雨がかなり降ってきてなかなか来ない。道も混んできたし、仕方ないからメトロ(市電)で帰ろうと、駅に入った。しかし、さっきまで何本か通り過ぎていたメトロが来ない。やっと来たと思ったら、20分か30分ほど待たされたもんで、大量にたまった人がどどっと乗り込む。始発駅で既に扉が閉まらない状態。日本と違って決められた時間なんてないから、一つの駅で延々時間をとって「つめろ」「扉が閉まらないぞ」とかやってるもんで、いつも15分の乗車時間が、なんと1時間を過ぎてしまった。もうすんごく腰が痛くて、肩も凝ったよ。あああ。バスを待てばよかったよ。

1999年12月5日

 おバカなことに「昨日」は寝なかった。今朝の7時半頃に寝たのだ。宿題や勉強も溜まってるから朝ちゃんと寝て、昼からやったけど、ネットははまると怖いなぁ。
 今日は屋根の上がやたらと騒がしかった。何をやってたんだろう・・・

1999年12月4日

 ぐーたら寝てたら12時過ぎてしまった。疲れが溜まってるみたいで、週末はこんなんばっかし。今日も外出しないで、本を読んだり、仏語作文したり(HP用だけど)。

1999年12月3日

 昨日うちにお泊まりしたAちゃんが、朝から寮の契約をしに出かけていった。二度寝してから、昨日Oさん宅でもらった豚パテなんかを使ってお好み焼きを作った。贅沢だと思いつつ、帰ってきたAちゃんと共に食べたあと、彼女の引っ越しを済ませた。
 補習校では、まだ中学2年生の子は来てなくて、今日はNちゃんの書取指導。本読みがしたかったのに、なんだか彼女のペースだ。でも彼女が漢字に弱いことが判明したので、次回は漢字カルタでもしてやりたい気分。けど、来週こそ中2と一緒にするんだよなぁ。今日日本から中学生用の学習指導書が届いたので、少し楽になったけど。そういえば、18日のクリスマス会でやるゲームを考えなければならない。去年の人がやたら凝った演出をしたらしいので、うーん、難しいな。いろんな年齢の子たちが一緒に楽しめるゲーム、なんかいいのないかな。

1999年12月2日

 今日の午後、JICA隊員のOさんがもうじき帰るので、お別れの挨拶をしに、お出かけした。といっても、荷物のお裾分けをもらったくらいなんだけど・・・。オタフクソースと味噌とおにぎりせんべいと、それから豚のパテ・・・って。ああ。寿司太郎でお寿司頂きましたし、白麦味噌の味噌汁も大変おいしゅうございました。それにOさんの話もすごく楽しかったし、面白かった。私にとっては新しいニュースを色々聞いたので、それはまたHPにエッセイでも書こうかな。
 んで、Oさんがウード(アラブの弦楽器)を日本に郵送するのに、特注で木箱を買ったんで、食後にケースを入れてみたんだ。けども、・・・入らない。幅がつっかえるんだわ・・と、二人で包丁とカッターを使って一生懸命削ったんだけども、そもそも高さが足りないことが発覚し、明日朝一で家具屋に板を足してもらうことで話は落ち着いた。んー、けど、しっかり家具屋本人が計ったっていうのに、なんでサイズが合わないんだろう・・・? これぞ、アラブ?!

1999年12月1日

 久々に晴れ間が見えたので、郵便局に行ったあと家にすっ飛んで帰って、さっさと洗濯をした。けど、そのあと曇ってきちゃって、洗濯物は乾かず。にしても今年は全然寒くならない。暖房なしでも問題くらいだ。けど、太陽がなきゃ洗濯は乾いてくれないんだね、やっぱり。

 Aちゃんが家を移りたいと言って探してたんだけど、やっぱり今の大家がうんと言わないらしい。保証金無視して逃げちゃうしかないねって言ってるんだけど、いざとなったら数人で押し掛けてって、その場で荷物運び出しちゃおう。毎月9日払いだから、それまでに出ないとダメ。彼女が今目を付けてる寮は月100DTで、バスタブもついてるらしい。勿論学校の近くで、彼女が楽器を持って音楽学校に行くのも楽になる。でも、いつウードを買うんだろう。
 とか思ってたら、Aちゃんから電話が掛かってきた。大家が出るなら明日出ろと言ったらしい。だもんで、明日はAちゃんが荷物を持ってやって来ることになった。とりあえずよかったね。