2000年2月29日
授業の最初に、広告を提出した。見せてもらったけど、ほとんどの人が祖国の広告だったので、同国人がグループでやっているのが多かった。だから、提出された広告枚数は6枚。パレスティナ人の一人が缶ジュースの広告を作った他は「日本」「モーリタニア」「パレスティナ」「テュニス(のメディナ)」「カーボベルデ」。皆さん愛国心が強いようで(違うかな?)。缶ジュースのスローガンは「渇きを殲滅せよ」みたいな訳になるかな、なかなかよかった。私の着物を描いた広告も、ちょっと単語のミスはあったけど、好評で、先生が記念に欲しいと言うからあげてきた。
で、「メディナ」という単語が分からなかったペドロに、休憩時間、「知らないの?」と訊いた。「すぐそこにあるじゃないの。フランス門も知らないの?」「知らない」「ハビブブルギバ通りは行かないの?」「パルマリヨーンまでなら行くけど」「もし行きたいなら一緒に行く? 私、去年メディナに住んでたから、よく知ってるよ」・・というわけで、うまく誘うことに成功した。明日くらい、行ってみようかな。
授業後、フィルムを使い切ったのでカメラ屋へ持っていった。そこはとても安いので早くは出来ない。明日、と言われた。うむぅ。
そのあと、コピーを済ませて、ブルギバ通りへ出て、グランタクシー(長距離貸し切り用)と値段交渉。しかしあっさり決裂してしまった。去年5月に一日120DTで貸し切りできたのに、「今は200だね」と言うんだよ。それはひどすぎるっ。他のタクシーはみんな運転手が留守だったり、客がいたり携帯で通話中だったりして、話せなかったので、今日は諦めた。
メディナへ入ると、この間訪ねたとき留守だったラフィークに出会った。今日は別の店で勤務中らしい。その店はニジェールやインドの物を扱っていて、とてもかわいい小箱を見つけたのだけど、一個しかないと言われて諦めた。ちょっと大きかったから。何が可愛いって、鍵が独特なの。それのどこが鍵?と思う鍵なの。ここで説明はしないけど、ああ、ニジェールに行くことがあれば是非に欲しいわ。んで、ラフィークとも写真を撮ってもらってから、服を買いに行った。
服の交渉。目的の物を見せてもらい、「ねえ、どれが似合うかなー」と延々何種類も色違いを出してもらい、それが終わったら「ブルヌスも見たいんだけどー」と別のを注文し、「こういうのは要らないか」と別なものを出されて(しかも前から気になってたやつ)延々デザインを悩み、さーて交渉するかと始めた頃に、別な店員がやって来てしまった。「悪い、もう食事の時間なんだ。この辺で決めてくれ。ほんと、これが最後の値段だってば。信用してくれよ。今日は朝からカフェしか飲んでないんだ」そんなふうに頼み込まれたって、私は知らない。「えーっ、でも高いよぉ」「たった5DTじゃないか」「(だけど、私だって譲歩してその値段なんだからさー)」「よし分かった、73DT。どうだ、よし」って勝手に商品を持って階段を下りていってしまう。しかも、私がぶうぶう文句を言いながら考えているそばで、袋に入れてしまうし。ほんとはもっとゆっくり交渉するつもりだったのに。なんだこれは? 「わかった、72DTにしよう、な?」「あとたった2DHじゃないのーっ」「頼むよ、お腹空いてるんだから」・・・そこで私は考えた。2DTか。まあ彼のチップだと思えば、勘弁できないこともない。私はいくら学生とは言え、日本から来てるんだし、もう帰るんだし、たまにはお金を置いて帰るのも・・・。色々話も聞いたし、2DT・・・。結局「わかった、買う」。
家に帰って早速着てみた。私ってどうして、こういうのが似合うんだろう?? と思いつつも嬉しすぎる・・。と思ってたら「ぶちっ」、帯の紐が取れた。見てみたら、縫い目は少しもほどけていないので、布の方が破れたらしい。縫い代が少なすぎるんだよ。どうやって留めろって言うのっ。文句付けに言ったところで、私が気に入った同じ物は多分手に入らないし、たかだか一カ所だし・・しゃあないなぁ。・・・けど、なんで取れるのよっ。太ってるって言うの? 日本に帰ったら元に戻るわよっ。
2000年2月28日
朝から学校で、広告の原稿を白い紙に描く。途中で面倒くさくなって絵を描かないで来たのだけど、隣のアミラがポスター用の用紙をわざわざ買ってきたのを見て、やばいっと思い、一応用意してきていた紙に、下書きもなくいきなり着物姿を描き始める。その昔、父が呉服屋をしていた頃、何度も絵に描いたことがあるから、後ろ姿でなければすぐに描けるのだ。但し、柄がうまく描けない・・っ。それで、苦肉の策。宣伝文句を袖にそのまま描いてしまおうっ。そうすれば袖に絵は描かなくてもいい。で、真ん中の部分にはベタな扇柄を並べて、後は桜を散らす。日本人に見られるのが恥ずかしい出来上がりだ。先生やクラスメイトは感心して見ていたけれども(^^;;
食後、Aちゃんに知り合いの旅行会社を紹介してもらって、出かけた。訪ねていくと、彼は留守で一時間後に来てくれと言われた。メディナの方へ出かける用事だったのだが、バルセロナ広場からメディナへ出てまた戻ってくるのも面倒なので、目の前にあった本屋で時間を潰した。それがまた面白くて。小さい本屋なのに、見やすい配置をしているから「卒論のネタに使えそうなのってないかなー^^」、視点はそういうのばっかり。あと、頼まれている「テュニジアの失業者率」の分かる本。けど、店員が言うには「そんなのないよ。アラビア語でもフランス語でも。テュニジアに失業者なんていないじゃない」なんて冗談を言う始末だ。キオスクで経済雑誌を見てもなかった。
2時半になったので旅行会社に戻る。ハムディ氏は日本語が一応出来る。イシュケウルに行きたいと言ったら(そういえば、今日クラスでもその話が出て、行ったことある人が多かった)、まずレンタル車の話になった。ツアーはないのかと聞いたけど、ないそうだ。それでランクルが一日140DT。ランクルの値段としては安いけど、わざわざそんなものを使っていくところじゃない。それに二人しか参加しないのに、それはきつい。で、半日貸しなんてできないから、イシュケウルだけでなくタバルカまでいけるよ、と言われた。タバルカは海岸美の綺麗なところで、まだ行ったことがなかった。おしっ、タバルカも込みだと誘えば、人が増えるかもしれないから試してみよう。で、明日お話ししませんかと言うから、じゃあ他の人も誘いますねー(私の友達の3人は既に彼の友達だ)と言って別れた。
やっぱりカリグラフィーの授業に出る気はなくて(もう3時過ぎていたし)、メディナの友達のところへ行く。来いと言われていたから行ったのだけど、特に何もなく、仕事中の彼女と延々話をするだけだった。彼女は絨毯織りの一人で、結構熟練のうちに入る人だから、手つきが早い。その仕事を見るのも好きだけど、これだけのことなら、先に服を買いに行けば良かったよぉ・・とちょっと後悔した。まあ、いいんだけど。
2000年2月27日
今朝は、買ってしまった回数券を使うために、9時半に起きて10時過ぎにバス停へ行った。30分待ってもバスが来なかったので、別のバス停まで行ったが、反対車線を目的のバスが通り過ぎていき、あと30分待たないと来ないであろう事が判明したので、お金を無駄にすることに決めて家に帰った。1時間、散歩して空想に浸っただけらしい。しかも、10時から光って強くなるから、眩しくて眩しくて。そろそろサングラスがいるかも。早すぎだってば(^^;;
家に帰ってきてから、ぼーっと宿題の広告の内容を考えていたら、庭から「かー」という声。最近、呼べば私が返事をすることが分かっているので、窓が開いていてもいなくても、フェディは私を呼ぶのだ。「なにー?」って出ていくと、むちゃくちゃ嬉しそうな顔してやって来る。ヌールが後ろから出てきて「ライラはどこへ行ったか、訊いてごらん」というから、フェディに「ウェーン、ライラ?」って言ったら、フェディは右手でお札を繰る真似をする。それがお金のジェスチャーなのだ。ヌールが笑って「銀行へ行ったんだよ」と教えてくれた。かわいい奴^^
広告は、最初PCの広告を作ろうと思っていたのだけど、専門用語を入れなければそれらしくならないので、断念した。それで、何を思ったか「京都」の宣伝にした。日本の宣伝にしようと思ったけど、やっぱ京都がわかりやすいんだもん。着物の絵でも描こうかと思ったけど、「色彩あふれる」っていうのを表現したい場合、どんな柄を書けばいいか分からなくて、しかもうまくないし、諦めた。広告の原稿っていう意味で文字だけで提出しよう(^^;;
2000年2月26日
今朝は10時半から日本語補習校。子供たちは今日も元気いっぱいに遊び回っている。Nちゃんなんかはかなりの薄着で、私はビックリ。
それが終わってから少し時間を見て、2時にJICAの事務所までみんなで出かけた。今日は日本人会の餅つきが行われることになっていた。お正月にも見なかった人がたくさん来ていて、驚いた。オリーブオイルの試食をやっていて「どっちの方がおいしいか」「容器に入れて贈るとしたら、どれがよいか」などを調査していた。どうも日本で売りたいようだが、おねえさん?方は値段を知らなかった。子供たちは遠慮なく餅をつつき、「先生何個食べたー? わたし9こ!」とか言いながらまた別のに手を伸ばしてたり・・。最後に私もたっぷり食べたけど。
そこで、また別な人と知り合ったりして、収穫もあったかな。
2000年2月25日
11時半頃起きる。買い物に行って、パスタを選んでいたら、「いらっしゃいフェディ」という店主の声がした。へぇ、フェディっていう名前の人って結構いるのかなーと思っていたら、ちょこまか走り回る音。振り向けば、確かにフェディ坊やがそこにいた。「おーや、フェディ、元気かーい?」最近やたらと私になついていて、私がいると妙にご機嫌なのだ。ヌールが言うには「昨日、私に手紙が来たんだけどね、フェディはそれを見て、”かー(私のこと)の! かーの!”って騒ぐんだよ」、うーん初いやつ。
食後、フェディの小鳥を見に来いとヌールが言うので隣へ行った。ついでに「チケットを買ったから3/22に出るよ」と言ったら、「16日がイード(犠牲祭)だろう? 南の実家へ帰るんだよね」「いつ戻ってくるの?」「うーん決めてないけど、21日には戻らないと駄目だなぁ。朝早いのか?」「うん」。そのあと、今日届いたという電話の請求書を見せてもらったら124DT! あはは、これは払わないと駄目だわーと思ってたら、「じゃあ、帰る前に残りの電話代も払っていってくれよ」と言う。「どうして? 私は前の人の分を払ってるんだから、それは払わないわよ」大体その話は最初にしたはずだ。私は150DTくらいは払ってるんだから。ライラが家に帰ってきて、私が3/22に帰ることを言うと「また来るときはうちにも寄ってね。泊まる部屋はあるんだからね」と言ってくれた。で、不思議そうな顔をしているフェディに、ライラが「(malka)がね、3月に帰っちゃうのよ」と言ったら、フェディはちゃんと分かったようで、びやーっと泣き出した。ダメダメダメと首を振るから、こっちも苦笑するしかなかった。
そのあと、2時にバス停へ行って、1時間ほどバスを待った。目的のTGMの駅に着いた頃にはもう3時半を回っていた。そこからシディ・ブ・サイードへ向かう。頼まれていた絵を探すのだけど、見つからない。一軒一軒見て回ったけど、出てこない。分からなくなって、写真でも撮ろうと構えながら「メトロポリタ美術館」を口ずさんでいたら、いきなり角から現れた女性に「あ、日本人ですか」と言われた。ちょっと恥ずかしかった。
結局買うのを次回にすることにしたのだが、このまま帰るのも勿体ない。せっかくだから有名なカフェ・デ・ナットでお茶でも・・と思ったが、込んでいたので諦め、そのすぐ裏にあったドーナツ屋さんで、ユーユ(テュニジアン・ドーナツもどき)を買う。油がべたついてないし、妙にもちもちしていておいしかった♪
5時半頃のTGMに乗って帰る。途中で乗ってきたイタリア人のご夫婦の奥さんがかなり咳き込んでいたのでのど飴を差し出したのだが、彼女は「今舐めてますから」とジェスチャーしてくれた。しかも、後で気づいたが、「お大事に」という仏語を間違っていた(^^;; ばかーっ
6時頃テュニス・マリーン駅に着き、私はバスターミナルへ。試しにバスの回数券を買ってみたが、なんとそれは日曜日からでないと使えず、しかも曜日指定されていて、何日から1週間で使うこと、との指定がされていた。買ってしまった物は仕方ないので(全部使わないとお得にならないという悲しさ)、次の日曜日から、私は1週間毎日バスに乗るだろう。
果たして1時間、私はバスを待ったが、来なかった。寒くなってきたし、腹も立って、バス停を移動した。緑の高い方のバスが来て、家に帰れたが、なんと7時40分になっていた。おーぅおうおう。
2000年2月24日
今日は新しい教科書に入ることになっていたのに、見事に忘れた。あああ。
クラスのみんなに名前をそれぞれの言語と仏語で書いてもらった。すると、ロシア人ラダはともかく、パレスティナ人の方はガダが正しい名前だったことが判明した(^^;; そして、アハマドはAhmadだと思っていたのに、最後の母音も発音するらしくAhmadouと書いてくれた。モーリタニアでは最後の母音も発音するんだろうか?! それに、他のアラブ人は「・・の息子」っていうのをIbnって単語を使うのに、モーリタニアはwaladを使っていた。仏語では両方ともouledだったけど。
授業後、今日はカレーを作ることになっていた。アラビア語のクラスの日本人3人と一緒なので、ハンガリー人・ビアンカと、イタリア人・アルドーも誘うことにした。そしたら、アルドーが、自分もパスタを作ってやると言ってくれたので、カレーとパスタという組み合わせで食べることになった。私の自慢のカレーは日本人には好評だったけど、アルドーは「チョコが入ってるんだよ」の一言にびっくりして嫌な顔をした。でも、全部食べていたので、不味かったわけではないらしい。ビアンカは、「これは変わった食べ物だ」と、第一声を言ったきり、何も言わなかった。アルドーの作ったパスタはとても簡単だったので、今度自分で作ってみようと思う。もちろん、油の量は減らして。
4時頃になって、お暇することにした。Sさんが旅行会社に勤めるテュニジア人と7時に会うことになっているというので、自分も参加することにし、後でまた落ち合うことにした。
その間に私は、メディナへ行き、目的の服を買おうと思ったが、今日も試着のできるそのスペースは閉められていて「今日は模様替えをしてるから」と言われた。なんで、来る度に閉まってるんだろう!! それで、シェシアを買いにいった。シェシアのサイズは、pで、頭周りの長さを半分にしたものが、自分のサイズになるということが分かった。お喋りな店主に付き合わされてかなり時間を食ってしまった。
慌ててリベルテ通りへ戻り、いつもの旅行会社へ行く。6時過ぎていたので、いつもの男の人しかいなかった。女の人だとレジデンスを要求されることがあるけれど、彼なら大丈夫だから。メディナへ行く前に女の人に235DTと言われていたけど、その場買いのため230DTで売ってくれた。「私はここで3回もチケットを買った。ありがとう。私は日本へ帰るよ」「もう戻ってこないのか?」「うーん、戻ってきたいけど、分からないから」「そうか、よい旅をね!」
待ち合わせの後輩の家に行き、7時に出かけた。しかし、目的の彼は仕事のためか忘れているのか、「9時頃帰ってくると思う・・」と留守番人に言われてしまう。仕方がないので、後輩Tくんの家に戻ることにし、サラダ用に持ってきていたひじきを使って、3人分作ることにした。久々にひじきご飯を作った。かなり満足して、それからワインを飲み、おつまみとお喋りで時間を潰した。途中、モロッコでは「g」の音をキャーフ「k」に点三つ付けて表しているというのを聞き、びっくりした。ちなみに、テュニジアではカーフ「q」の上に点3つで「g」、エジプトではジーム「j」を使って表す。
いつの間にやら12時過ぎになっていたので、タクシーで家に帰る。タクシーの運転手は、延々方言で宗教の話をしてくれた。で、モンセフ・ベイのスークが焼けた話も彼に聞いた。やっぱりタクシーの運転手って情報早いよね。テレビやラジオで流されない情報も、いろいろ持ってるんだろうなぁ。
2000年2月23日
授業中、比較しなさいという問題に、日本がでてきた。それはどうってことないのだけど、久々だったから、先生が「日本がでてきたわよ」と私に振った。しかも比較すべき内容が「魚の消費量」と「牛乳の消費量」。そこにはそれぞれ5つの国名が書かれてあり、魚では日本は3番目(1位はイギリス、2位はアイスランドだった)、牛乳では日本は5番目だった。「どうする、魚じゃイギリスが多いらしいわよ(笑)」「日本ってそんなに牛乳飲まないの?? 朝は何を飲むの」と先生が言うと、横からすかさず「お茶じゃないのー?」って茶々が入る(洒落じゃないって^^)。ついでに言うと、私の名前は、アラブ人が発音すると、仏語の「石」のように聞こえる。「う」と「お」の区別がちゃんと出来ないからだ。それで今日は、アハマドが私の名前を呼んだとき、先生が「違うわよ、それじゃ”石”よ。oって発音してご覧なさい!」って、延々「石」を繰り返すものだから、こっちはかゆくって仕方なかった。
今日は、朝雨が降った。昼も、授業中から降りだし、1時くらいまで降っていた。今冬、これは久々のことだ。なんだか嬉しい。日本だと雨なんて鬱陶しいだけなのに、今年は、雨が降らないから余計にそう思うのかも。雨が降ってるから出かけるのをやめにして、家で昼寝した。
2000年2月22日
昨日アハマドに「日本語のアルファベットを教えて」と言われていたのに、時間がなくてできなかったから、家で書いてきた紙を朝、手渡した。けど、濁音と半濁音は略し書きで、拗音は書いていないやつだ。何をするつもりかと思うのだけど、「中国の文字はないのか」と言うから「いや、それはむちゃくちゃ多すぎて、アルファベットなんかないんだよ」と説明する。で、表にしてあった五十音図を見て「Kだけ、とかいう文字はないのか」と訊く。尤もな意見だ。「N以外は全部、母音が一緒になってるんだよ」。こう言ったから、もしや彼は「じゃあ自分の名前をどうやってこの文字で書いたんだろう」と思ったかもしれない。あとで、「ダとかいう音はないのかと言うから、ちゃんと濁音も説明した。それで、アハマドにモーリタニア方言を訊こうと思っていたのに、言いそびれてしまった。あ、明日こそ!
で、マハムードに、ヨルダン方言を訊くため、確かに彼がヨルダン方言を話すのかを訊こうと思っていた。彼がパレスティナ人だというのは知っているが、どこのパレスティナ人かというのは重要だ。ところが、休憩時間、私がようし聞くぞ!と意気込んだとき、彼の方からお声が掛かった。「インターネットのアドレス持ってる?」「うん、持ってるよー」と教えることにしたが、「しまった」と思う。最初はテュニジアのプロバイダーのを教えたが、やっぱりそれじゃ困るので、ジオシティーズのも教えることにした。書きながらドキドキする。どうか気づきませんように。だって、私のIDってばヘブライ語なんだもの^^ でも、彼は何も言わずに、隣にいたシャディが「あ、ジオシティーズ、知ってる知ってる」と言っただけだった。けど、なんで知ってるんだ、シャディ?(確か彼は、イスラエルのどこか出身のパレスティナ人) そんなに有名だったんだろうか、うーん。で、マハムードのアドレスも教えてもらう。彼は名前を書くとき、ちゃんと「ヨルダンの」って書いてくれたので、すんなり訊けた。「ああ、じゃ、ヨルダン方言話すのね」って。「教えて欲しいなら訊いてくれれば返事出すよ。僕もそうするから」って。マハムードは結構気が付いて、なかなかのナイスガイなのだった。
クラスに新しい人が来た。ハーリドだったかな、パレスティナ人。それで、先生がまた全員の紹介をした。出身と名前を言うだけだけど、改めて確認。ナリマンがイェルサレム出身だったとは知らなかったので、ちょっとびっくりした。
授業後、大使館へ本を返しに行って、いつものバスが捕まらなくて、別のバスで近くまで行く。歩いてたら、この間マルタから引っ越してきた日本人に会った。彼女は英語を勉強しているのだけど、テュニジアの方が安いからと来たのだ。で、前にAちゃんが住んでいた家を不動産屋で紹介され、今そこに住んでいるので、Aちゃんに返し損ねた合い鍵を返した。誰かに合い鍵渡しておく方がいいよ、と言って。でも彼女は仏語もアラビア語も知らないから、バスなどに乗りづらくて大変らしい。
由美さんに借りたテュニ語の辞書をコピーしようと、とりあえず一冊だけもって出かけた。延々繰り返される動作を飽き飽きして見ながら、いっそのこと私にやらせてくれないかなぁ、と思っていた。テュニジアでは、セルフサービスじゃなくて、コピー係がいるのだ。そしたら、店主が「全部コピーするのかい? それならやっておいてあげるから1時間後にまたおいでよ。彼も休憩させなきゃね。日本人なら大丈夫だろうけど。それに、あなただって(日本人だから)忙しいでしょう」と言った。私は笑ってそれを聞き、じゃあそうするよ、と一旦家に帰り、6時頃再び出向いて、目的のコピーをgetした。あと1冊はまた今度にしよう。けど、このコピー、どうやって綴じようかなぁ。
2000年2月21日
今日の授業は、いきなりテストから始まった。いつもテストは休憩時間が終わってからするのに。それに、今日から新しい単元に入ったのだけど、これがまた・・・。宿題:自国の製品や町や祭りなどを取り上げ(架空の製品でもいいと教科書には書いてある)、それをフランス人向けに広告する。スローガンを決め、平面の広告を作り、TVコマーシャルの原稿・イラスト付きで考える・・というもの、これが来週月曜日まで。そんな、なんて宿題だろう。。。フランス人向けと言っても、実際見るのはクラスのアラブ人なんだよねぇ。 今日は、会う日本人に「イシュケウル国立公園行かないー?」と聞きまくっているが、あんまり乗り気じゃない。一人で行くと大変にお金が掛かるのだけど、そこに行けば、私はテュニジアの世界遺産を全部制覇したことになるので、是非に行きたいのだ。イシュケウルは、テュニジア唯一の自然遺産だしね。 授業後、ケフタージーのサンドイッチを初めて食べた。そこの店の味が良かったのか、前にプレートで食べたときより辛くなくて、おいしかった。サラダ・メシュウィーヤの赤いバージョンで、すりつぶし野菜がいっぱい入っている。
メディナへ行き、知り合いの人の写真を撮りまくる。ワシーラって、絨毯織りのおばちゃんのところへいったら、「帰る前にもう一回おいで、ちっちゃいプレゼントを用意しておくからね」と言われた。それから、服を見ようと思って馴染みの店へ行ったら、問題のフロアは閉めた後だったので「またおいでー」と言われた。悔しい。おじーちゃんの土産にするシェシアっていう帽子を買おうと思って、シェシア・スークへ向かった。前回気に留めていた本屋がすぐそばにあるのだけど、今日もまずそこへ立ち寄った。今まで何度も通り過ぎていたが、いかにも観光客を相手にしてそうで、敬遠していたのだ。でも、確かに観光客向けなんだけど、テュニジア関係・アラブ関係の本ばっかりで占められているので、普通の本屋で探すよりは有効に探せる。今日、私が発見したのは、英語で引く「仏語・アラビア語辞典」、巻末に仏語・英語のインデックス付き。35DT(3500円弱)。安い。ちょっと迷ってしまった。それから、1950年代パリ発行の研究書。テュニジアの遺跡から出てきたらしい古文書の解説書だ。その一冊を手にとって「これ何ー?」と訊いたら、店主はシリーズをどさっと出してきた。1冊165DTなのに、全部で9冊! 最初の1冊は原文と仏語訳。あとは、単語の解説、つまり辞書。アラビア語と言っても今の字と微妙に違うので、ルールを知らないと読めないのだが、店主は詰まりつつも読んでくれた。私はさすがに15万円も払う気はなかったので(1冊くらいなら買えるけどセットでないと意味がないし)、他の本を見る。店主はやたらと物知りで、歴史の解説とか宗派の説明なんかをしてくれた。それを聞きながら、本屋になるなら、絶対こういう店主になろう!と思った。なら、専門書の店がいいな。アラブ専門書! あああ、売れないって、そんなの・・・
結局時間がなくなって、そのままカリグラフィーの教室へ。なんだか、もう基礎は終わったようで、自分で作品を書いてきて、それを先生が添削してくる形式らしい。うむむ。今週時間がないのに、また作品を作らねばならないのだ。同じクラスのおばちゃんが、家に招待してくれるというので、約束をした。家庭のクスクスー。大好きよ。けど、それより、犠牲祭に招待してくれる方が嬉しいんだけどな(←わがまま)。ああ、羊捌くの見たいよぉ。
2000年2月20日
昼頃起きて、のそのそと食事して、あとはPC。
3時過ぎ、HPの更新作業をしていたらフェディが呼ぶので、窓を覗いたら、おもちゃの銃を持って「ばぁん」って。かわいぃぃ。私がふざけて壁の陰に隠れたら、しかえしとばかりに自分もお父さんの脚の陰に隠れる。。「ほら、彼女はネンネしたよー、ネンニしたよー。フェディもネンニするー?」って、ヌールが言うから、びっくりして聞いた。「ヌール、”ネンニ”ってどういうこと?」「寝るってことだよ」「それ! それ日本でも同じよ。寝ることを”ネンネ”っていうの!」って嬉しくなって言ったら「でも、子供の言葉だよ。ちっちゃい子が使うんだよ」「うん、日本も同じよ」。最近、幼児語がホットだ。「まんま」(テュニ語の幼児語ではお菓子とかを指すみたい)とかも、そうだったし、調べると面白いだろうなぁ。うー゛。
2000年2月19日
目が覚めたら、窓から光が漏れていた。・・・え゛? やばいっと思って時計を見て起きあがる。着替えて髪の毛といて顔を洗って、そのまま外へ飛び出す。タクシーを捕まえて、「急いで、急いで!(フィーサー、フィーサー)」と急かす。補習校に突いたら11時半を回っていた。地下の教室に飛び込んで、「すみません!」。今日の生徒(Nちゃんの家族は旅行に行ったので、Nちゃんのお母さんが見ている生徒を代わりに教えることになっていた)小6のYちゃんが「どうしたんですかーぁ?」って訊いたけど「言い訳になるから何も言わない、ごめんね」とだけ言って、すぐ授業に入った。すんごくやりたいことがあったのに、できなかったよ。彼女にも申し訳なかったし、Nちゃんのお母さんが来週続きをするかと思うと、それも申し訳なかったし、自分としてもやりたいことが出来なくて悔しくて。学校の先生が、休まず出てくるっていう気持ち、分かるような気がするなぁ。
由美さんに、テュニ語・英語辞典を貸してもらって、家に帰った。ご飯を食べて、借りてきた漫画を読んだ。
スークへ買い物に行こうと思っていたけど、一旦家に帰ったら出かけるのが億劫で、やめて荷造りをすることにした。近所の店へ行ったら「まだ品物が入らないんだ、今日か明日か。待ってるんだけどなぁ」と言われて、段ボール箱はまた手に入らなかった。プリンターを片づけようとして、卒業証書の印刷をしてなかったことを思い出し、さっさと作ってしまう。けど、一旦PCを立ち上げると、なかなかそこから離れられずに、結局メールチェックして云々して、ああ、目が疲れるな。明日も起きるの遅いだろうな。なんて思う。明日はまあ、約束は夜だから問題ないけど、それまでに宿題しないといけない。
2000年2月18日
最近同じ人から、非常識な時間に何度も電話が掛かってくるので、電話の線を抜きっぱなしだ。でも、それだと困るので、たまに線を入れる。すると、またいたずら電話が掛かってきて「元気か?」とか言う。私が無視しても何回も掛けてくるし、受話器を上げたまま机に伏せておいても、延々受話器の向こうで「アロー、アロー」と言い続ける。だから、また線を抜いてしまう。この繰り返しだ。
今朝は10時頃に起きて、ばたばたと用意をして、11時前に家を出ようと扉を開けた。けど、ちょうど出かけるところだったヌールとフェディに見つかってしまった。「かー、かー(私のこと)」ってはしゃがれると、邪険に出来ない。早く出かけたいのに、フェディはなかなか買い物に行こうとしてくれないし。
なんとかタクシーを捕まえてきて、ローズウォーターの入った5つの箱を詰め込んで、空港近くの郵便局へ。郵便局員に運ぶのを手伝ってもらう。そこで箱の文字を消すためにテープを貼り付けたりしていたら、終わったときには1時近くになっていた。でも、やっと終わったから嬉しい。
空港まで歩いていって、バスに乗る。市街地へ出て、本屋でアラビア書道の本を買い、前から食べてみたかったパン屋でパンを買い(当たりだった♪)、スークで、自分用の土産に買いたい羊毛ブルヌス(テュニジアンマント)の値段を調べた。これは、ツーリスティック値段が68DTという値札がついてる奴で、私には35から始まった。テュニジアでは、アラビア語を使うだけで値下がりするんだよ。「イヤイヤ」と言い続けて22DTまで下がったから、今度はもっと頑張って20DT以下を目指そうと思ってる。もっと実用性のない衣装(日本人の想像の範囲にあるようなアラブチックな服)も買いたいと思ってるんだけどな。それから、スークの馴染みの店に行って、「1ヶ月後に帰るから写真撮ってー」と言って撮ってもらい、その足で、カリグラフィーの教室へ向かった。
今日は3時から、展示会だったのだ。日本人の先生が来るとかいう話は、どこかでねじ曲がっていたらしく、うちらの先輩で現地で働いてる人が、来年の日本の書道家とテュニジアの書道家の合同展覧会実施の下準備のため、取材に来てただけだった。あんまり来る意味はなかったかも、とは思ったけど、まあ比較的有意義だったかな。Aちゃんの友人リンダにも会えたし。
2000年2月17日
今日は、昨日仕上げたカリグラフィーの下書きを、どうやって清書するのか?ということを、友達のところへ聞きに行った。肝心なことが分かってなかったのだからどうしようもない。そのあと、クラスメイトにそれを見せたら、感心されてしまった。まあそりゃそうかもしれない。アラブ人でもみんなが書く訳じゃないんだから、日本人がやれば驚くだろう。
休憩時間に、遅刻してきたアムナを見た。むちゃくちゃ久しぶりだったのと、写真を撮りたくて待っていたので、凄く嬉しかった。思わずアラビア語で「元気?」って訊いてしまった。
授業が終わって、慌てて階段を駆け上がりアムナのクラスへ行ったら、なんかみんなが席を立って、帰るでもなくざわざわしている。しかも、クラスを変わった筈のインドネシア人・トルキーやドイツ人・ハンスもいる。どういうこと?ってジェスチャーしたら、みんなが「よく来た、よく来た。入れ入れ」と言うんだ。首を傾げながら教室へ入ったら、今まで死角になっていたところに、イエメン人・マッド(アラビア語式にはマアド)がカメラを持って立っていた。近くに来たアムナが「マッドが明日ヨルダンへ帰っちゃうのよ」と解説してくれた。はあ?! なんで明日なの?! とにかく、いいところへ来たと自分でも思い、みんなが勢揃いする中へ自分も割り込む。なんか最近写真ばっかりだな。先生は「(malka)もいるし、トルキーもいる。みんな来てくれてよかったねえ」と満足げに言った。いや、偶然なんだけど(^^;; それからアムナと写真を撮って、忘れないうちにマッドを捕まえて住所を聞いた。でも、その住所はイエメンだったから、「ヨルダンへ帰るって、また勉強でもするの? それとも親兄弟がいるとか?」とクエスチョンマークが飛んだ。そういえば、この間写真を撮ったとき、マッドがいたかどうか覚えてない。マッドに写真を送ってもらわないと。
家に帰ってご飯を食べて、カリグラフィーに取りかかる。鉛筆の下書きにペンで上書きをして、さっさとコピーしに行った。けど、近所のコピー屋さんは、なんか調子が悪くて、変な横線が入る。うーん。隣の文房具屋でトレース紙を買って、下書きを写そうとしたけど、ペンがにじんでうまくいかないから諦めてしまった。高かったのになぁ。
2000年2月16日
今日は朝と休憩時間に、教室でカリグラフィーの下書き、昨日もやってたけど、みんなが面白そう見に来る。私もさっぱり読めないデザインの文章なんか(文字で絵が描いてあったりするもの)、隣のアミラが自慢げに読んでくれたりする。でも、後で「これは分からないーっ」とか言い出すのが、凄くかわいい。休憩時間に、ペドロが私のところまでやって来て、私が必死になってるのを覗き込んで質問なんかしてきた。どうも私と話がしたいらしいのだが、私も今週はそれに付き合ってられない。「金曜までに仕上げないといけないのよ」と言って、せっせこせっせこペンを動かしてると、ペドロも残念そうな雰囲気を漂わせながら、他へ行ってしまった。
授業が終わって、昨日来てなかったパレスティナ人ラダと、テュニジア人とドイツ人のハーフのマヌエルに、写真撮ってーって頼んで、3人で撮ってもらった。早いことフィルム使い切って現像して、焼き増ししないと。
ばたばたと階段を下りて学校を出たら、ペドロがそこにいて、「どこに住んでるの?」って訊いてきた。「メンザ5」「メトロで帰るの?」「ううん、バス。あなたはどこに住んでるの?」「シテ・オリンピークだよ、メトロで」「ああ」そこまで言って、言いたいことが納得できたので「でも、たまに私もメトロで帰るよ。シテ・オリンピークの次の、12月10日駅で降りるの」って言ってあげた。「じゃあね」って帰ろうとするから「今日はメトロで帰るよ」って言って、ついていった。なんかペドロ、むちゃくちゃ可愛いぞ。食事はいつもどうしてるのかとか話をしながら、駅へ向かう。「今日は青年(ジュネス)駅で降りて、大学寮の食堂へ行くんだ」「へえ、一緒に行ってもいい?」「学生証がないと駄目なんだよ」「そっかー」なーんて話をしてたら駅に着いて、ついでに電車も来たので慌ててチケットを買って乗り込んだ。
ふうと息を付いたら、後ろから仏語で「どこへ行くんだー?」と名前を呼ばれて、びっくりした。振り向いたら、クラスメイトのアハマドがいた。「家へ帰るんだよ」「いつもメトロに乗ってる?」「ううん、バスだよ。今日はペドロと話をしてたからね」ペドロの方を見ると、こっちには無関心と言った感じで、背中を向けている。おやおや。「あなたもジュネスで降りるの?」「そう」けど「どこに住んでるの?」って聞いたら、全く反対方向の地名を言ったから、昼から授業なのかもしれない。ここからアハマドはアラビア語になる。「なんで最後まで(6月まで)授業を受けないんだ?」とか「英語は話さないのか? ブルギバスクールにいる他の日本人はみんな英語を話すじゃないか」とか、そういう質問。あんまりペドロが気の毒になったので、途中で「ペドロはいつまでテュニジアにいるの?」とか質問をする。質問には答えるけど、アハマドがいるからだろう、ペドロはこっちを向いて質問したりすることがない。私もアハマドの質問に仏語で返していたけど、分からないところはアラビア語で返す。アハマドもアハマドだよね、ペドロがアラビア語分からないからって、わざとやってるんだよ、きっと。私と話をするだけなら仏語でいいのに。私のアラビア語が聞きたいなら、私が仏語で返すときに、そう言うはずだしね。全く・・・、この二人は。二人が降りたとき、じーっと見てたけど、話をする様子が見られなかった。クラスじゃ話もするじゃないか。もしかして、この間学校の事務員に言ってた「彼はユダヤ教徒だよ」っていうの、冗談じゃなかったのかな?? んー、でも、クラスじゃ普通だし。これはやはり、「日本人ってもてるねー」って、笑っておくのがいいんだろうか。うーむ。面白いから明日もメトロで帰ろう。
2000年2月15日
授業が始まる前に、先生に「10時になったら、写真撮ってもいいですか」と訊いた。「どうして? 3月で帰るの?」と先生が驚いた。この間のテストのときに言ったのに、やっぱり忘れてたんだなーと思いながら、はいと答えたら、「テュニジアでうまくいってるのに・・・」と先生は言った。
授業中、先生がいつものように「赤のペンはどこへ行ったかしら」とか「私の本はどこ?」とかやってると、めざとく私が「先生、そこです」と言う。すると、先生は「ほらー、あなたがいなくなったら誰が見つけてくれるの?」と真面目な顔で(笑)非難する。ちょうどそのとき、希望や意志の主張の表現を習っていたので、先生はそれすらも格好のネタにして「ほら、あなた達も言ってやりなさい。”彼女に私たちを見捨てないように願う”」云々・・。私だってもう3ヶ月いたいけど、いたら日本へ帰ってからが大変なんだものーっ。けど、今日の授業中、そうだ、先生に「日本に帰って何をするの、卒業したら何の仕事をするの」と訊かれたとき、最初その全ての意味が分からないまま「言語学」と言おうとして語尾が曖昧になり、その”linguistique”を、先生が「linguiste(言語学者)」と聞いたのだった。それを聞いて、ああと思った。いつだったか、言語学者になりたいって思ってたときのことを。その瞬間にハッと脳裏を横切った「アラビア語の方言学がしたい」って言葉は、一体何だったんだろう。お告げかな・・・
10時になって、クラスのみんなと写真を撮った。先生とはツーショットで。それから最初にいた初級のクラスにも行って「お願い、写真撮りたいから、12時にここに残ってて」と頼んだ。それから後輩のTくんのところへ行って、補習校の日付変更の連絡をした。だから、金曜日までに作品を書くことは決定してしまった。急がないとやばいーっ
放課後、初級クラスで写真を撮るとき、イエメン人のサーミーがやけに渋って、結局入ってくれなかったみたい。それで、サーミーは「ごめんよ、だけど、どうしても」と何回も謝ってくれた。けど、今日はアムナが来てなくて、私は凄く残念だった。彼女はお医者だから、たぶん仕事が忙しいんだろうけど。また撮ろう。
家に帰って、ご飯食べて洗濯をして、カリグラフィーのデザインに取りかかる。自分の名前と国籍を文字にして、それの配置と、どんな装飾を付けるかを、延々練る。大体決まったら、試しの下書き。はーあ、時間がかかる。
2000年2月14日
今日はバレンタインデイなのだ。授業前、パレスティナ人・ラダが、同じパレスティナ人の男に向かって、両手を広げて「今日はバレンタインでしょう、見てよ。赤を着てきたわよ。マダムに見せたら、薔薇みたいねぇって。どう?」とやっていた。すると、同じパレスティナ人のナリマンがやって来て、「どう? 私も赤よ」と見せびらかす。私の頭の中は「???」。そこで二人に話を聞こうと席を立ったら、二人とも出ていってしまったので、後に残った男の方に(名前忘れた)「ねえ、パレスティナじゃ、みんなバレンタインに赤を着るの?」って訊いたら「男はしないから知らないよ」と言うような返事をもらった。そこで、教室の外へ出ていくと、ラダが、パレスティナ人のマハムードに向かって「ねえ、赤はどこよ、赤は!」と言っていたので、更に「???」。
休憩時間になったので、Cap−Vert人のペドロのところへ行って「今日はバレンタインでしょう? あなたの国じゃ、何をするの?」と訊いてみた。「恋人に贈り物をするよ。それから、休みを取って、海なんかに出かけたり・・」と言われた。その話を面白そうに聞いていた、ロシア人・ラダがやって来たので、彼女にも訊いてみた。すると「特に何もしないわよ。ああけど、忘れてた。彼に何かしようと思ってたのに」みたいなことを言っていた。決まりはないけど、何かするってことかな? で、モーリタニア人(以前ここにパレスティナ人と書いたが、モーリタニア人だった)アハマドにも訊いてみた。「おれんとこには、そういう祭りはない」と一言。うん、それはそうだな。「でも、ラダやナリマンは赤い服を着てきてたよ?」と言うと、私のズボンを指さして「じゃあ、お前もバレンタインだから赤を着てきたのか?」と言う。「違う違う」と言ったら、隣に来た、ロシア人・ラダにも「お前もバレンタインだから青を着てきたのか?」。「私はいつもこうよ」。
授業後、あまりにも気になったので、パレスティナ人・ラダを捕まえて訊いてみた。「ねえ、パレスティナじゃ女の人はバレンタインに赤い服を着るの?」すると、ラダは少し照れたように「ああ。違う違う。私たちが好きでやってるのよ」ということを何語で言ったのか忘れたけど、言ってくれた。つまり、気分に浸りたかったってことかな? やっぱ、アラブ人がヨーロッパのお祭りに参加するってことはないか。なーんだ。
しかし、今日の授業はハードだった。私も当てられて意見を述べたけど、もーお、しっちゃかめっちゃか。単語が出てこないー。つっかえつっかえ、先生に訂正されながら、それでも何とか意見を主張できたので、とりあえず満足した。よしよし。そして、新しい時制が出てきて、その活用が、今までの活用と混ざってる感じで、訳が分からない。今日は絶対に復習しないと駄目だぁぁ。
午後。今日のカリグラフィーの授業のはじめに、先生が「今週の金曜日に、ここに日本人の先生が来ます。是非とも日本人の皆さんには参加してもらいたい。自分の名前を作品に仕上げて、色づけをして持ってくるように。友達も誘ってほしい」とかいうことを言った。んで、このへんがイマイチ不明だが、2001年6月まで展示?する、とか何とか。そして、自分が作った名前は、縮小コピーして、以後作る作品の名札にするのだとか。ふむふむ。ちなみに、来る日本人というのは、我々外大生の間では著名な本田孝一先生(東京外大)ではないそうだ。私は夏期講習で本田先生に書道を教わったことがあるが、とても好感の持てる先生だ。それはともかく、金曜日には日本語補習校があるので、その日程を変更しないことには、先生の期待に応えることができないのだった。日本人もやめる人が増えたから、今の段階で「行く」と言える人は、2人だけだろう。うーむ。。。
その金曜日に興味があったので、補習校の生徒の家に電話して、変更できないかと訊いてみた。一軒だけ電話がなかったので、明日事務所へ掛けねばならなくなった。しかし、他の皆さんは了解下さったので、金曜日は行けるかもしれない。そうなると、作品なんか作ったことないのに、金曜日までに作らないといけないのだった。うわぁ、やば。
2000年2月13日
電話の音で目が覚めた。寝ぼけながら「アロー」と受話器を取ると、「ボンソワー」と言われた。へ? 朝じゃないの、何寝ぼけてんの、この人。と思いながら「ボンジュー」と答える。「あなた誰?」と一応訊く。絶対間違い電話だと分かっていても、一応訊くのだ。でも、答えない。彼は、なんか早口のフランス語で言った。それから、「アラビア語はなせるか」と訊いた。「ちょっと」と答えてから、何を真面目に答えてるんだ!と我に返る。「話してもいいかな」と奴は言った。「Non。今、何時?」訊いたけど相手が黙りこくるもんで、私は電気をつけて時計を見た。なんと、「2:38」と表示されていた。そりゃ「ボンソワー」って言うわ。私が時計を見てびっくりしてると、奴はまた言った。「話、してもいいかな」「Non!」がちゃ。何考えとんねん。せっかく早く起きようと思って早く寝たのに!!
朝7時頃起きて、8時15分に出かけた。目の前でバスに通り過ぎられ、仕方ないからメトロに乗って2駅、目的地の柔道場まで急いだ。会場に着くと、日本人が見当たらない。一人いたので訊いてみると、テュニジア人の試合だそうで、領事の加賀美さんが出るのは12時。大使館関係の人たちが来るのも11時くらいだってことだった。つまんないなーと思ったから、12時くらいにまた来ることにした。カメラを持ってきていたので、近所の体育館(その辺のシンボル)をカメラに収めようとアングルを探していた。ら、Aちゃんが登場。彼女も私の話を聞いて、「じゃあ帰る」と言った。私は、一旦家に帰ると来ないだろうと思ったので、彼女と一緒にメトロに乗って。テュニス市街地まで出た。
彼女と別れてから、「カメラ持ってるし、メディナまで写真撮りに行こう!」と思った。日曜日だから、メディナの土産物街も半分閉まってて、撮りたいものが見つからない。HPに載せるためのかっこいい扉が欲しくて、うろちょろするけど、「この辺って、どこにいいのあったかなぁ??」。自称メディナ案内人、必死に考えて思いついたのは、19世紀の邸宅、ベン・アブドッラー博物館だった。そこへ行く前に、ひもじい生活から脱しようと、スークに買い物に行く。途中で変な奴に声かけられた。彼はしきりにフランス語で数字を繰り返してたから、たぶん女を買いたいって類の奴だろう。けど、何言ってんだかさっぱり分からなかった。あっち行けと手を振って、ベン・アブドッラーまで裏道近道を走る。そこまでついてこられて大変迷惑だった。ベン・アブドッラーまで来て、中の管理人に声を掛け「写真撮ってもいい?」とアラビア語で訊く。「ああ、お前、前も来たことあるだろう」と彼は言い、一言二言会話してから、例の男を無視して走った。
次の目的は、ベイの墓だ。その近所にあったが、入ろうとするといつも時間が過ぎて閉まってしまうので、私は入ったことがなかった。でも、今日は違って、開いていた。手招きされたから入ってみた。ここは、ほんとにお墓がいっぱいあった。ちょっとしかないのかと思ってたのに。ベイの墓はシェシア(トルコ帽、シルエットは四角)が、石棺に立てられた棒の先についてて、パシャの墓はシェシアの替わりに、インドの王様みたいな、シルエットが円盤の帽子をかぶっていた。王子の墓もシェシアをかぶってた。妻や娘の墓は、棺の両端に石版が立ってるだけ。中には石棺の表面に浮き彫りが彫ってあったりする。女の石棺には、側面にも彫り物がされているのもあって、そのデザインは花と三日月。これがとても繊細で綺麗だった。石棺の表面の真ん中に、花の絵が浮き彫りにされていることがあって、これは何かと訊いたところ、葬式のときに、死者が鳥になって(?)戻ってくるように、みたいなことを祈りを込めるんだとか(大間違いな聞き取りかも知れないけど、ごめん。フランス語メインで、アラビア語の単語混ぜて聞いてたのだ)。とりあえず、このマークはトラディッショナルだと言っていた。
さて、そこからメディナの土産物街に戻り、とある金属皿のお店のおじさんに頼んで「写真撮りたい!」とせがみ、シェシアかぶったおじさん付きで撮ってきた。これで、シェシアの写真もゲット、と。
また柔道場に戻る。テュニジア人の試合は、どうやら全国大会だったようで、団体戦。団体といっても男女混合。男が4人だか5人だかいて、女は3人(たまに欠けて2人)。結構な盛り上がりを見せていたし、私が思っていたよりずっと「試合になって」いた。だって、テュニジア人は全体的に運動神経悪いって聞いてたから・・・。もちろん、サッカー以外は、ってことだけど。12時半頃に準決勝までが終わり、加賀美領事の出番だ。橋本さんという人が投げられ役になり、いろいろの技を披露。やっぱりピシッと決まるのがかっこいーねぇ。私たちの周りでは、テュニジア人が紙とペンを用意して、その辺の日本人に、自分の名前を日本語で書いてもらっていた。最初は漢字で格好良く当て字を付けてあげていたようだが、そのうち面倒くさくなったらしく、片仮名になっていた。それを読んでーとせがまれたのだ。私の列の前では、私の教え子Nちゃんが頼まれて書いていた。彼女は、まだ満足に片仮名が書けないのだ。彼女が2つほど書いたようだったので、そのテュニジア人に頼んで見せてもらった。最初のは片仮名。しかし、「ミ」が逆になったのを消して書き直してあった。次のは、諦めたのか平仮名になっていた。うーん、いかん。カタカナをもう少しやらねば・・・。決勝戦が終わり、表彰式になった。日本大使の前に一列に並び、4等だか5等だかのチームがカップをもらう。次はテュニジアの柔道協会か何かのお偉方が出てきて、3等、2等・・・と表彰が続くにつれ、その場所は混雑を極めた。ぐちゃぐちゃでどこが表彰されているのだか、分からない。テレビカメラと、普通のカメラを構える人が進み出て、受賞者はニカっと笑ってそこに収まるのがメインのようだ。式というものじゃなくて、なんかバタバタしてる。ここにもお国柄が・・って感じ。
レセプションが終わると1時半を過ぎていた。来ないメトロを待ってから家に帰ると2時を回っていた。買ったエンドウ豆で簡単に食事を済ませたのは、3時が過ぎてからだった。
今日も時間が過ぎていく。あああ、テキスト、単語調べてない・・・っ
2000年2月12日
ねむいー。そろそろ荷造りしなきゃなあと思い、本棚の本を段ボールに入れてみた。重い。まだ授業で使ってる辞書とかもあるし、本だけで結構な量になる。プリンターだって、旅行するから持って帰れないし、PC周辺機器もやっぱり郵送になるだろう。そうしたら・・・えらいお金かかるなぁ。その前に、しっかりした段ボールを集めないと駄目だ。近所に頼んでるけど、あんまりいいのがないらしく、いつ行っても「うーん、明日」とか「午後」とか言われる。「午後」と言われた場合は忘れてたりして行かないから、ほんとに入ったんだかも分からない。こっちの段ボール箱は1重だから、薄くて弱いのだ。日本の段ボールが恋しいよ。
にしても、最近部屋の散らかり具合が酷くて、片づけるのも億劫だ。ほとんどが紙の類なのだけど、手紙とかも埋もれていて、いかん。片づける時間を他のことに回すからいけないのだけど。散らかしたのは、風邪の時期だと思われるし、うーん、いかんいかん。今日は簡単に掃き掃除はしたけど、机の上までは・・うーん(^^;;
2000年2月11日
今日は12時起き。履歴書を書くのを忘れていたので、慌てて書いた。
4時からの日本語補習校、今日は新しい単元に入った。私の教える小1のNちゃんは、四月から日本の小学校に入る。ので、私の荷も結構重い。教師用のテキストに解説が書いてある単語なんかは、結構知っていて、ちゃんと答えが返ってくる。しかし、意外なところに落とし穴があったりして、今日は「2月」と「2ヶ月」の違いを、延々やった。英語を使ったりカレンダーを使ったり。教科書の内容では、「ライオンの赤ちゃんがお乳だけを飲むのは2ヶ月」ということだったので、「1月1日にライオンの赤ちゃんが産まれたとしたら、いつまでお乳を飲んでるの?」と訊いてみたり、「1年は何ヶ月でしょう」「1ヶ月は何週間?」「1週間は何日?」という問題までやった。なかなか侮りがたい。伝わらないのは苦しいな。一応納得してくれたようだったけど、どうかなぁ??
2000年2月10日
今朝、バスの中で久しぶりにワリードに会った。去年同じクラスだったテュニジア人だ。ワリードは片親が確かフランス人で、おばあさんか誰かがイタリア人で、更にカラチというヨーロッパ人らしからぬ姓を持っている。いかにもあちこちの血が混ざってますという感じだ。だからかもしれないけど、彼はテュニジア人にしては、結構理解力がある。人に気を遣って性格は細やかだ。だから、私も彼のことは結構認めている。そんじょそこらの軽いテュニジア人とは違うなと。彼に会って一言でも話をすると、心が和むのがいい。今日はフランス語に関して励まされて、なんか凄く嬉しかった。
今日の授業の後半は、プリントをした。うちのクラスの医者の卵たちには是非に覚えてもらいたい、医療健康関連の単語ばっかし。おかげで頭が疲れた。ついていけん。覚える単語がいっぱい・・・
授業が終わって、今日はまっすぐ家に帰ってきた。洗濯をして、昼食を食べて、後は本を読んだり、メールに返事を出したり。エントリーシートを前にして、今日こそは書かねば!と勢い込んで必死に考え込んだ。結局それに時間をとられて昼寝は出来なかった。
2000年2月9日
今日は他のクラスが一様に年間中間テスト(うちのクラスは期末テストをした)をするので、教室を交換することになっていた。クラスメイトに言われて気が付き、教室を変わってそこで宿題をしていたら、アミラが「これ、あなたのでしょう?」となくした筈の私のペンケースを持ってきた。「ああ! ありがとう! 探したのよ、どこにあったの?」と訊いたら、正確には分からなかったけど、何やら物陰に落ちていたらしい。誰かがけっ飛ばしたかな? 何にせよ、戻ってきてよかったぁ。
睡眠不足で、やたらと眠い! 頭をぽかぽか叩いたり、こめかみ押さえながら必死に授業に耳を傾けようとしている私を、先生は具合が悪いと思ったらしい。前半は私の番も飛ばされてしまった。休憩が終わってカフェで目を覚ますと、俄然元気が出てきた。後半の授業の最初は、誰かがテキストを読んで、誰かが発音を訂正する・・というのをやった。最初はただの本読みだったんだけど、何人かがやたらと訂正を入れるから、訂正係が出来たというわけだ。私も何回か叩かれた。むぅぅ。その後、フランス人の好きな言葉リスト・嫌いな言葉リストというのが教科書にあったので、それぞれ10個ずつ書くことになった。他人の価値観が分かるみたいで面白かった。自分のボキャブラリーの中から必死に探す人、思いつく単語を辞書で(仏・アラとか仏・英だから、知ってるフランス語から調べるしかない)引く人。なぜか私は、今日に限って日仏を持っていたので、アミラが横からアラビア語で「***って単語調べて」。しかし、その単語を私は知らなかった。「これの反対語よ、知ってる?」ああ分かった! その単語の意味は”正義”という。しかし、咄嗟に「正義」の反対語なんて出てこない。日本語でなんて言うんだーー?! 結局「正義」を引いてjusticeって単語を見た瞬間に、自分のお馬鹿なことを知ったのだけど。接頭辞付けたらいいやん。確か仏語も英語と一緒だったはず・・。他、教科書にブルジョワジーを詠った詩があって、「朝食にはダノン、歌を聴くならトムソン、飛行機乗るならエールフランス」みたいにメーカーや社名がそのまま出てくる。そこでチャイムが鳴ったので、宿題は「おんなじように一から想像して作ってくること」。「服を着るなら」「髪を洗うなら」「靴を履くなら」などなど。そんなん、出てこんってば。せいぜい「車乗るならトヨタ」「音楽聴くならソニー」くらいだね。
今日はまた例の本屋に行って、仏英英仏辞書を買った。私の英語力のあまりの低下に泣いたので、これはさすがにやばいと思って、ちょっと焦ってる。面接ではったり利かせるのも無理があるなと思うほどだった(^^;;
いろいろやること済ませて、4時から6時まで寝る。よっぽど疲れてたようだ。途中で電話に起こされたけど、間違った電話場合を教わった彼に罪はないし、すんごい丁寧だったし、フランス語を話したって意味で、満足することにした。
この目が疲れるのはPCのせいだろうし、勉強するのに目が疲れてたら洒落にならないから、今日こそは!すぐに終わってやる! でも、仏語の日記を書くためには、まずこの日本語の日記を書かないと駄目なのだった。はにゃぁん。
2000年2月8日
昨日、大使館で気づいたのだが、ペンケースがない! どうも学校に置き忘れてきたようだ。けど、昨日は午後から授業がなかったので、面倒だしまいいやと思っていた。だから、今朝学校で訊いてみたのだが、「なかった」という答え。ということは、誰かが盗っていったのか。中身が大量にあったのに、勿体ない。まあ、誰かが使ってくれるならよしとしようか(但し、ペン糊なんか使い方分かるかなぁ?)。はーぁ。
授業は比較級を習った。テキストの問題で「あなたの知っている運動選手の名前を挙げ、以下の単語を使って比較しなさい」というのがあった。私は困って「先生、スポーツ見ないんで、人名なんて分かりません」と言った。結局同じような人が何人かいたので、この問題は没にされ、上げられていた単語だけ見ていくことになった。ところが、みんなの反応が悪い。やったことないスポーツを上げられてもいまいちわかんないのだ。先生は驚いて「私はほとんどのスポーツをやったことがあるわよ」と言っていたが、日本じゃそんなにやらない・・。砲丸投げなんて、女子の授業になかったよ(ソフトボール投げはあったけどね)。
授業後、今日はバスはいつも通りの本数が走ってる。一応確認のため、大使館に行って、ペンケースを探したがやっぱりなかったので、昨日行った店にまた行って、日本製のペンを購入する。本物かどうか疑わしいけど、その店はアメリカ産やドイツ産もあったから、たぶん大丈夫だろう。
そしてまた歩いて家に帰った。お昼ご飯を食べながら、昨日ネット上からHDに落としておいた小説を読み、しばし幸せに浸る。
2000年2月7日
休憩時間に、クラスの人に訊いてみた。「柔道好き?」。反応を見て「13日にデモンストレーションがあるんだけど、見たいなら招待券あげるよ。今日大使館に取りに行くんだ」・・・で、結局ほとんどの人が欲しいと言ったので、私は授業後に取りに行くことになった。
授業が終わって教室を出ると、日本人の友達に会った。そこで「今日、午後の授業ってないんですよね?」といきなり言われた。「なんで?」と訊いたら「なんか今日サッカーがあるから、バスとかの交通機関が止まるからって、先生が言ってましたけど」・・・。「この間タクシーのストがあったばっかりで」またそれか・・と私は思った。「サッカー見るからそれどころじゃないって」。で、でも、ってことは交通機関が止まってしまうと、帰りは歩きか? 今日のカリグラフィーはどないしよう? Aちゃんに、ノートを貸したとき訊いてみたら「カリグラフィーもやらないでしょう」って言うから、それもそうだと思い、そのまま大使館に行った。
・・したら、肝心の招待状が品切れだった。けど「でも、招待状なくても入れますよ」と、当日の演技者である領事が言ってくれたので、地図をコピーしなきゃなぁ・・と考えながら、大使館を出た。
まだ1時である。しかし、バスが来ない。普通だったら目的のバスが来なくても他のが走っているのに、反対車線にしか通らない。なぜだー?! 待つのも鬱陶しかったし、待ちすぎるとほんとにバスが来なくなりそうだったので、先日教えてもらった本屋を訪ねていこうと思い、歩くことにした。その本屋へは、学校から大使館への距離と同じくらい歩けばよかった。結局その本屋はもう昼休みで閉まっていたが、近所で別のものを買い、そこからだと自分の家まで今歩いたのと同じくらいの距離を歩けばよかったので、結局歩いて帰ることにした。どうでもいいが、今日の午前中は上着を着ていないと震えるくらいだったのに、この暑さと言ったらない。上着を脱いでも暑かった。とても陽気ないい天気だ。なので、道々花を摘んだりしながら、鼻歌歌って帰った。日頃そんなことしないし、あんまり通らない道を歩くのが楽しかった。家の近所、モーリタニア大使館の近くに、バハレーンの大使館があるのを初めて知ったし・・・(^^;;;
家に帰ると2時だった。近所に買い物に行くと、「今日、午後は授業がないだろう?」と当たり前のように言われた。「今日はサッカーがあるからな。みんなサッカーを見るよ。テュニジアとエジプトだ!」「どこで?」「ナイジェリア」「何時からやるの?」「4時からだよ。テレビないのか?」「動かないんだよ」「それは大変だ」・・なーんて会話をしてから、家に帰って昨日の残りのシチューを食べた。
3時半になって、隣に家賃を払いに行った。4時になったら相手をしてもらえないかも・・と思ったのだ。行って「サッカーがあるから授業がないのよぉ」と言ったら、「そりゃそうだろ、大統領だってお休みだよ」って言われた。ヌールが帰ってくると、準備をしていたライラに「ご飯はもう食べた?」と訊かれた。この時間にご飯って、昼か、夕御飯か? どっちだ・・・? わかんなかったので「2時に食べた」と答えた。グライバとコーラをいつものようにもらい、いつものようにフェディ坊やの相手をして(今日は機嫌が良かった)、頃合いを待った。サッカーの中継は4時前に始まり、それぞれの国歌が流れ始めた。私はエジプトの国歌はちょっと歌えるが、テュニジアの国家は歌詞を聴いたことがない。そうライラに言ったら「じゃあ、後で歌詞をアラビア語で書いてあげる」と言ってくれた(しかしこれを書いてる時点でもらってない・・忘れちゃった)。私が大家の家にいる間に、テュニジアが点を取った。ライラはもう大はしゃぎで、友達に電話を掛ける。・・・おいおい。「ねえ、今の見た? すごかったねー」って、あなた、それは・・・。点数入る度に電話かけるとか言わないでね・・・。ヌールの用事が済んだみたいだったので、お金を払いにいった。領収書を買ったらしくて、なんか嬉しそうにどうだ、って見せられた。んで、番号のとこに「001」って誇らしげに書くの、かわいい・・・。で、ヌールの年が判明した。60ジャスト。彼の旅行歴を訊くと、フランス(5年住んでた)をはじめとして、スイス・ベルギー・イタリア・オランダ・ドイツ・スウェーデン・フィンランド・ロシア・ノルウェー・オーストリア・・・などなど、聞いててびっくりしてしまった。しかしアラブ圏には行ってないらしい。
さて、今日の試合の結果はいかに? まあ、勝てば、ライラが騒ぐだろうから嫌でも分かるけど・・・。また学校の前の通りは行進があるのかな・・?
2000年2月6日
今日は何をしたと言うことがない。昼に起きて、ミートソースに溶き卵放り込んでパスタに絡めて食べたでしょ。それから本読んで、ヌールが呼ぶからちょっと話したんだ。したら、手紙が来てたと彼が思いだしたんで、見せてもらった。大使館からの招待状で、2/13に柔道のデモンストレーションがあるらしかった。誰誘おうかなと思いながら「行きたいなら言ってね。またもらってくるから」って、たどたどしい仏語で言ったら、まだ分からないって言ってた。しかし、ほんとに誰を誘おうかな。
ヌールと話し終えたらもう6時で、今日の晩御飯は何にしよう・・・と野菜と睨めっこをしたら、カブと人参が柔らかくなってたので、煮込むことにした。昼間がトマト味だったので、最後のバターを使い切ってホワイトソースでシチューを作った。ははぁん、私もホワイトソースを作るのが上手になった、と思う。テュニジアへ来てまだ2回目なんだけどなぁ。
さて、今日はネットを程々にして、勉強しよう。昨日はネットの会社検索とかをやってたら寝れなくて、結局今朝寝たしな。
2000年2月5日
今日も昼まで寝ていた。お昼ご飯に、昨日の残りのカレーを改良して食べた。 実は昨日のうちに思いついて材料を買っておいたのだ。 成果は「今日の料理」を参照のこと。 あのコリアンダーの味がうまーく調和されておいしくなったので、かなり満足した。
2000年2月4日
睡眠不足解消のため、昼まで寝る。起きて何を作ろうかと考え、この間教わったばかりのカレーを作ることにした。小麦粉から練ろうかと考えたが、面倒なのでやめた。香辛料を入れるとき、クミンがなかったので、コリアンダーを使おうと思ってテーブル・カロウィーヤ(コリアンダーとカルヴィとかいうのの混合)をどかどか入れたら、なんか妙な味になった。他はパプリカと胡椒とターメリックを使ったのだけども、うーん、コリアンダーの臭いがきつすぎだな。次から使うのやめよう。それかちょぴっとにしておこう。煮込んでから、水溶き小麦粉を入れた。この方が簡単だ。妙な味だけどもそれなりにおいしかった。もしかしたらヨーグルトを入れすぎたのかも知れない・・・
補習校は、今日は節分の豆まきをする。由美さんが持ってきたひよこ豆を、みんなで投げ合う。みんな鬼の面をかぶっているので、妙な感じだ。そして、豆はすぐに尽きてしまい、豆拾いが始まる・・・これも妙な光景だった。みんな汗だく。
由美さんに、テュニジア方言の文法書をもらうことにした。辞書はもう売ってないそうで、凄く残念だ。コピーするにしてもあの分厚い本をどうやって・・・?という感じだしなぁ。
補習校が終わって、すぐ隣の家を訪ねた。先日HPを見つけてくれた日本人と会うことになってたのだ。彼女はテュニジア人の旦那さんを持っていて、今テュニジアの事務所で働いている。で、大使館以外で日本人に会ったことがないと言うので、私はちょっとビックリした。で、その旦那さんのアリーはブルジョワ家庭(?)育ちで、テュニジアには毎年2ヶ月くらいしかいなかったそうで、彼のフランス語はほとんどネイティブ、訛りがないのだという。実際、彼の発音は聞き取りやすくて分かりやすいし、奥さんのkeikoさんが仏語を習っていることもあって、辛抱強く聞いてくれるし、訂正入れてくれるし、会話の勉強としてはすんごくよかった。感謝感激。テュニ語もちょっと教えてもらえたし、しかも彼は日本語もちょっと知っているから、会話に困ることがない。ネタが出てくる・・・、なんでいつも私はネタに困っているんだろうと思ってしまった。ずっと謎だったアーティチョークの食べ方などを教わり、keikoさんには就職の話とか、かなり為になるお話を聞かせてもらった。うーん、先達はあらまほしきかな。また是非に遊びに行こうと思う。有意義な時間を11時まで過ごさせていただいた。これ、読んでらしたら「ありがとー」とまた言いたいです(^^;;
2000年2月3日
授業後、今日は一目散に家に帰った。ほんとは本屋に調べ物に行きたかったけど、今日こそはローズウォーター残り約30本を梱包してしまわねばならないのだ。1本5分で包んだとしても、全部で150分! そしてサンプルも買いに行かないといけないし、電話もしなきゃだし、結構忙しいのだ。なのに、月曜日はオーラルのテストもあるらしい。はにゃぁぁん。
お昼ご飯は、昨日作ったサラダをアレンジしてパスタを作った。しかし、2月だというのに冷製パスタなんぞ作ってどうする! マッシュルームなんて高いものを買ってしまうし・・・
4時になったので梱包作業を中断して、スーパーまで買い物に(そこのスーパーは4時から開くのだ)行く。ゼラニウム・ウォーターを買ったあと、キプロス製のコーンフレークとイタリア製のジュースが安かったのでつい買ってしまった。ああああ、余計な物を。しかも、安くなってても高いのだ。でもキプロス製って、惹かれるやんね? それと、文房具屋でアラビア語の人体図を売っていたので、面白いからと2冊も買ってしまった。本日出費しまくり! いいのか、月初めにこんなことしてて?!
2000年2月2日
今日、授業の前にクラスメイトのテュニジア人・ソマイヤが「英語喋れる?」って訊いてきた。なんでそんなこと訊くんだろう?と首を傾げながら「少し」と答えたら、英語で「この名前をあなたの言語で書いて」と言われた。あのー、そのくらいだったらアラビア語でも仏語でも分かるんだけど・・・。もしや、私ってそんな分からないように見られてる・・・? や、やばしっ。
休憩時間、カフェで過ごすのを短くして、クラスに戻ってCap-Vert人のペドロと会話する。英語喋れるの?って訊いたら、「4年間習ったけど、2ヶ月も使わなかったら忘れた」ということを言っていた。2ヶ月で忘れてしまうのなら、私なんて忘れて当然・・・?!
休憩時間が終わる前に、ソマイヤが、私の列に座っているロシア人・ハダ(ラダかもしれん。仏語のrなのかアラビア語のxの音なのか聞き分けできない)に「ロシア語でジュテームって何て言うの?」と訊いていた。私も訊かれたから「好き」と答えると、満足そうにメモっていた。
休憩時間が終わると、先生はいきなりパリの写真集を取りだして列ごとに見せながら説明を始めた。そうすると、自分の列が終わってしまうと暇になる。ロシア人・ハダが必死にアラビア語で「ムハンマド」とか人名を書く練習をしていたし、ソマイヤがやたらと言語を聞きまくっていたこともあって、私も!と思い立ち、隣のテュニジア人・アミラに身体の名称テュニ語バージョンを訊いてみた。ついでにそれに該当する仏語の復習を兼ねて。彼女も医者志望なので、内蔵の単語もついでに少し教わったりして。そうこうしてるうちに、じゃあ日本語は?ということになり、一文字の漢字で書ける単語を教えてあげた。アミラは、線の一本一本を右から左に書きながら、丁寧に写した。テュニジア方言と仏語併記で、発音をアラビア語か仏語表記していた。右から左ってとこがアラブ人らしくていい。アミラの隣のハダも一緒になってそれをやった。そんなこんなで楽しい1時間がつぶれた。明日はもっといっぱい訊いてみよう、と一人でほくそ笑むのだった。
お昼はAちゃんにカレーを作ってもらう約束だったので、一緒に買い出しに行き、作り方を教えてもらった。おいしかったけども粉っぽくなるので、改良に改良を重ねてもっと上手に作れるようにするぞ! 付け合わせに作ったカブとネギとトマトのサラダも、醤油とレモンのドレッシングのおかげでかなりおいしかった。大満足。
2000年2月1日
今日の授業で、詩を読んだ。私なりに結構感じ入って、世界に浸り、もう心は翻訳モードに入っていた。どうすれば、この感動を日本語でも味わえるか。しかし、授業は感想を述べあう段階に来ていて、最後の最後で先生に邪魔された。「あなたはどう思うの?」どーもこーもない。うーうーと唸るしかできなかった。チャイムが鳴ってから思ったのだが「先生、おねがいだからそっとしておいて。私は今詩の世界にいるのよ」とでも言えば、先生は分かってくれたかもしれないな・・・(それくらいなら何とか言える)。うーむ。
家に帰ってから、久しぶりにローズウォーターの梱包をした。しかし、途中でテープが尽きてしまった。明日買ってこよう。あとおよそ20本!
梱包の最中に大家・ヌールが庭から顔を出した。「薬局へ行って注射はしてるのか」と。「してないよ。もう元気だもの」と言ったら、「夜に咳してるじゃないか。聞こえてるぞ。治るまで毎日しなきゃ」と言う。だからといって、「治りかけているときはテュニジアの薬は全部止めた方がいい」というのが去年の教訓なので、注射なんてしたくないのだ。それで「昨日、お母さんが日本の薬送ってきたから、もう要らない」と言った。だが、ヌールは「でもお前はテュニジアにいるんだぞ。テュニジアの風邪を引いたんだから、テュニジアの薬で治さないと」と言いはる。それで「でも、風邪を引いたのは、日本製の私の身体だもん。この手も頭も喉も、日本のだよ?」と言い返してやった。そしたら、「この辺はテュニジアのだけどね」とヌールが自分の周りの空気を掴む真似をして、そのまま笑っておしまいになった。