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テュニジア日記


2000年1月31日

 朝から目の前を過ぎていくバスに乗ろうと全力疾走したので、頭に血が上って疲れた。病み上がりがすることじゃないですな。  昨日「風華采月」の方に作品を載せてから、夜の薬を止めてみたら、鼻水が止まった。「嘘から出たまこと」って言うか、マジかい!って感じ。けど痰が詰まって息苦しいのだった。
 テストは、運のいいことに完全に文法のみだったので、すっごく楽だった。いつもボキャブラリーで引っかかるのだけど、それがなかったから、時間のなかった私としてはホッとした。
 授業後、友人らと食事を共にして、私は梱包材料の追加を買いに行く。ついでにお金おろして(2月だしね)、仏語のカセットテープを物色して(Notre-Dame de Paris って、語りかと思ったら歌入ってた;; と、Patricia Kaas)3時からのアラビア語のカリグラフィーの授業へ。
 一日参加しただけでそのあとずーっと出てなかったけど、アラビア書道の方と違って、ひたすら方眼紙を塗りつぶすだけなので(こう言ってしまうと身も蓋もないけど)遅れを取り戻す焦りも感じない。ただ「コピーしなきゃ」って、それだけ。今日は文字じゃなくて、文字を作った後の飾りの部分をした。めんどー、けど楽しいぃぃん♪ モスクの附属なので、お値段はタダである。お金寄付して、ボロい黒板を替えたくなってしまうのね・・・
 今日は、母上から封書が届き、風邪薬が手に入った。Aちゃん以外は風邪なので、ちょっとずつお裾分け。私もちょっと飲むかな。
 さーて、復帰したらやることが溜まってるのだ。そろそろ、日本へ帰る前の最後のルート決めて、チケット入手しないと駄目だしなぁ。

2000年1月30日

 今日は目が覚めたのが8時前だから、結構早い。昨日宿題やってて頭が痛くなったから早く寝たんだ。そのせいかな。
 朝御飯を食べてから宿題をして、1週間前に書きかけた手紙を書いてしまう。お腹の具合が悪くなったので、お粥を作ろうと思い、イタリア産長米と中国茶で作る。ついでに違うものが食べたくなり、ひじきを出してきて(いつのだ?)豆と一緒に煮る。ジャガイモと人参とかも別に煮込む。うーん、昨日のミンチ残しておいて、生姜仕立てにカブと煮込んでもよかったかも・・・。とにかく、作ろうという気が沸いてくるだけでいいことだ。

2000年1月29日

 起きると咳が出るのはもう普通らしい。昼頃起きて、食料調達に行った。変わった物が食べたくなったので、面倒だけどミートソースを作る。
 昨日より随分楽。もしかして注射しない方がよかったのかも・・?! 今日は宿題できるかな・・?

2000年1月28日

 目が覚めたら11時半だった。昨日大量に放熱したからか、結構身体が楽だ。今日一日寝て、明日には復活といきたいところ。
 ああ、やっぱり、ご飯を作るのが一番嫌だ。でも食べないと治らない・・くすん。

2000年1月27日

 朝起きて学校へ行ったが、妙に熱く感じた。隣も凄くだるそうで、前の方でへたっていた。目を閉じて寝てしまいそうなくらい頭がおもーくなってきて、なーんかおかしーなと思っていたら、先生が「大丈夫?」って何回も訊くんだ。まだ大丈夫よーんと思って「うん」と返事していたのだけど、そのうち先生も「顔色悪いわね、赤いわよ」とか言いだし「帰りなさい、帰ってもいいわよ」とまで言うので、私もはたと我に返り、冷静に今日の予定を振り返る。・・・買い物行くなんて不可能やん。丁度チャイムが鳴り、次の時間は大したことをしないようだったので、引き上げることにした。先生が「テュニジア人の知り合いはいるの? いなかったらいつでも私がいるからね」と言ってくれた。
 日本人の友人らに「あかん、帰る」と言い置いてタクで帰る。そのまま寝ずっぱり。鏡見たら顔は赤いけど、熱は37.2だし。でも、今朝は昨日より薬の量減らしただけで、なんもしてへんけどな。でも、だるさは昨日の倍以上。よく眠れる(笑)。放っておいたらすぐに瞼が落ちてくるから。もしや、もしかして、風邪の第2段、別口・・とかいうんじゃ・・・? 症状が微妙ーに違うように思うのは、気のせい・・? 気のせいならいいなあ。

 1時頃大家が庭から手紙を渡しに来て具合を聞いていったが、そのとき寝てたしだるかったしで、適当に「だめーわるいー」とか言ったのだ。そしたら、ファルマシーには誘いに来なかった。私は車でなければもう行く気もなかったし、寝続けて、4時頃ようやく昼御飯を作って食べた。
 明日お休みしますって補習校の先生に連絡したいのに、PCから電話できない。連絡網の電話番号、ぜんぶ0が含まれてるから、うちの0がかけられない壊れた電話じゃ無理なのに。うーん、この間へんなことしてインストールし直したのがいけないのか・・? 肝心なときに、やめてくれい・・

2000年1月26日

 今日は頑張って起きて学校へ行った。いつものバスは乗り過ごしたけど、授業にはちゃんと間に合ったからよしとしよう。
 学校へ行くと、昨日のうちに私の後輩が伝言しておいてくれたらしく(頼んでおいた)私が風邪で休んでることはみんな知ってたので、かなり気が楽だった。授業の半分は、昨日やったという文法の問題の答え合わせだったから、昨晩寝る前に詰め込んだ情報と照らし合わせるだけで済んだ。語彙的には遅れたけど、文法は間に合った、という感じだ。月曜にやっている筈の語彙のところ、もうちょっとやらにゃ。
 見渡せば、うちのクラスは風邪ひきさんが多かった。特に、私の席の周り。もしや、私が移した・・?? 真ん前にいる先生も、鼻をかみながらの授業だ。でもテンションは落ちていなくて、相変わらずリアクションは激しいし、声もでかい。なのに、私に向かって「喋るのしんどい?」「むずかしいです」「そう、じゃあ私と同じね」とか言うんだよ。先生、しんどいならもっと楽に喋りましょうよぉ。

 家に帰ってきて洗濯してたら、ヌールがやってきて、ファルマシーへ一緒に行くかと言う。昨日は一人で行けって言ってたのに、用事でもできたかな? さては彼もとうとう注射をするのか?(毎晩彼の咳も酷いし)とか思っていた。4時になって彼と一緒に行ったが、別の用事だったようで注射はしないって笑ってた。にしても、ヌールも何だかんだ言って世話焼きだ。「明日も学校へ行くのか、何時に帰ってくるんだ、帰ってきたらまたファルマシーへ行くんだぞ」と言ってくれた。つまり、また送ってくれるらしい。今日だって、出かけに「車で行くか、歩いていくか」って訊かれたとき「ご自由に」って答えたのに「寒くないか?」って訊くのよ。「今の時間だったら寒くないよ」って答えたら、「うーん、寒いのはすぐにやって来る」とか言って、結局車で行ったんだよ。私今日学校行けたくらいだから、平気で歩いて行けたんだけどな。・・でも、世話焼きの彼には大変お世話になってるので、感謝感謝。やっぱし、高くてもここに住んでよかったかなーと思う、今日この頃なのだった。

2000年1月25日

 朝起きて、咳はやっぱり出だすとひどいけど、お腹まで響かなくなってる(ような気がする)。鼻水は、思った通り治る兆しなし。朝からイタリア産長米と中国茶で粥を作る。いりこ削り節(99.5賞味期限)があったから、そいつを開封してジャガイモ・人参・ねぎの煮物を作る。削り節はたっぷりがおいしい。
 2時頃、ヌールがショルバを持ってきた。赤いけど全然辛くない。病人用のスープだ。久々に肉を食べた感じだった。それで、朝作った煮物は、晩御飯用になった。
 日本の友人にFAXを送った。ほんとは大家と、この電話から国際電話はかけないって約束してあるけど、外へ行けないからこの際仕方ない。

 5時半過ぎて、いいかげん動きたくもないけど、注射に行かないと駄目だー。あの薬と注射とどっちが良かったと言われれば注射の方だもの。行かなくてどうする。けど、歩いていくのはいやだーぁ。・・ということで、ヌールが言ったように、壁を叩いてみた。どんどん、どんどん。鈍い音しかしないけど、向こうから何か金物で叩き返してきた。ので、もう一回叩き直す。そしたら、隣の玄関が開く音がして、ライラが出てきた。「大丈夫?」っていうから「ファルマシーへ行きたいんだけど」「もう行ったんじゃなかったの?」「まだ」「ヌールと行く?」「うん、いいかな?」いかん、消極的な会話だ。けど、起きあがるとやっぱり咳き込むから、長い台詞が言えないのだもの。
 薬局へ行くと、兄ちゃんしかいなくて、昨日のナーディアさんがいなかった。「今する? 彼女待つ?」とヌールに言われ、「今するのはいやー」と駄々をこねた。「注射が怖いのか?」と訊かれたけど、ちがうーっ。お尻に注射するんやもん、女の人の方がええわいっ。アラブ人の男はいやあっ。ナーディアが帰ってきて、注射してもらう。ヌールが帰り際、「錠剤は1回につき2個で、一日2回、食後。シロップは1日3回・・」と言ったから「ええっ、1日1回でしょ。私読んだわよ」と主張したら「ナーディアが、3回って箱に線を3本引いただろう」と言い返された。そ、そういえば・・・。ってことは、私の読み間違いか。あれは1日ごとにこの量っていうんじゃじゃなくて、1日につきこの量まで、という制限だったわけだ。なーるほどー。「明日も行くのー?」って訊いたら「そう。けど、昼間に行けば一人でもいけるだろう?」と言われた。っていうか、歩くの嫌だったのと、あの時間に来いって言ったのは彼女だしぃぃ。かなり咳き込みながらあの距離歩くと、目立
ってしょうがないのよぉ。しんどいやん!・・・などと、心の中でぶつくさ・・。  そして私は、この2日間で「注射」と「錠剤」というテュニ語を覚えたのだった。で、「咳」を「コフ、コフ」って言うんだけど、これは単なる擬態語かなぁ??

2000年1月24日

 昨晩は数年ぶりに38度も熱が出たので、夢にうなされて寝られず、かなり気持ち悪かった。その夢というのが、ずばり「リング・リンク」。いいかげん帰りたいのに、やめたいのに、延々リンクを回り続けるのだ。夢だから、関連リンクのタイトルなんかがキャラクター化しちゃってたりして、同じキャラクターに出くわす度に「やめてくれ、もう出たいぃ」。そして自分の派手な咳によって現実に引き戻される。けど目を閉じたらリンク地獄に襲われる。一体何が恐ろしいのかさっぱり分からないのだが、とにかく繰り返しのリングっていうのは気持ち悪くて吐きそうになるのだ。
 朝、母から電話。薬も送ろうかと言われたけど、着いた頃には用なしなんじゃ・・。

 昼、頼んでおいた後輩が来てくれた。ご飯も作ってもらって、やっぱり病気のときって、そういうやさしさが一番嬉しい。父からも電話があったし。
 後輩が帰るとき隣の大家に会う。こまった時は壁を叩きなさい、すぐ来るから・・と言われた。
 寝てたら、大家にヌールに呼ばれた。今からファルマシーに連れていくから着込みなさいって。「今? 私が行くの?」って念押してしまった。行ったら、起き出すと咳が止まらないからものすごい咳をしてるもんで、「はい、注射」になってしまい、毎日来いといわれた。風邪でいつもより頭が回ってないので、薬師(薬剤師じゃないよ)さんが方言と仏語で説明するのを、ヌールが方言で説明してくれた。言葉は同じなんだけど、ヌールは私の反応の仕方を理解してくれてるので聞き易い。で、去年酷い目にあった薬も追加された・・。「ちょっと待って、私それ持ってる!」「いくつ?」「1箱半」「じゃ、一個にしとくわね」それと咳止めシロップで、しめて15DTほど。ヌールは「彼女はとってもいいよ。それに医者に行ったら20DTはとられるし」と言ったが、甘いよ。私は外国人だから、プラス20DTはとられるって。けど、私の心配はお金じゃない。注射と薬だ。去年友達が何かの時に注射されて、そこが腫れて膿んだとかいってたし、使う薬は去年副作用に悩まされた例の物なのだ。まあでも、去年は喉だけだったけど、今回は既に鼻もやられてるし。。。行きがかり上また使う羽目になってしまったが、仕方ない。ああ当たるも八卦当たらぬも八卦・・・・。

2000年1月23日

 昨日の晩頭痛に苦しみ、冷やしたタオルをのせればキンキンいって、放っておけばガンガンドンドンで、きもちわるいったらなかった。だから今朝10時半頃に起き出して、床に寝袋を敷いてカイロプラクターの父に教わった体操をする。
 それからホットココアとビスケットで朝御飯を済ませてからは、昼御飯も食べずに寝ていた。起き出したら咳が止まらないんだからやってられない。宿題したかったケドできない。なんで一昨日せんかったかなーと、ちょいと悔やむ。鼻水が出てくるわ、咳き込めば腹に響くわ(なんで?)、薬恋しや・・・
 でも晩御飯は食べんといかんでしょう。ベッドの脇の水もなくなったし、ストーブ付けながら寝たら、干上がってしまう・・

2000年1月22日

 朝から生姜湯を飲んで出かけた。咳はちっとも良くなってない。けど、だるさはあまりなかった。
 補習校で、風邪の話題になった。「ヨーロッパでも流行ってるらしいですよ」と、ここまではいい。「ほんとかどうか分からないですけど」と前置きの後、「噂になってるんですけどね、今度の風邪は、なんでもスペースシャトルからやって来たっていう・・」「誰が言ってるんですか、そんなこと」「うちのが、新聞で読んだって・・・」テュニジアの新聞に載ることじゃ、嘘かホントか分かったもんじゃない。
 片手でPC打つのがだるい。日記書くのもしんどい。

2000年1月21日

 今朝起きたら、昨日くらいから出てきた咳がひどくなってる感じ。一日寝ることにしてストーブのスイッチを入れる。
 洗濯しようと思ってたのにできないし、明日の朝御飯も買いにいけないし、独りってそういうときが嫌だ。「日本語練習帳」を読んだり、仏語の単語をPCに打ち込んだりして時間を潰す。熱はたかだか37度なのに、こっちにいると平熱が下がった気がして、日本での37度よりだるく感じる。
 去年エジプトで買ってきた生姜で、生姜湯を作って飲む。薬がない。となるとやっぱり、たいしたことなくても寝てるしかないのだ。そしてこうなると、ベッドの中で寝ながらにして使えるノートPCって便利だなあと、つくづく思うのだった。

 ・・・いつの間にやら9時になった。熱っぽくなっていて、起きて料理をするのも鬱陶しかった。と、外で大家の呼ぶ声がするのでバタバタと出ていくと、「元気か」と訊く。こんな時間に何を言うんだろうと思って「いや、ちょっと病気で」と言ったら、彼は咳き込んで、その咳の悪いのが外に出ていくような薬を持っているのかと、そういうことを言った(しかし単語がよく分からなかった)。「持ってない」と言ったら、彼は手に持っていた箱を出して「これはシロップだ。明日には良くなるだろうから飲みなさい。もしまだ治らなかったら、ファーマシーへ行って・・」と手渡してくれた。「お前がひどく咳き込んでるのが聞こえたから」と彼は付け足してくれた。ご、ごめんなさい、ありがとう・・。「ありがとう、おやすみ」「おやすみ」いい大家で良かったなぁ、と思う。そして、やっぱり近所づきあいは大切だ、とも。
 起きてしまったので、せっかくだから食べることにした。薬も飲まないといけないし。ついでに、明日の朝のために、カブを切って蜂蜜をかけておく。んで、棚に眠っていた梅肉エキスを見つけたので、それも飲んでみた。うーん、何とかなるやろかい・・・

2000年1月20日

 授業後、葉書を買いにメインストリートまで出ていった。いつもの店に入って6枚選び、1DT差し出したら、1.2DTだって言われた。「1枚100ミリームじゃないの?」・・・去年もこの時期になると値上がりしていたのだ。そして夏に来たらまた下がっていた。うーん、ということは、ハイシーズンだけ安くなるってことなの??
 家に帰って、どうしても違う物が食べたくてホワイトソースを作った。バターを溶かして小麦粉をこね、ひたすら牛乳で溶いていく・・・。下手くそだけども食べたいときには仕方がない。しばらく至福の時を味わった。日本じゃ味わえないわ、この幸せ。作りたくなかったら買ってくればいいんだもの。そんなお手軽、ここには存在しない。大体、みんなホワイトソースなんて食べないだろうな。

2000年1月19日

 今日の授業は当てられながらそれなりに喋ったけど、やっぱり詰まる。単語が出てこないと唸ってしまうし。
 休憩時間、みんなはさっさと教室を出ていったので、私が出ようとしたとき、Cap-Vert人(カーボベルデ人)のペドロしかいなかった。ペドロの国カーボベルデ(辞書の表記による)は、アフリカはセネガルの沖にある島国で、国語はポルトガル語。それで、私との共通語は仏語のみ。彼の発音は分かりにくい。アラブ人の発音なら、彼らの母国語の発音を知っているだけに想像が出来るけど、ポルトガル語を知らないものだから、一旦アルファベットに置き換えないと難しい。ともかく、今日は彼と少し話をしてからカフェに行った。戻ってきてから課題と睨めっこしていたら、パレスティナ人のアハマドがアラビア語で、「アラビア語喋るよな?」と言うから「うん」と答えたのだが、どうもそれだけでは不服らしい。大体この質問は何回もされた。モーリタニア人(名前覚えてない)がやって来て二人で「何か喋って」というけど、口が動かない。人の頭がフランス語モードになってるのにアラビア語モードに戻されたくないのと、今私はアラブ古典語がすらすら口から出てこないので、口にするのに抵抗があるからだ。テュニジア方言なら出てくるけど、それ以外はちょっと・・・。その後ペドロがやって来て、アハマドに何か言ったあとで私に「彼は君と話がしたいんだ」って、解説してくれた。笑ってしまった。うん、明日、アハマドにどこの方言を喋るのか聞いてみて、教えてもらうのもいいかもな。たぶん、うちのクラスのパレスティナ人は、みんなヨルダンから来てるんだろうけど。

 帰宅して3時頃またHAZEMに電話した。「成分表と作り方を・・」って言ったら「FAXだろう? この番号だよな?」と確認される。「それ届いてないから、うちに送ってちょうだい」と言ってみた。が、その後が会話にならない。向こうが「明日の朝テュニスに行くから、そのときお前のうちに持っていく」というようなことを言っているのだけど、間に挟まる単語が意味不明。しかも、こっちが住所を教えている間に言ってくるものだから、もしや住所は要らないの?とか、頭が混乱。結局同じことをアラビア語でも言われ、「だから朝は学校に行ってていないんだ」「1時に家に帰るよ」と主張するのに、どうしても話を分かってくれない。「お前がいないなら、ポストに放り込んで行くから」って言ってるのも分かったんだけど、話し相手が女の人に変わる。彼女にもう一度同じことを繰り返したら、「で、いつ家を出るの?」・・・つまり、1時に家に帰った後出かけるか聞いてたわけだ。・・それもさっき答えたんだけど、通じてなかったのか・・? なんとか解決したけど、たかが紙切れ一枚、郵便で送ったらいいじゃないか・・という疑問が頭に残る。もしやテュニジアの郵便ってそんなに信用ならないの? テュニスに来るついでと言っても、あなたたちが家を探す手間を考えたら、郵便の方が安くて楽だと思うんだけど・・・。

2000年1月18日

 授業後、食事を簡単に済ませ、後輩のうちで古新聞を大量に確保してから、メディナへ向かう。エアパッキンを買うためだ。あの梱包に使うプチプチのやつ。最初に入った店で、「だから、こういう・・プチプチプチプチ・・・・」って延々言い続けて理解してもらい物を見せてもらった。「いくら?」「5DT」、お札を確認して手に握った。彼はちょっと待てと言って近所の店に入って、エアパッキンをもらってきた。サンプルしか置いてなかったらしい・・(よくある話だけど)。それからガムテープ(セロテープのでかい版)も追加して「いくら?」「1DT」「じゃあはい」と1DTを彼に渡す。「5DTは?」「さっき渡したじゃない、忘れたの?」彼は慌てて引き出しを開けて確認する。領収書をもらって、ありがとー、と退出。

 バス停まで歩いていき、バスを待ちながらポケットに手を突っ込んだ。すると、いつもは小銭しか入っていないポケットの中に紙がある。あれ? レシートかなんか入れたかな?と思って出してみると、5DT札だった。・・・ちょっとびっくりして、確認する。私は今朝、5DT札を3枚持って家を出た。1枚は昼食のとき使って、1枚はさっき切手を買うのに使った。・・とすると、ここにある5DT札は・・・。・・・ごめん、にいちゃん。私の間違いだった。すまない。せっかく10メートルも売ったのに、全然儲けにならなかったね。今度また買いに行くからねー (T-T;; うひょー
 で、買ったエアパッキンだけど、買ったそばから客の一人が勝手に、プチ・プチ・・と潰してたし、バス待ちのときも、何の音だろう?と振り返れば、隣の女の子が潰して遊んでた(駄目ダメダメってすぐ止めたけど)。やっぱりエアパッキンって、潰したくなるものなのね・・・(笑)

 家に帰って梱包作業。しかし、甘かった。100本もあるのに、全然進まない。これは今週中に送るのは不可能だわ。授業もあるし宿題もあればテストもあるから。・・と思ってたら、本人から電話。HAZEMから電話があったが、回線状況が悪くてFAXを受け取れなかったとか。それで、私のところに封書で送ってもらうようにして欲しいとか。はあ、また電話するのか。あそこはちょっと苦手だなーとか思いながら引き受け、ついでにもう一件の仕入れも引き受けてしまった。うーにゅ。郵送費の話はしたが、自分の見返りの話を言い出せなかった。あにゃぁ、こんな調子で終わっていくのか、いやそれはちょっと・・・

2000年1月17日

 テストを無事終えて、私はいつもの黄色のバスではなく、緑のバスに飛び乗った。早く帰るためだ、致し方ない(ちょっと高い)。
 家に着いて適当に食事。来ていた手紙を読んで返事を会ながら3時半頃まで待つ。電話が鳴って「場所が分からない」と言われた。「アフリカ通りにいる」と言われたから「待ってて、行くから」と言ったはいいが、地図で確認したら意外とアフリカ通りは長かったことが判明し、先っぽから全部見に行った(疲れた)。そしたら一番最後にいた。
 全部品物をチェックして、領収書をもらったが、「作り方と成分表はどこ?」。「成分っていったって、これはナチュラルな薔薇水だぞ」「知ってるわよ、薔薇と水だけでしょ。作り方だって知ってるわよ。でも日本じゃ書類がいるのよ、はんこの押してあるやつが!」彼らは唸ったが結局、日本にFAXを送ってもらうことで合意した。ほんとに送ってくれるのかな。

 そのあと、元連れが電話してきたので、メディナまで出かけた。彼は旅先でよく誰かに拾われるので、今回も別の人に拾われていた。聞けば、旅先で何人もの人にマルタを勧められたからマルタへ行こうとして、ナポリのインフォでトラパニへ行けと言われたからトラパニ(シチリア島)まで行ったところ、ここからはサルディニアとかテュニス行きしかないと言われ、テュニス行きの船に乗ったのだそうな。行き当たりばったりな、相変わらず・・・。
 それで、お薦めのレストランへ行って日本人好みの味で食べてきた。彼の連れもなかなか楽しい人だった。
 帰ったら10時過ぎ。眠い。けど、日記書かないと。。。まだ仏語の日記が残っている・・・

2000年1月16日

 洗濯して手紙書いて、そして宿題を済ませる。明日はテストだからその勉強も。
 また前住人に電話が掛かってきた。先日のいたずら電話が鬱陶しかったので、今日は仏語で取ってみた。「ごめんなさい、何て言ってるか分からないんだけど、どなた?」そしたらアラビア語で息巻いてたのに、いきなり丁寧な仏語に変わる。そして一通り確認した後、相手は「すみません、ありがとう、さようなら」と紳士的に電話を切ったのだった。私は感動してしまった。そうか、最初から仏語で取れば、厄介な方言のおばちゃんと話すこともないじゃないか。なんか今更開眼した気分。おかげでちょっと機嫌が良かった。

2000年1月15日

 今朝は起きるのが億劫だった。どうしても午前中にHAZEM社に電話をしないといけなかったからだ。それでも11時には何とか家を出た。うちの家の電話は0が壊れていて押せないので、市外局番の場合、外にかけに行かねばならない。
 どきどきしながら電話する。「アロー、私は日本人で、**と言います。ローズウォーターを日本に送りたいので、申告のための作り方と成分表が欲しいのですが」ところが、相手はまず「ローズウォーターね。どれだけですか?」「100本ですが・・」となり、そこから住所を聞いたり、わたわたして、「あの、それで、成分表と作り方を・・」「はい。スペシャル・ローズウォーター、25clを100本と、成分表・作り方、これをテュニスの***まで、月曜の午後にお届けします。◎◎◎は要りますか?」私はこの◎◎◎という単語が分からなかった。だが「はい」と適当に答える。こういうときいるとか要らないとか聞くのは領収書だったりするのだ。持ってきて要らなかったら、その場で断ればいいし。これで、私が自分で100本買うという面倒はなくなったわけだ。

 そのあと、雑炊を作ったのだが、ふと思い立って、隣に「ジャポネだよ」と届けにいった。あれをおいしいと思うかは別として。
 で、依頼人にFAXしようと家を出ると、大家に会った。「月曜にHAZEMが来るからね」と言ったら理由を訊かれ、説明したら「直接日本に送ってもらえばいいのに。彼らは会社だから心得てるよ。郵便局に持っていったところで、100本もの瓶を通してくれるかな」とか言われて、大家の意見ももっともだし、ちょっと不安になったので、送ろうと思っていたFAXの内容を変えることにした。
 しかし、安いFAXは閉まってて、別のところへ入ったらPCで送信するので高くついた。20DT! たっかー。それで返信は「至急telして」だったので、私は小銭求めて右往左往し、なんとか電話すると「今どこ? かけなおすよ」と言われた。今日の苦労って・・。最初から電話すれば良かった??
 とにかく「品物に不良品がないかチェックしてもらわないといけないから」ということで、やっぱし家に送ってもらうことになり、ついでに(いつもこれだ)新しい仕事ももらって、なんか「またやられた」って気分だったけど、今日は大家と馴染みの店以外では全部仏語で会話したから、気分がいいのだ。すごい、快挙だね。
 けど、これだけやって、あと月曜日の受け取りと、荷造りと発送も考えると、全部で100DTというのはかなり割に合わないと思う。いくらなんでも。まあ勉強になってるといえばそうだけど、でもなぁ。うーん・・・、これはちょっとお話しせねば。

2000年1月14日

 11時頃だったかいい加減起きようと思ったら、大使館から電話があった。住所の問い合わせが来ているが教えても構わないかという、確認の電話だった。問い合わせた人の名前を聞いて「構わないですよ」と電話を切る。「一体どこにおんねん!」というのが第一の疑問だった。で、しばらくしてから電話が掛かってきた。さっきの問い合わせ人だ。第一声で「今どこにおんのよ!」って訊いたら、その”元”連れは、「ダズ・・かな。D・O・U・Z」と言うのだった。「ドゥーズぅぅ?!」今からキャメルキャラバンだから・・と言われた。気が向いたらおいでよ、いいとこだよーとは言ったけど、今頃になって電話してこんでも。もっと早くに言いなさいよ。

 もう部屋の中のものを一斉に洗濯してたら、隣から2時頃にお裾分けーといって、リシュタとかいうスープをもらった。ふやけた平たいパスタが入ってた。
 今日の補習校は、Nちゃんをのせるのに成功したけど、うまい具合に続かなかった。うーん・・・
 今日の晩11時頃、停電があった。PCを打っていた私は、PCの充電池のおかげで真っ暗にならずに済んだのだが、懐中電灯の電池は虫の息だった。仕方ないので大家に蝋燭をもらいに行った。一時間ほどで停電は終わったが、テュニジアへ来て初の停電だっただけに、ちょっとびっくりしてしまった。

2000年1月13日

 朝学校の入り口でアムナに会った。手紙受けに中国人宛の年賀が入ってて、龍のイラストはんこと龍の文字はんこが大きく押してあったので、「見てみて綺麗でしょ。これ、ドラゴンの意味なのよ。今年はドラゴンの年なの」と言った。彼女が理解して「あなたは何なの?」と訊いてきたので、「ドラゴンよ!(年ばれるって)」と答えたら「わあお、それはおめでとう! Bonne Annne!」と言ってくれた。今年に入って何回彼女に「Bonne Annne」って言われたかな・・・。
 授業後、オーラルのクラスの友達に呼び止められた。何やら、月曜日は人が来なくて、もうみんな大学の授業に出るとか言ってるらしい。それで、もしかしたらなくなるかもしれない・・って。なくなるなら、それでいいけど、授業料返ってくるの??

 学校で何人かに呼び止められながら、やっとタクシーを捕まえると、あとは大使公邸のあるカルタージュ・ハンニバルまで一直線!「あけましておめでとうございますー」、知らない人にも言う。お食事は、もうそれはそれは豪華でした。お節っ、栗きんとんよ、黒豆よ、昆布巻きに、ああ、こんにゃくに椎茸だわ・・、お寿司がおいしいっ。そう、お腹壊してもいいからとにかく食べたい!という日なのだ。食べまくりました。ええ。そして、去年の量を予想してデザートの分お腹を空けておいたのに、予想を上回る種類と量にさすがの私もダウン。こ、このおはぎの甘さは駄目ぇぇ。もう一口ババロアが食べたかったけど、おはぎのせいで、駄目になりました。ううう。そして、今回の御食事会に参加した人たちは、きっと晩御飯食べません。宣言してた人も多いし。「子供には内緒」って人とかね。

2000年1月12日

 微熱でだるかったので、休むことにして寝てたら、8時半頃父から電話があった。父よ、ありがたいけど、普段この時間は学校だよ・・・
 そのあとまた電話が鳴ったので、誰だー?!と思いつつ電話に出たら、間違い電話だったので、そのことを告げて切ったら、またかかってきた。こういう「間違い電話」から「いたずら電話」への転換は結構多い。病気なんだって方言で言ってもかかってくるし。でも私はだるくて休んでたんだから、寝られないのは困るので、何回かコールを聞いた後で「電話かけてくんな! 私は病気なんやー!」っていうのを今度は仏語で怒鳴った。それでもかかってきて、彼が言うには「お前と話がしたいんだ、大丈夫か、元気か」元気なわけないやろー! それで、次に掛かってきたときは、受話器をあげてテーブルに起きっぱなしにしておいた。しばらく保留音とアローの連続が交替交替にやってきたが、そのうちそれもやんだ。12時になったんで、受話器を元に戻した。・・・が、また1時頃かかってきた。今度は仏語でとったのだが「元気になったか?」。その声を聞いた途端に切ったって。うざい、親父!

 お昼を食べた後、メールの返事を書いてたら、大家が「手紙が来てるぞー」ってよぶから出かけた。帰るタイミングを見計らってるうちに、大家の方が「今がチャンス」と思ったらしく、薬局へ出かけてしまった。留守番役のおばちゃんだけじゃ、フェディ坊やが泣き出すから、私がいるときが一番便利なのだ。しかし、おかげで帰れなくなった私はしばらく、フェディの相手をしていた。大家が帰ってこないからしびれを切らして2時間しないうちに帰ったけどね。ああ、だる・・・
 私、今日、なんのために学校休んだんだっけ?

2000年1月11日

 今日はむちゃ疲れた。なにって、授業がねぇ、新出単語多すぎで・・・。
 今日は緊急時の単語ばかりをやった。病気やけがしたときとか、救急車や消防車関係の単語。うちのクラスは1月から人数が減ったこともあり、私以外の人はみんな医者志望なので、そういう単語にむちゃくちゃ強い。っていうか、大抵の人はメディカル・フランス語のクラスをとっているのだ。というわけで、私は授業中に辞書引きまくり。
 ちょうどそういう話をしていたとき、学校の目の前の道路を、ピイポウピイポウと走っていくものあり。「あれは何の音?」と先生が訊くと、テュニジア人が「消防車です」・・・って言った途端、その音が止んだ。むちゃ近いやん・・・と思ってたら続いてまた別の音が・・・。なんだなんだ? 一体何が起こったのでしょう・・・? (不明)

2000年1月10日

 昨日は回線つながらなくて更新できなかったのが一番悔しい。今日はつながるかなー。

 今日の授業はちょっと人が増えてた。けどまだモーリタニア人たちが出てこない。おかしいな、帰省はしないって言ってたのに。
 授業は先生が人を当てる回数を増やしたし、私がうまく言わないものだから説明するために前より喋るようになった。今日なんて、「駐車しないで下さい。 1307 RT 50」って書いた看板は、どこにあって、どういうことを禁止しているか言いなさい・・・という問題で、私は「1307云々」の数字が車のナンバーだと思ったから「それは見受けられます、駐車場で・・・」と言ったの。続いて「個人の」って形容詞を付けようと思ってたんだけど咄嗟に出てこず、「駐車場? これは駐車しないでって書いてあるのよ、意味が分かる?」と先生に言われ、「分かります、けど先生・・・」、その後聞いてくれない・・・。それで、延々動詞の説明とかをされた挙げ句、「でも先生、私は個人の駐車場だと思うんです・・・、だから・・・」ってやっと口を挟めたとき、ようやく先生は納得してくれた。だ、駄目だわ。アラブ人相手にするつもりでガッと言わないといけないのだわ。

 午後の授業に出るつもりでいたのだけど、Aちゃんが「カリグラフィーの教室に行くの!」と人を誘っていたので、私も参加することにして、さぼってしまった。今週は木曜日も大使公邸でのお食事会があるから行けないので、ちゃんと手紙を書いてきた。
 その授業、モスクの付属みたいな教室で、お金のこととか言わなかった。しかも年齢層が高めで、生徒たちはいい感じの人ばっかり。書道ならやったことあったけど、方眼紙に書いていくもので、初めてだったのが面白くて、紙に名前書いてきちゃった。けど、金曜日、補習校の時間と重なるから、補習校を土曜日に替えてもらわなきゃ駄目だ。

 その帰り、日本人の一人、家の契約の時に払ったお金を返却してもらってないからとエージェンシーに寄った。私たちは日本人4人とハンガリー人、紹介者のアルジェリア人の連れだったのだが、彼はアルジェリア人の彼女を間に置いて、何度も言い合いをした。水曜に来いだの、今は持ってないだの、うだうだ言った挙げ句に、いつもそうじゃないか!の彼の一言で、不動産屋も「えーい」という感じで30DTを返してくれた。しかし、問題はこの後で、いきなり「ラマダーンが明けてめでたいからお前たちにコカをおごってやる!」とか言い出した。暴利に失敗したらごますり攻撃か?と一瞬思ってしまった。さっきまで凄い剣幕で怒鳴ってたくせに、この発想はどうも理解できない。
 今日は久々に5時過ぎから大雨が降った。私は家に帰って、友達が日本の土産にとくれた「好きやねん」を食べた。浪速に住んでいたけど、食べたことがなかったのだ。うまいー、テュニジアで食べるラーメンの味は最高だね!

2000年1月9日

 イードの間なんて、寝るか食べるかしかないじゃない。11時半まで寝て、それからお昼ご飯を作る。部屋の掃除をしたら、ほら、もうすることがない。
 宿題を済ませてしまったら、あとは自由時間かな。フランス語の宿題とかしてるときは、頭の中で会話のシミュレーションすると、誰との会話でも、仏語で返してる自分がいる。違うっ、このときはアラビア語よっとか思いながら。
 PCで旅行記作成も大詰め。あと2日で終わりだ♪
 4時頃、大家が親戚を送り出していた。イードも終わりだからねー。そういえば、今日の間違い電話のうち一つは、「イード・マブルーク! そこは**さんちですか?」という丁寧なものだった。珍しい。

2000年1月8日

 またもやゆっくり寝てた。けど今日は、ほんとにみんな休んでて、どこも開いてないのか?というのを確かめるために、お出かけするつもりだった。
 けど、12時頃かな、洗濯しながらお昼ご飯作ってたら、大家が出かける気配。みんなラマダーン中に買った新品の服に身を包み、新年の装い。「イード・マブルーク!(おめでとう)」。これから親戚回りなんだとか。「あとでお菓子を持っていってあげるわ。今日はどこも出かけないわよね?」・・・と言われたので、私は大人しく家にいることにした。こういう言い方するってことは、出かけるところなんてないってことだ。
 今日はとってもいい天気だから、洗濯するのも楽しい。
 そして延々、PCの前に座って、平日出来なかった旅行記の執筆・・・。

 5時頃大家が帰ってきた。パタパタと慌てて出かけていき、私は勢い込んで「ヌール! 写真撮りたい!」と言った。ほんとに子供みたいに見えただろうね。ヌールは笑って「OK」と言った。私は目を輝かせて部屋に戻ると、PCをスタンディングモードにして電気を消し、カメラを持ってヌールのところへと急ぐ。
 家に入ったら、何人か知らない親戚の人が来ていた。フェディ坊やは朝のままの恰好。スーツ着てネクタイも締めて、靴だってお父さんとお揃い。けど、お母さんであるライラがどっかへ行ってしまうんじゃないかって、ずっと「ままー、まんまー」って言って動いちゃうものだから、撮れない・・・。なんとか撮ってほっとすると、今度はヌールがカメラを持ってきて、更にはビデオカメラまで・・・。テュニジアってさ、電気製品がやたらと高いんだよね。なのに、ソニーのムービー・・・。ヌール、やっぱしあなたはお金持ち・・・。
 今日もらったお菓子には、初めてのものもあった。サツマイモみたいな味がするのがあって、びっくり。だって、テュニジア、サツマイモはないんだもの。何で作ってるのー?? あと、南部の料理だよーと言って、ライラが空豆を煮てクミンと塩で味付けしたものをくれた。ときどき屋台が出てるけど、これおいしーんだ。イードの時に食べるんだよって教えてくれた。

2000年1月7日

 どうもラマダーンは終わってなかったらしい。11時頃ラジオ(仏語とアラ語)を聴いて思う。うにゅ。ごめんなさい(^^;;
 んーで昼頃、仏語版ラジオを聴いてたら、ホイットニー=ヒューストンのAlways love youだっけ(何か違う?)、あの曲が流れてたの。けど歌詞がちがーう! 仏語かなーと思ってよく聴いてみたら、なんとアラビア語だった! ほしーぃっ、誰が歌ってるんだ?? そのあと元の歌が流れてきたケド。
 PC叩いてたら、懐かしい友人から電話。テュニジアのローズウォーターを100本仕入れてほしいというものだった。新しい店が4月にオープンするんだそうだ。で、それを仕入れて、そのメーカーに問い合わせて、作り方と成分表をgetせねばならない。うーん、むずかしー。けどもこれは凄くやりがいがあるよね。私の語学力を駆使して頑張ろうって気になった。その彼は、人を褒めたりその気にさせたりするのが凄くうまいから、頼られると張り切っちゃう私は、すぐにのせられてしまうのね。ラマダーン終わったら、やるぞー!

2000年1月6日

 今日はいいこと尽くしの日♪
 まず、昨日頑張ってやっていった宿題の話。売り上げアップのため新製品を出したけど、エコロジストのデモにあって失敗した会社の8コマ台詞なし漫画があって、そこに文章を付けていく宿題だったのだ。で、それからその会社はどうなったかを書く問題のところで、先生に質問された。教科書に例が3つ書いてあったので「どの結末にしたの?」。「別のにしました」「何?」。そこで私は書いた文章をそのまま読んだ。「**会社は別の会社と合併した」先生はトレビアン!って言ったあとで、「でもそれって日本でよくあるパターンよね」と付け足した。はい、お察しの通りで。

 昼の授業は先生が来なくて休みだったので、写真を取りにいった。テュニジア人に安いと教えてもらったところだ。そしてお値段は6.65DT! いつもなら9DTは取られるのに(探した中ではここが一番安かったから)。うちの近所と比べたら半額以下だよ。すごー。
 で、ラマダーンも終わるしーと、私はケーキを4つも買って帰った。でも日本円にして250円弱。この間食べたのがおいしかったんだもん。ラマダーン終わったら食べないしね。

 家に帰ってまとめて手紙を書いた。今日は11月消印の手紙とか12月初旬消印のクリスマスカードが届いたりして、「やっぱりラマダーンだ」ってことを認識したのだ。
 そして、どうやらラマダーンは明けたみたい。私のリスニングが正しければの話だけど。まあ明日ラジオをもう一度聞いてみて、例のアレを放送してれば、絶対に明けてる・・・。

2000年1月5日

 昨日は11時に寝たのに、学校へ着いたらものすごい眠気が来て机に突っ伏してたら、また先生に「病気なのー?」と言われた。しかし、私が否定する前に、誰かが「眠たいんだよ」とコメントを発してくれた。もう覚えられてる?
 朝御飯が少なかったので、10時の休憩時間にパン屋に行ってデニッシュを買い、カフェに入ってカフェと共に食した。しかし、ラマダーン中は、パン屋のパン(晩御飯時以外の)も値上がりするのだろうか。それにカフェも、日頃と違ってサービスが変わってるみたいだ。いつもなら白い陶器のカップに入ってくるのに、今はガラスコップ。ラマダーン中に食事する奴にはこれで十分!ってことなのかしらね。うーにゅ。

 授業を終えて階下に降りると、Aちゃんが待っていた。友達を連れてメディナに行きたいから一緒に行けるかというのだ。うん、行くなら案内してあげるよって、前に言ったからね。けど、頭の中で今日出た面倒な宿題のことを考える。「2時間くらいだから」ってAちゃんが言うから、案内することにした。
 ラマダーン菓子を買った後、大好きなシェシアのスークを見て、土産物スークへ入る。顔なじみの店へ行って、「オトモダチ価格」で香水の瓶購入。彼はいつも安くしてくれるから、ついつい人を連れていってしまう。何回も行くから彼もこっちの期待を裏切らない。いい関係だね。
 3時に彼女らと別れ、バスが来なくて4時に家に着く。宿題宿題! 5時に隣から来た食事を食べ、宿題宿題。久々に日記が書けないかと思った。無事終わって良かった。

2000年1月4日

 学校での手続き。8時前に事務へ行ったら「会計室が開かないから8時まで待て」と言われた。8時に行ってパスポートのコピーを提出して紙をもらい「これを3階(日本式4階)の会計室へ持っていって払ってこい」と言われた。4階へ行ったら、アラビア語とフランス語の先生の控え室の他はみんな閉まってた。ので、下へ降りると「8時半にならないと来ないよ」と門番に言われる。で、会計が来て上へ行き、お金を払って領収書を受け取り、また事務へ行くと「お前は2つのクラスを受けるんだから、2枚に分けてもらってこい。そう書いてあっただろう」と言われた。だって、読めなかったんだもん。しかも、会計のおっちゃんはちゃんと読んだ筈やんかーっ。で、また4階まで上がり・・・なんやかやと疲れた。

 9時から授業へ入ろうと思ってたら、後輩が手紙を見にやって来たので、ついでにガイドブックを借りることにして彼のうち(徒歩5分)まで行く。
 授業へ出たら、今度は眼鏡を忘れてて、ほとんど見えない・・うにゃにゃ。しかも、先生には「昨日、帰らずにそのままいればよかったのに。登録済んでなくても私は構わなかったのよ」と言われた。昨日そんなこと言わなかったやん。・・と思うケド。
 授業後に休憩時間に出しておいた写真を取りに行き、お金を下ろしに行った。で、ローマへ行こうと考えていたので旅行会社へ行くと、7日の便はもうなかった。それに、そこのおじさんは、ラマダーン明けの休み(イード=ル=フィトル)は8日と9日じゃないかな、と言う。ずれても9・10にしかならないんじゃ、海外は無理だわーー、とあっさり断念することにした。つまらん。

2000年1月3日

 今日は頑張って6時半に起き、出かけに荷物をチェックし、「忘れ物なし、パスポートは要らんしー」と思って出かけた。が、しかし、授業登録をするのに、パスポートの入国スタンプが必要だったのをすっかり忘れていたのだった。ががーん。今年初のお馬鹿・・。というわけで今日は授業を受けることが出来ず、そのまま帰った。
 で、1時間ほど寝てから登録しに行って昼の授業を受けようと、そう考えていたのに、眠たすぎて12時まで寝てしまい、不可能になった。あわわ。
 で、お昼を食べてからパスポートをコピーしに行き、帰ってきてからお隣へ食器を返して、ついでに手紙が届いてないか訊いてみた。私が旅行中に届いたらしいのをもらったが、何となくそのまま居着いてしまい(帰るタイミングが難しい)、フェディ坊やの相手(食事の準備の邪魔ばっかりするから、私が相手をするのだ)をして、ヌールの話を聞いて、それはそれで楽しい時間を潰した。大体フェディのしたいことも分かるようになってきたけど、まだまだ難しい。

 今日はラマダーン27日で、コーランが初めて遣わされた夜。イスラムにとっては聖なる夜なのだとか。そういえば去年授業中に先生がその説明をしていたが、さっぱり謎だったことを思い出す。「空の扉が開いて、願いが叶うんだ」と言ってたんだけどね。うーん。
 今日はヌールに、私の好きなバター・アーモンド入りナツメヤシをいっぱいもらう。うにゅー。この味がたまらないのよ。昨日Aちゃんとその友達にこの話をしたとき、「ピーナツバターみたいなもんね」と言われたんだけど、それでおいしさを納得してしまったのだ。ナツメヤシがピーナツバターの甘さを出してるんだものね。でも、ピーナツバターは歯ごたえがないし香ばしさもないけど、ちょっと炒ったアーモンドを入れたこのナツメヤシは、それはそれは絶妙のおいしさなのよ。

2000年1月2日

 今日は写真の現像をしに行こうと思って、洗濯した後11時に家を出た。バス停に行くまでにまたもや車に引っかかり、どこまで行くんだ?と言われた。乗ってけと言われて「あなたたちのこと知らないから」って断ったんだけども、「今はラマダーンで、俺たちは断食してるから、お前は兄弟だ、大丈夫。」と言われた。確かにもっともなことだと納得してしまったので、送ってもらうことにした。どういうことか。ラマダーン中断食をするというのは、食事・水・酒(普段もいけないんだけど)・煙草・女を断つことなのだ。そして暴力も禁止(一応)。だから、お前に害はないだろう、ラマダーンはみんなに親切にするものだ・・・ってことなのだ。私が断っても、彼らには理由が理解できない・・。
 んで、朝御飯食べてないよとか嘘ついたら、おいしいケーキ屋でケーキをおごってもらった。兄ちゃんたちのうち一人は自分の分のカフェも買ってきて「お前はムスリムじゃない」と批判されてた。肝心のカメラ屋が閉まってたんで別のとこを紹介してもらったけど、それも閉まってて、結局「友達と約束してるから、ありがとー」と言って去る。「3時に迎えにきてやると言われたけど、結局無視。

 せっかく出てきたのにつまらないので、ほんとに友達のところへ行ってみることにした。Aちゃんは今頃友達が来てどっかへ行ってるかも知れないと思ったけど、ものは試しで訪ねてみた。ら、運良く家にいた。ラッキー。
 彼女の友達というのはイタリアに留学してた人で、けど同じアラビア語科の後輩なのだ。Aちゃんのルームメイトにも初めて顔を合わせた。話し込んでから市場に買い出しに行って、お昼を御馳走になる。んで、そのまま話し込み、お茶したりしてるうちに5時になってしまい、帰れなくなってしまった。つまり、お食事時間は全ての交通機関がストップするからだ。で、結局晩御飯もご一緒することになった。
 ルームメイトのリンダが帰ってきて、私たちにヘンナを施してくれると言う。ヘンナというのは、植物の粉で、それをペースト状にしたもので手や足に模様を描くのだ。他に染め粉に使ったりする。で、彼女がAちゃんに太陽、友達に花とアラビア文字、私にハートを描いてくれた。Aちゃんがお礼にと、リンダに梅を描いた。「うめ」と平仮名でコメント付き。最初は梅に見えなかったけど、乾いてできあがってみると、見えないこともなかったね。うまくできてた。  そんなこんなで、Aちゃんの友達がアラビア語を忘れてしまってるんで、私たちはずーっと英語で会話してた。時々フランス語とイタリア語(Aちゃんは旅行後だったので覚えたてのイタリア語を使いたがった)とかを混ぜ、ジェスチャー講座とかをしてね、久々に楽しい休日を過ごした。おかげで帰るのが11時を過ぎてからになってしまい、一日まるまる使ってしまった。
 明日は学校だ。早く寝ないとなー。Aちゃんたちアラビア語の授業は、10日からと仏語の授業より開始が遅いのだ。

2000年1月1日(アインドラハム・つづき)

 ・・・0時を過ぎたけど、なんも起こらない。電気も普通についてるし、騒がしいアインドラハムの人々の声もさっきと変わらない。それだけ分かると、あとはすうっと寝入ってしまった。

 8時に目覚ましが鳴るけど、8時半まで起きない。そーだ、朝御飯はどうなってるんだろう? 確か昨日あるとかないとか言ってたよな。
 窓の外を見れば、辺り一面真っ白! うわぁ、前が見えない・・。けどもそれは霧であって雪ではなかったのです、しくしく。とりあえず着替えて下へ行くと、昨日のおねーちゃんがいて、朝御飯はどっかで買ってきてねと言われた。おかしいな、昨日「晩御飯はついてるの?」って訊いたとき、「朝御飯よ」と返されたんだけど、それってそういう意味じゃなかったのか? 迂闊だったな。これなら少し遠いけど別のホテルに行くんだった、と少し後悔する。
 で、冷たい朝御飯を摂って(部屋がぬくいからいいけど)、しばらく休憩。10時半頃、肉屋に行くぞー!とホテルを出た。そう、今回の旅の目的は、イノシシと雪景色と初詣(緑の神社のイメージが欲しかった)! 雪は積もらなかったけど見た。山にも入った、羊も見た(関係ない?)。けど、イノシシがいないーっ。・・・ところが、開いてる肉屋は少ないし、羊か牛(でも子牛も売ってた、めずらし)か鶏・・・。ううっ、イノシシはぁぁ?!

 市場の前でおじさんにフランス語で話しかけられる。・・けども、私はテュニジア訛りのフランス語って滅多に聞かない(普段アラビア語か、授業での仏語しか聞かないから)ので、分かりにくいったらありゃしない。慣れたら分かったけど、むずかしー。
 で、また昨日のお店でグライバと、昨日気に入ったブナーンというお菓子を買って、散歩してからそのままバスに乗り込んだ。郵便局が閉まってたから、なんで?って人に訊いたら「今日は新年の一日目だから」と言われた。そうか、やっぱし、テュニジアでも正月休みとるんだねぇ。
 乗ってからしばらく熟睡。山を下りてから、途中ルアージュが事故ってるのを見た。2台あったから、ぶつかったかな。ルアージュで行かなくてよかったねぇ。
 予想より早い3時半頃テュニスに到着。やった、これでライラのご飯に間に合う! けど、バスを捕まえて帰ったら4時半になってた。ぎりぎりかな・・・と5時まで待ったけど、ライラは来なかった。それからお邪魔すると食事の邪魔になるので、自分で食事を作ることに。久々だー。
 フランスで買ってきたカニ缶を惜しげもなく「正月だし」と使い、カンタンに済ませた。デザートにアインドラハムで買ったナツメヤシを食べるけど、やっぱりヌールがくれた奴の方がおいしいよぉ。