2000年3月21日
今朝は、目覚ましより早く起きた。隣の音が聞こえるからかもしれない。今日が最後からかもしれない。
洗濯物をして、片づけに精を出す。朝から苺の始末。一昨日買ったのに、食べる暇がなかった苺。半キロもあるんだから。でも、洗濯していたら、ヌールが来て「誰のだ?」っていうの。「ここのだったら、全部私たちがやるからいいんだよ。掃除も洗濯も、私たちがやることなんだから」そのあと、ライラまでやって来て「やらなくていいからね!」って念押すものだから、私も「そーだよねー。私が片づけても、このカビは取れないし」と諦めた。ふむ。
お昼ご飯は、ヌールがマカローナを持ってきてくれた。マカローナっていうのは、パスタ料理の総称。ハリーサが利いてて辛い。
私は洗濯物が乾くのを確認してから出かけようと思っていたけど、ヌールが「フィルムを見に来ないか」っていうんで、お隣へ。なんだか、私が南部へ一緒に行けなかったから、私のためにいろいろ映像を残してくれたらしい。ヌールの田舎の家では、プランターみたいなのに土を入れて、そこで羊を切るので、血が全部そこに流れてしまう。だからなのか、塩をまかなかった。そして、そのあと土を掘り起こして混ぜていた。胆嚢の謎も解けた。あれは、「いい年になるように」ていうお祝いなんだって。縁起物なんだって。お金が一杯はいってくるように、ってことらしい。へーえ、おもしろいね。ネフタでは、犠牲祭3日目に町中で踊るんだよ、お祭りなんだよ。みんながしっちゃかめっちゃか楽器を演奏しているのに、なんとなーく一つの音楽に聞こえてくる。っていうか、めちゃくちゃじゃなくて、もともとそういう音楽なのかも? ヌールはネフタだってことを指すために、わざわざネフタ市役所の看板まで撮ってくれてた。それから、親戚一同?が輪になって、延々2時間もコーランを唱える儀式もあった。早口っていうか、高速で読んでも2時間だよ? 信じられない。
そのビデオを見せてもらったあとで、動物園へ行きたかったけど、もう閉まってるだろうからやめて、学校へ手紙が来てないか見に行った。ヌールがくれたお土産(マクルード1キロ!と、ネフタの土器つくりの器)のうち、マクルードを友達にも食べてもらおうと思ったけど、留守だったので諦めた。マクルードって油っこいから、そんなの日本に着くまで保つとは思えないし、2−3日ならいいかもしれないけど。それから散歩して帰ってきた。バスを降りたら、急に頬に当たる風の匂いがして、すごくたまらなくなった。もう終わりなんだって、そこで意識した。
近所のお店に挨拶に行って、家に帰った。
後は片づけと、メールとか。9時半頃にヌールが呼びに来て「フェディが寝る前においで」って言ったけど、私は料理中だったので10時にねって返した。10時に行くと既にフェディは寝てしまっていた。ヌールと客人(親戚)らと日本の話をして、11時に戻ってきた。あああ、寝てる暇がないぞ、いいのか?! ヌールが、うちに電話代の領収書を取りに来て、帰り際に「じゃあ。私たちは、お前が成功することを祈ってるよ。成功して、幸せになることを、祈ってるよ」って言ってくれた。思わず涙出そうになっちゃった。「また明日ねー」って言って帰っていったから、もしや私は明日、彼を起こさないといけないのかな。って、6時なら起きてるか。さ、今からまだ片づけの続きを。
2000年3月20日
朝からいい天気だったんで洗濯してから、タクシーで待ち合わせ場所のTGMの駅へ行った。そこで初めてAちゃんのお母様とお姉さまと叔母さまに会う。いやはや、皆様お顔がそっくりで^^
それからまず、カルタージュへ行って、私は初のトフェットを見た。トフェットっていうのは、カルタージュ遺跡の中でも古い、フェニキア時代の墓なのね。で、その後歩いて軍港跡と商港跡を見た。そこでも初めて、軍港(まあるい形をしている)の真ん中にある島みたいな出っ張り(半島?!)に行った。そこのおじさん、よっぽど暇していたらしくて、ガイドをしてくれた。昔は水位がもっと高かったらしい。それを見てから、雨が降ってきて、ひえーっと思いながらアントニヌスの浴場を見た。
途中で晴れてきたので、食事するところもないし、カルタゴ博物館とかは後回しにして、先にシディ・ブ・サイードへ行っちゃえ!ってことになり、またTGMに乗ったんだけど、あまりの人が入り口をふさいでいて現在地が分からなかったため、乗り過ごしてしまった(あちゃー^^) シディ・ブ・サイードは晴れてたので、レストランでも見晴らしのいいテラス席をぶんどり、なかなかおいしいお食事を頂き、次いでまた見晴らしのいいことで有名な(ハーバーが見下ろせる)カフェ・シディ・シャブアーン(満腹おじさん)ってところで、松の実入りのミントティーを飲んだ。やっぱりそこのミントティーは、おいしいな。松の実入りのミントティーって1DTくらいするから、高いんだけど。それから270度くらい見渡せるところへ行って、海を見た。やっぱり地球は丸いなあって思う。すごくキレイだった。
そのあと、カフェ・デ・ナット(マグレブで?一番古い)に行って、トルコ・コーヒーを飲んだ。そこのは、甘めにしてあって、飲みやすかった。そんなに濃くなくて、あっさり。んで、ついでだからシーシャも試してしまおう!ってことになって、ちょーっと恥ずかしかったんだけど(女ばっかりだったからね)「シーシャ持ってきて!」って言った。シーシャっていうのは水たばこで、普通女の人が外で吸うってことはあまりない。だから、恥ずかしかった。うわぁ(^^ゞ 私は、煙草吸わないんだけど、きつくなくて、何だろう、あっさりしてた。でもアップルシーシャとか、いちごシーシャとか、香りつきのをやったらよかったのかも。で、Aちゃんが比べてみる?っていうから、テュニジア産の”20Mars”って煙草を一吸いだけさせてもらったけど、だめだめだめっ。私にはきつくて、駄目っ。まだシーシャの方がいいよぉ。けど、カフェを出ても、まだ喉の方が「けほけほ」いってた。私には不向きだね。一回3DTだった。
それからまた雨が降ってきて、もう4時半くらいだったのだけど、カルタージュに戻って、雨の中、サン・ルイ大聖堂へ行った。けどね、中がすっかり変わってたの。前はキリスト教徒の、バシリカってそういう感じがしていたのに、今は何? 真ん中の椅子が取り払われて、ステージが組まれかけてて、壁に現代画が掛けられ、宗教チックだったメインの場所にあった絵もなくなって、アラブの民話に出てくるような物語の絵になっていた。なんでー? 全然ルイと関係ないじゃない。しかも別料金で2DH取るんだよ? 信じられない。隣のカルタゴ博物館へ入ろうとしたら、「5時までで閉まるから駄目」と言われたので「写真取りたいから」って庭にだけ入れてもらった。そこから、さっき見た軍港なんかが見られるのだ。雨でかすんだ、湖の向こうに見える山が、とーっても綺麗だった。わびさび・・・。
それからまたテュニスへ戻って、彼女たちのホテルでくつろいで、6時半だか7時頃に、レストランへ移動した。私は食べてみたかったmousliを発見して、食べてみた。クーシャのソースなしバージョンという感じで、塩胡椒と油であっさり仕上げた羊肉で、おいしかった。そして、最後に飲みたかったvieux Magonも飲めて、満足ーっ。あ、これは赤ワインね。1992年ものだった。けど、去年のんだ方がおいしかったから、これってやっぱり年号によるのね。
もう晴れてたから、エル・ハナ ホテル(5つ星)の屋上へ行って、夜景を見た。テュニスの夜景はここから見るのが一番なの。もう、今日はすごいフルコースでしょう。博物館は見られなかったけど、大したことじゃないよ。雨も降ったのに、シディ・ブ・サイードじゃ、全然降らなかったものね。まあ、食べたいと思ってたユーユ(ドーナツみたいなの)のお店は閉まってたから、食べられなかったけど。
大満足してお別れをして帰ってきたら。なんと、ヌール(大家)の車がある! 帰ってきたんだ! 私は帰ってくるとしても21日だろうと思っていたから、びっくりしだ。家に入ると、隣からフェディの汽車の汽笛が聞こえるし、ライラの声もする。あー、いつもの声だ。なんかいいな。じゃ、明日、ヌールが言ってた「お土産」をくれるのかしらん。ふふっ、楽しみだ。何だろうなぁ。
2000年3月19日
朝またもやタクシーを使って10時の待ち合わせに間に合うように出かけた。学校前で、モラドを待つけど、いつも約束時間前に来ていたので、私は、10時(ディゾール)と12時(ドゥゾール)を言い間違えたかと思ってしまった。モラドは来たけど、私のネガを持ってなかったから「どーしたの?」って聞いたら「閉まってる・・」と言われた。おいっ。どないしてくれよう。もう時間ないってば。仕方ないから、友達の家のポストに放り込んで・・って頼んだ。全くもう。気が付けば、今日が若者の日だったんだね。だからお休みなのかも。
そのあと、メディナへ、Aちゃんを探しに行った。昨日電話が掛かってきてて、行くことを知っていたから。彼女が行きたがってたテラスの場所を教えようと思って。けど、誰に聞いても、どこで聞いても、日本人は見てないっていうの。だから「ここを3人か4人の日本人女性の集団が通ったら、私が来たって言ってね」と言い残して、観光ポイントをほぼ全て回った。絶対、彼女より私の方がここに慣れてて知ってるから、あらゆる裏道を通って先回りして。けど、いなかったので、絶対行くであろうポイントで「お願い、Aちゃんが来たら、私からだって言って、この手紙を渡してね」と、地図を言付けてきてしまった。同名の人が来たら、ま、それはそれで、いいでしょ。
それから中央市場で買い物をして、どうしようか迷ったけど、一旦家に帰った。洗濯物を取り入れて、しばらくしてから、またタクシーで待ち合わせ場所へ。土産をちょっと買ってたら、リダー(昨日出会った税関の人)がやって来た。雨が降り出してた。彼の車がちょっと故障らしかったのでしばらく歩いて、お茶して、その間に国歌を少し教えてもらった。
することもなくて、メトロに乗って出かけたけど、何やら私と彼の間に認識違いがあって、私がいつも降りる駅で降りてしまった。「え? 私がさっき言ったのは、いつも、私はこの駅で降りるってだけだよ? 今日降りるって言わなかったよ?」んーで、しゃあないから、歩いてて、私が「もー何か理由付けて帰ろうかなー」と思い始めたとき、カップルの車が停まった。「オムラーンってどこ?」、そこで、リダーは何を考えたか、教えてやるからと言って車に乗り込んだ。どうも、彼らの目的地の隣が、友達の店だったようだ。そこから別の友達の店に行って、ペンチを借りて、タクシーで従兄弟の家に行き、そこに置かせてもらっていた車を直して、従兄弟と共に、ビールを買いに行って、車の中で2本ほど飲んでから、バイバイした。ビールってば、あんまり好きじゃないんだよねぇ。炭酸好きじゃないし。久々だったから結構回って回って。ふぅ。結局何をしたんだろう? 彼はしきりに住所とかを知りたがっていたけど「駄目。その住所はおばーちゃんので、おばーちゃんが、あまり人に教えるなって言ってるから、駄目!」で通した。なんだ、これで通じるやん。
あー。今日は何をしたんだろう。ネガも返ってこなかったし、さみし。明日はAちゃんとカルタージュへ行くんだ。早くねよ。
2000年3月18日
朝からちゃんと郵便局へ行った。いつもの窓口にいつものおばちゃん(おねーちゃん?)がいなくてほっとしたのだけど、税関(がちゃんとある)で荷物の中身を見せて封をするときに、2回も呼ばれた。なんでと思ったけど、単におっちゃんが話をしたかっただけらしくて、私の荷物の中のワインがやばいとか、そういうことじゃなかったみたい。「暇があったらうちへ来いよ。実家はジェルバ島でな。いーぞぉ」ちょっとジェルバに惹かれてしまった私・・・^^。先に送っておいでと言われたから、郵便窓口へ行って送る手続き。「お前か、この間から何回も来てる奴は」「うんそう」「友達はどうしたんだ」・・・この友達というのは、一緒に住んでることになっている架空の友達。「あー、彼女ね、もう行っちゃったよ」「そうか。お前はいつだっけ」「22日」「俺も一緒に行ったらだめかー?」「だっだめ。むずかしーってば」「お前、男兄弟がいるのか? そいつが怒るのか? 言ってやればいいじゃないか。この人は郵便局の人で悪い奴じゃない、言い奴だって」と彼は言った。・・・ちーっと違う。しかも、荷物は5キロなくて、20DTもしなかった。お金がっ、余りまくってるよぉぉ。
で、さっき私と話したがってたおっちゃんを探して、税関の中へ入っていくと(入れって言われたんだよ)「おうよく来た」・・って。そこでしばらく話をして(宗教の話とか、学校の話とか)、なんだか分からないうちに「別にいーよ」ってことになり、ジェルバじゃないけど、明日ちょっとお出かけすることになった。まー暇だしぃ。
で、彼が市内へ出るっていうから送ってもらうことにしたのだけど、彼は同じ政府関連の建物に、犠牲祭の挨拶回りをするために出かけたのだった。それで、私も「イードクム・マブルーク!」って延々やってた。はいぃ。その後、学校が近かったからその辺で降ろしてもらっても良かったんだけど、家の近くまで送ってもらった。それで、明日「国歌の歌詞を書いてくること」って彼と約束をした。今日7時に電話するって言ってたけど、これを書いている今7時過ぎて、電話がないなぁ。
その後PCを持って友達と約束している学校前へ行った。モラドがやって来たけど、「ちょっと問題が」って言う。「写真が12時に出来なくて、5時になるっていうんだ」んー、そっそれはまた・・・。ネガを返してもらわないといけないのに・・。「じゃあ、明日の午前中とか平気?」「午前中だな? 何時?」「じゃ、10時」「分かった」・・・ってわけで、またまた明日は約束が・・・。どーして初めから私に焼き増しさせてくれなかったんだろう・・と思うぞ。ネガ見たいって、その必要ってあったんだろうか・・うむむ。
それからPCを鞄に入れて、マルサまでバスで行った。ぼーっとしたくて、海を見に行こうと思ったのだ。そして、海を見ながらぼーっと思いついた言葉でも書き連ねてようかなぁ、と。
久々のマルサへついて、アイスを買って、そのまま浜辺へ。どこもかしこもカップルだらけ。そう、私が静かなところがいいなって進めば進むほど、カップルだらけ。すまんのー。で、適当に座れる場所を見つけて座り込んで、気持ちよくて歌なんか大声で歌ってみて、風に吹かれて。けどPCを出すには足場が悪くて・・。そうしてたら、後ろにおやじが一人。「ボンジュール」・・。なんだこいつ。向こうからまたカップルが来たので、それがこっちへ来る前に、移動を始める。ついでにおやじから離れようと思って。次の場所は、とても座りがいのある石の形だったので、そこに座ってPCを広げたら、先に進んでいたはずのおやじがいつの間にか戻ってきて、ちゃっかり隣へ座り込む・・。無視していたけど、ちょっと二三の質問に答えてやったら、居着いてしまい、ぶつくさ私に延々話しかけている。私の頭のイメージもどっかへぶっ飛んでしまうので、「うるさいっ、あっち行け」「ほっといてよ」と、アラビア語とフランス語でまくしたてたけど、奴が行かないので、私はせっかく見つけた場所を放棄していかねばならなくなった。それで、今度は丘の方へ上って、そこに落ち着いた。おやじはどこかへ行ってしまった。しばらく30分くらいか、そこでぼーっとして、雲が増えてきたので戻った。駅へ着いた頃には、頭がぼーっとしていたので、TGMの中で熟睡した。向こうの方で「日本人が・・」と言っているのが聞こえたけど、なんだか疲れていて無視。
家に帰ってきて、「明日、どーしよーかなぁ・・・」。
2000年3月17日
10時半に家を出て、またまたタクシーでお出かけ。あんまりバスもメトロも見えないから「ねえ、今日もメトロは・・」って訊きかけたら、向こうからメトロが走ってきた。「うん、走ってるよ。けど、何かい? 今日、メトロに乗る用事でもあるのかい?」って聞き返された。「いやー、そうじゃなくて、昨日はなーんも走ってなかったもん」「そりゃイード(祭日)だもんな」なーんて話をして、後輩んちの前で降ろしてもらい、後輩らに余り物のお裾分け。
で、約束の5分前、10時55分に学校へ着いたら、マハムードとモラドとシャディが待っていた。「ボンジュール」「ボンジュール」。なんか、この間のシディ・ブ・サイードで、シャディの子供っぽいはしゃぎ方を見てるので、なんかいつも以上にシャディがかわいく見える・・。で、写真を見せて、ネガを渡して「じゃ、明日の14時に、またここね」と約束をした。モラドが明日ネガを持ってくるらしい。で、同じ方向だったので、カメラ屋までついていった。今日中に出来るんだったら今日もらおうかとも思ったけど「明日の12時」っていうから、諦めた。私はメトロの駅裏手のバス停へ行き、彼らはメトロの駅裏のpublinetっていうネットカフェへ入っていった。
私はしばらく考えて、やっぱり買い物へ行こう!と思ったので、とことこ歩きだした。すると、前方からマハムードがやってくる。「どうしたの?」って身振りをしたら「今日ネガが欲しいんだったら、これ(引換証)もって、さっきのカメラ屋へ行ったらいいよ」って言う。「はぁ?」って聞き返したら「だから」と彼はまた言った。「モラドが要らないって言うから、もし今日中にネガが欲しいんだったら・・・」って引換証を渡そうとするから「なんで?」と訊いたら「モラドが・・・」と、なんか訳が分からない。ふと、publinetの入り口を見ると、後の二人がいる。・・・さっきカフェに入ったところなのに、なんで?と思ったら、マハムードが「来てよ」って言うから、二人のところへ行った。モラドがまず曰く「どうしたの?」・・・おいっ。だから私も「どうしたの?」って言ってやったら、マハムードとシャディが同時に「お前の方がどうしたんだよ!」って突っ込んだ。うーん、面白い。。。 見るからに、モラドはふてくされていた。マハムードが脇から、「だから、せっかく(malka)がもってきてくれたし、記念じゃないか」云々と、パレスティナ方言で彼を説得する。シャディも脇からやんややんやと早口で言う。私はほとんど何を言っているか分からなかったけど、モラドが、イヤイヤって感じに「でもさー」って感じにぼやいているのは、よーっく、分かった。しばらくやりとりがあった後、マハムードが私に向かって「うん、じゃ、これでおしまい」って言った。意味が分からなかったので「へ?」って訊いたら「サヴァ(大丈夫)、明日の2時にね」と言った。私はホッとして「うん、じゃあ明日ね」と言ってからモラドを見て「サヴァ?」と訊くと、彼は「うんうん」と頷いた。そしてマハムードが「こいつ、子供なんだよ」って言ったときには大笑いした。マハムードの言い方からすると、きっとpublinetで話をしているときに、なにかごたごたがあって、モラドが「じゃ、もういいよ!」ってな具合に拗ねたんだろうな。それで、マハムードがわざわざバス待ちしてる私のとこまで来たわけだ。まだ18だもんなぁ。なんかモラドの子供っぽいところも見れて(いや、私もまだこうやって拗ねるけどさ)、面白かった。同時に、マハムード・もうすぐ20歳の、そういう子供っぽいところも見たくなった。けど、マハムードってば、なんかどこでもお兄さん風吹かしてて、そういうのはあまり見れそうにない。うーん。帰ったら絶対メール送ってやるっ
それからブルギバ通りまで歩いて、スーパーを見たけど、やっぱり閉まってたので、メディナの中へ入って、ミントを売っているところを探した。でも、食料品屋しか開いてなかったので、そこで買った。スークへ行ったけど、そこにもなくて、ひよこ豆とミントを買いなおした。ミント、ほしかった乾燥葉っぱのみっていうのがなくて、枝付きだったんだよね。送るとき面倒なんだけど、まあ仕方ないか。明日、最後の郵送チャンス。この間郵便局の人に「じゃあね!」って言ったけど、また行くのだ。「また来たのか」っていうだろうけど、歓迎してくれるのか、イヤイヤか・・・。はてさて。
バスを待っていたけれど、なかなか来なくて、同じようにバスを待っていた人が「犠牲祭で、緑のバスはマルサ行きしかないよ」と教えてくれた。それでメトロで家に帰った。お昼を食べたら、あとはひたすら犠牲祭レポートを作成。今日は、またおいしいケーキを食べた。メディナの近く、去年の通学路においしいところができているのを発見したのだ。安いし。今日は2つくらい買おうかなと思っていたけど、さすがに犠牲祭だけあって、品数が少なくなってたのでやめた。
2000年3月16日
朝、8時前に起きて、8時15分過ぎに家を出た。交通機関ないんじゃ・・と思ったら案の定。友達に出会ったけど、「今からアリアナに行くから」って逆方向を言われてしまった。それで、歩いて歩いて、途中で何とか捕まえることが出来たけど、場所が面倒なとこなので、「構わない?」って訊いてしまう。メディナの入り口で降ろしてもらったんだけど、そこにいた人たちが、身振りで「なんでこんな時間にこんなとこへ来るんだ?」って訊いてきたけど、私は笑って答えずに、さよならーって去った。
私がファーティマのアパートに着くと、ファーティマや長女ノーラはいなくて、どこに行ったの?って訊いたら、「屋上」って言われた。早く早く!と長男らを急かして上へ行くと、既に皮剥の段階に来ていた。けど、隣の棟の子供たちに請われて写真を撮っている間に、運良く別の一家がすぐ間近に羊を連れてきたので、はじめから見ることが出来た。解体処理をする家族に、初めての手伝いを言い渡された女の子は、内蔵の一部から糞を洗い流す作業が嫌で、眉をひそめていた。「私たちの中にも同じ物があるんだからね。同じなのよ」ってお母さんたちが言い、私も「写真撮るからこっち見てー」ってカメラを向けた。そうしたら女の子は笑って作業を続けた。しばらくしてから「うまくできた?」って訊いたら「うん!」って元気よく答えてくれた。
その後、ファーティマの家で、三女ユスルが炭火を熾すのを手伝った。私たちが火を起こしている間に、長女とお嫁に行った次女が、二人で羊を解体していた。そして食べやすい大きさに肉を切り分けていた。私たちがお肉を焼いて食べている間に、ファーティマの作ったクレーヤという肉料理が出来上がり、私だけ食べさせてもらった。男たちは、次女ジャリーラの家に行って、お酒を飲んでいるらしかった。羊はハフシー家(ファーティマの家)とジャリーラの家の2匹捌いたので量は十分あるのだけど、自分たちは飲んでいて、生肉だけ取りに来るのだ。大きな解体作業は男がやったけど、細かいところは全部女がした。食べてしまうと、料理組以外は暇になった。解体された羊は、できるだけ初日に下味とか付けてしまうみたいで、ひっきりなしに台所での作業が続いていた。私は眠たくなって、昼寝もしたし、延々衛星放送(仏語)を見たりした。
9時になって、もう本格的にすることもなくなった。だって、みんな晩御飯を食べるとかしないんだもん。私だけ、昼間の残りと、明日出す予定の料理の一部を少しもらった。他の人はパンを食べたくらいかな。それで、「もう眠いし帰るよ」と言ったら、ファーティマに「今は夜なのよ!」って言われた。この間来たときも8時半くらいに帰ったのだけど、犠牲祭で人通りが少ないしタクシーも少ないから言ってるみたいだった。「泊まってきなさい」と言ってくれたけど、私は明日11時に約束があって、家から写真を取ってこないといけない。ここで寝てしまったら、私は何時に起きるんだ?! それで「やっぱり帰る」と言ってお別れをして、家を出た。
ノーラが「フードをかぶって、走っていきなさい」と言うから、バタバタ走ってメディナを抜けた。抜けたところでタクシーに遭遇したが、客が乗っていたらしく、合図があった後通り過ぎられた。・・・が、ナゼか行く先で泊まった。乗っていた客の女の人が顔を出して「どこへ行くの?」と二カ国語で訊いた。「メンザ5」って言ったら、彼女は分からなかったけど、「前に乗りなさい」と言ってのせてくれた。運転手が「彼女を届けたら、後でメンザへ行くよ」と説明してくれた。ほっ、やっぱり私は運がいいってことで、まとめておこう。
2000年3月15日
昨日も寝なくて今朝4時頃寝たので、11時半の目覚ましが鬱陶しかった。けど今日は2時か3時くらいに、と約束をしているので動かないといけない。
日本食一式も、後輩にあげてしまうので、今日は最後と思って焼きそばをした。この「もどき」は、日本に帰ったら食べられない味なのだ。いつか懐かしく思うに違いない。
メール見てたら時間がなくなって、タクシーで出かけることにした。運転手に「いつもタクシーに乗ってるのか」と言われてしまった。・・・今お金余ってるんだもん。。。
後輩のところに、日本食その他を届けて、それから写真を現像に出し、それからメディナへ買い物に行った。残っているお金の使い道に困って、旅行するにも時間がないし、土産を買って送ることにした。中身より送料の方が高いというやつだ。それで、頼まれていたのに忘れていたオリーブ石鹸を買いに行き(オリーブの率が72%のしか売ってなかった)、松の実(1キロ3千円もする!)を100グラム買って、それからスーパーへ行ってワインを買った。目的のvieux MAGONはなかったけど、昨日アリのところで飲んだugni blancを買ってみた。
これから梱包しよう。
※ちなみに日本へ届いたとき、このugni blancが割れていて地図とか全てびしょびしょになってしまった。
2000年3月14日
今日の一時間目は、みんなが問題集を持っていなかったため、教科書の続きをすることになった。が、なんか厄介で、私の嫌いなテーマ。2時間目が始まったとき、先生がテストの結果を返したのだけど、その後、授業を続けるっていうのね。そしたらみんなが、私が今日で最後だから、別なことをしよう!って言い出して(みんな、私をダシにして、授業をやりたくなかったらしい)、結局言葉遊びをしたの。単語の虫食いゲームとか、指定したアルファベットで始まる、各項目に単語を埋めていく(人名とか、動物とか、植物とかいうテーマの単語を見つける)っていうゲームをした。
授業が終わって、先生に住所をあげたら、先生が「これは、あなたにだけよ。みんなに教えたら大変だもの」って、教えてくれた。で、ガダのカメラで写真を撮って、シャディ、モラド、マハムード、ガダ、ナリマンの6人で、TGMに乗って、シディ・ブ・サイードへ向かった。
会話はほとんど、パレスティナ方言でされているので、所々わかんなくて。しかも、最近フランス語以外ではテュニジア方言しか喋ってないから、アラビア語が出てこない。ましてやパレスティナ方言なんて(みんなパレスティナ人)。でも、一人だけテュニ語を話すって嫌だから、真似して「シュー(何)?」とか言ってみるのだった。
何をしたって、ただシディ・ブ・サイードの街を歩いて、景色の綺麗なところで写真を撮って、みんなでわいわいやっただけ。つまんないことが、すっごく楽しいのね。なんだ、今まで渋って誘わなかったのって、何だったんだろうと思った。何もすることがなくても楽しいじゃない。何するの?って言われても「何にも。話をしようよ」って、それだけで十分なんだねぇ。女性陣と男性陣が離れてベンチに腰掛けていたとき、ナリマンが「ねえ、モラドの頭、あれね、なんかのアニメで見たことあるんだけど。何だったっけ、カクカクっとした頭で背が高くて、ああいう眼鏡かけて・・・。ね? 歩き方まで一緒っ」って笑い出して、私的に大爆笑。そしたら、前で男性陣が「何? (malka)まで笑って、どうしたの?」「うーん? 何でもないよ、何でもない」。うん、そういう何でもないのが凄くいい。
みんなに、歌を聴かせてもらったのね。みんなが何曲も何曲も歌ってくれた。知らない曲。でも、みんな凄く楽しそうなの。「知らないの? これは、ヨルダンのCMソングだよー」とか言う。彼らを見ながら、すごく切なくなって、曲は楽しいのに、これで終わりなんだな、この瞬間ってもうないんだな、とか思って、「じゃ、今度は貴女の番、もう一曲歌ってよ」と言われたとき、迷わずに「仰げば尊し」を歌ってしまった。2番とも。なんで明るい曲のあとに、こんな歌を歌うんだろうと思いながらもう、切ない気持ちがいっぱいになって凄く気持ちがこもって、泣き出しそうになってしまった。ゆっくり歌い終わった後、一人が「TOSHIってなんだ?」って聞き取った単語を訊いたのね。何回も出てくるんだろうね。耳に響いたんだろうね。「一年、年、だよ」とアラビア語とフランス語で言った。「年」、限られた時間だ。もう夕暮れが迫っていて、海風が冷えてきていた。もう帰らなきゃって気持ち、やだなって気持ち。ガダなんか、実は風邪うつされて熱あったっていうんだから。来るって言ってたソマイヤは、都合でそのままサウジへ行っちゃったし、同じくマヌエルは、テストの前の日に足に火傷して歩くのが辛いから来れなかったし。
もう、凄く、嬉しかった、そういう気持ちの全てが。それで、メトロで帰ってきたとき、7時15分だったんだけど、お別れの両頬キスをして、ナリマンとは抱き合って、、、。お別れした後、7時半に約束があったから、タクシー拾おうとしたんだけど、捕まらなくて、途中から走って行った。必死に走って、途中一駅分だけ、ちょうど来たメトロに飛び乗って休み、それからまた走る・・・っていう恐ろしいことをしたので、これを書いている今、筋肉痛か、むちゃくちゃ足が熱い。
今日はkeikoさんの家で夕食会だったのだ。TくんとS氏とそのお客人も、今日は一緒。今日はいつも以上に、家の主アリは混乱していたと思う。いつもは仏語で喋っていたら、とりあえずkeikoさんも私も分かるのだけど、今日はフランス語のできない人が3人、うち一人はアラビア語もできない。アラビア語を勉強しているTくんとS氏は、英語を喋るよりアラビア語の方が口から出てくる。というわけで、アリが喋ると、必ず誰かが通訳するか、もしくはアリが何カ国語かで分けて喋るとかしていたのだけど、もうときどきごっちゃになって、フランス語で喋っていたかと思えばアラビア語が混ざり、最後には英語が混ざって、こっちもクラクラだった。でも、私の中で、アリが一番、フランス語を話しやすい、「先生」なので、私はフランス語で喋るようにしている。段々自信がついて来るんだもの、いいよね。
アリに送ってもらって家に帰ると、戸口に、ライラが「ハサンに頼んでもっていってもらうから」と言っていた、約束のテープが置いてあった。なんのテープかというと、テュニジアの国歌のテープだ。聴いてみたけど「やっぱり、歌詞が欲しい」。
2000年3月13日
テストは文章読みとり問題だった。・・・と思ったら、先生が「出来た人は出ていっていいけど、10時15分くらいから文法問題があるからね」と言った。2段戦法だったらしい。せこいーっ。
休憩時間の間に、私は電話代を払いに行き、野菜の買い出しをして、クラスに戻り、そしてテストの続きを受けた。テストが終わって、ソマイヤが「明日、サウジに行くから、シディ・ブ・サイードには行けないわ」って言った。んー、発起人じゃなかったのか、ソマイヤ。けど、犠牲祭をサウジで、だなんて凄いかも。
そのあと、ペドロとメディナへ行ったけど、彼には学食でのお食事時間が重要だったらしくて、悲しいことにさらーっと回っただけで、いつもの時間に家に帰ってきてしまった。くやしーんっ。
だから、メール見た後、昼御飯も食べずに、梱包に精を出して、3時過ぎにタクシー捕まえて郵便局へ直行した。そしたら、またおばちゃんが「まーたぁ。次来るときは2時に来なさい、2時にっ」って怒る。うっ、早く出たつもりだったのに、タクが捕まらなかったのよぉ。とにかく、明日使う教科書も全てパックして、なんとか送ってしまえた。ほっ。
ところが、昨日約束してあったのに、訪ねなかったことを思い出して、電話番号書いたやつも送ってしまってる・・・。ので、訪ねることにした。まずAちゃんが今晩電話してくると言っていたので、断るために、Aちゃんの寮を訪ねていき、それからメディナの中の友達の家へ向かった。途中、犠牲祭のための「金網」「切り株」が売られているのを見た。金網は、羊を焼くため、切り株は、まな板にする・・らしい。さすが、丸ごとだとまな板じゃ駄目らしい。っていうか、普通の家はまな板使わないんだよね、普通。
前に住んでいたアパートに近づくと、知り合いのおっちゃんが驚いて「おお、どうしたんだ?」と出てきたので、しばらく話し込んで、訪ねるべき家の三女が通りかかったので、彼女について、家を訪ねた。ムハンマド・パパが、「木曜日、うちにおいで。一日中、犠牲祭だから。羊を殺して、食べるからね」・・・うぅぅ、念願の犠牲祭が見れるーっ、むちゃうれしーっ。・・・で、お食事いただいて、8時半にお暇して、9時頃帰ってきた。
2000年3月12日
11時くらいからメールチェックして、それから12時過ぎてお昼の支度。・・・はいいんだけど、今日、長米でおにぎりしたの。なんだできるじゃない、っていう発見をしたの。おいしかった。ちゃんとごはんくっついてるし。けどね、問題はその後。手紙書いてたら、何かお鍋の焦げ臭いにおいがするの。気づいたら、髪の毛の先が縮れて焦げてたのよぉぉ。あああ。髪の毛くくらずに米を炊いてる鍋の音を聞いたりしたから・・・・。気を付けます。うぅ。燃えなくてよかった。・・うまく髪切れないけど、どうせ伸び放題に伸びてるから、いいか。
2000年3月11日
今朝、朝からメールをチェックして、早めに補習校に着いて賞状の印刷をしなくちゃいけないので、9時前にバスに乗った。9時過ぎに補習校に着いて、肝心の賞状の原本を持っている後輩Tくんを待ったが、なかなか来ない。結局、忘れていた彼は、10時前に来て、そこから家に取りに帰ったのだった。
今日の授業は、「お話の続きを考えよう」だった。けどなかなか想像してくれないNちゃんを、なんとかお話づくりにもっていこうと、私も必死だ。まずは場面の絵を描かせ、あれこれと質問をし、ようやく答えてくれるようになった。「切り株、無視していいよ。動物を考えよう。動物が切り株にお話しするの。どんなお話がいい?」・・・「動物たちがハイキングへ行くの。けど、切り株は動けないよ? 自分も行きたいって、けんかになっちゃうよ」・・・「きりかぶの赤ちゃん」って話の続きを書くのだ。動物と、切り株から新しく芽が出た木が、登場する。そういうNちゃんに「それ、いいよ。けんかさせちゃおう。面白いよ。じゃ、誰がハイキングに行こう?」私もNちゃんと一緒になって考える。はりねずみとねずみとりすが山にハイキングに出かけ、お花畑を見つける。すると、ラフレシアみたいなでっかい花を見つける。かなりグロテスクだと私は思うのだけどもそれは無視して、その動物たちはそれをおいしそうだと思って食べようとする。・・と、くさーい液が出てきてみんなで逃げ出しちゃう、云々・・・。話していると凄く楽しそうで、いっぱい出てくるのだけど、「じゃあ書いて」と言うと、これがまたうまく書けないのね。で、時間が来てしまって「仕方ないね、じゃ、お母さんに頼んでおくから、家で見てもらって」と言うと、「えーっ、でもできあがったの、先生に見て欲しいよぉ」と言うんだ、これが。むちゃくちゃかわいい。ああ、Nちゃんも成長したな、と思ってとても嬉しいのだ。それで、私がお母さん宛の指導メモを書いている間に「じゃ、今やる!」と言ってバタバタと慌ただしく書いてしまった。だから、勿論いっぱい妙なところがあるんだけど、気持ちがとっても嬉しかった。「お母さんに聞かせてあげなきゃね」、珍しく、うん、と嬉しそうに言った彼女自身、とても満足していたんだろうね。
で、授業が終わって、慌てて賞状を作る。コピー機大活躍。失敗しまくり。そのあと、お誕生日の子や、さよなら組への寄せ書きを書く。お菓子やご飯を食べてから、書いてあった寄せ書きとプレゼントの授与。私もさよなら組だから、カードをもらった。プレゼントも、この間からちょっと探していたアロマテラピー用のポット(っていうの?)の、すごいテュニジアっぽい、いいのをもらった。カードは、見てて涙が出てきちゃった。見てるだけだとなんてことないのに、読んで感想言ってしまうと、駄目。だって、小2の片っ方、名前しか書いてないんだよ。もう片っ方は、メッセージしか書いてないんだよ。あんたたちはもう・・・って、いつものまんまやん。それから、Nちゃん、「げん気でね」って、ちゃんと漢字で書いてあった。「気」の字、嫌いって言ってたのにね。すごいすごい。
帰ってきたら、ヌールに会った。「明日朝、南へ帰るから、今晩おいで」と言われた。うん、行かねば。これでお別れやし。
8時過ぎにヌールが呼びに来たから、家へ行った。フェディ坊やとお別れして(彼は分かってないけど)、彼が寝てしまうと、ヌールが私にお土産と言って、金属製のお皿(テュニジアの地図が彫ってある)と、シーシャ(水たばこ)の置物をくれた。私も持って帰らない荷物とか、ひな祭りに作った折り紙とかをあげた。今まで訊こうと思って訊いてなかったことをいっぱい訊いた。こっちも訊かれたことをいっぱい答えた。なんでさ、別れの間際になって、あれもこれもと欲張ってしまうのかな。なんで今までしなかったのかな。時間はいっぱいあるって、いつも思うからだね。ほんとは、無限の物なんて、何もないのにね。「またおいで。そしたら今度は、一緒に南へ行こうな。オアシスも見ような。夏に来たら、海へ行こうな」「もう、娘だからね」決まり文句のように、そう言うけど、それでも嬉しいんだね。うん、嬉しかった。名残惜しくて、何回も握手して、両頬にキスして私も大好きなんだよ、また来たいね。ほんとにね。・・・ちょっと、しんみりした夜でした。
2000年3月10日
ねむいぃぃ、と思いつつも12時前には起きた。ご飯を食べて、3時には郵便局へ出かけるつもりで、荷造りをした。あっちこっちひっくり返して、これもこれもあれも!と昨日大使館でもらった箱に詰めた。
で、この間ぎりぎり4時に行ったら怒られたから、3時に出かけたのだ。タクシーを使って。なのに!
「おい、どこへ行くんだ? 閉まってるぞ」「え? なんで?」「金曜日は午前中だけなんだ」「ええっ、うそ。この間金曜日に送ったよ」「いーや、金曜日は閉まってる」・・・・・「じゃあ、どこなら開いてるのよ」「ラピッドポストかな」「駄目よ、高いじゃないのっ」「高いのか」「当たり前よ!」「じゃ、明日来い。明日も午前中だ」「駄目よ、明日は仕事があるもの」「12時までだぞ」「うん、駄目」「じゃ、来週だな」「月曜と火曜日は約束があるのよ。それで、犠牲祭があるでしょ」「16日だろ」「15日は開いてるの?」「いや、閉まってる」・・・この不毛な会話っ。結局、その後と言えば18日しか開いてないことが判明した。「大丈夫だ。22日に帰るんだろう? 18,20,21と、3日もあるじゃないか」でも、20日も祭日なんじゃなかったんだっけ。休みじゃないのかな? 21日も若者の日だし?
とにかく、私はまたタクシーで家まで帰ってきたのだった。あんっ、今日の朝からの頑張りは一体! 睡眠時間を返せっ、そしてお金を返せっ
2000年3月9日
今朝は8時頃起きて、朝御飯もゆっくり食べて、資料請求葉書なぞ書いてから出かけた。ふむふむ、ゆっくりできる朝というのは素晴らしい。
学校に着いたら、みんなクラスの前に固まって何か話をしていた。ナリマンがやって来て「昨日、どうして蛍光灯を外したの?」と訊いた。そういえば昨日、休憩時間にホワイトボードの上にあった蛍光灯がつかなくなって、勝手に外して事務へ持っていったのだった。あとで先生に危ないからと言われたけど、たいして危なくないんだけどな。「いや、もう終わってたから」とだけ答えた。
もうテストの終わった人は帰っていった。私は別の教室で大人しく待つ。自分の番が回ってきたのは11時半くらいだったか。テスト中のナリマンが先生相手に泣いていた。後で先生が「ごめんね、話してるときに、家族のこと思い出して泣いちゃったのよ」と説明してくれた。一体どんな質問をしたんだろう・・・(聞いてなかった)。私がくじで引いたのは先生が「あらー、難しいところ当たって。変える?」と言ったところだった。読むのはそれほど難しくもなかったんだけど、質問はそのレッスンから出されるのね。けど、先生はテーマを変えてくれた。仕事の話。・・・「決めてません」「けど、日本に帰って結婚もして子供も持って仕事もするんでしょう」「え、ええ」「日本って、それは難しいのかしら」・・・そういう話を振られても、うまく言えないのよぉぉ。先生のフォローを受けつつ説明する。ああ、難しい。
とりあえずテストが終わってほっとして家に帰る。ご飯もおいしく食べて、メールチェックして、いろいろ。
それから3時過ぎに郵便局と大使館へ行った。大使館で、領事の人に会って「箱が見つからないんですよ」という話をしたら、分けてくれた。ありがとうございますぅ。そこで会った同じ学校の子と、歩きながら帰る。なんだかゆっくりできるのがいい感じだった。
2000年3月8日
昨晩からの続きで、4時までエントリーシーと書いてて、4時半に寝て、6時半に起きた。サイアク。
学校行ったけどねむくてねむくて。休憩時間にペドロが「今日は駄目だから、月曜にメディナへ行こう」というからOKした。そしたら、授業中に紙が回ってきて「月曜、テストが終わったら一緒にシディ・ブ・サイードまで行かない?」って。クラスのパレスティナ人+ロシア人だった。むちゃくちゃ嬉しかったけど、月曜は先約があったので「火曜日じゃ駄目ー?」って。予定があるって、結構嬉しいかも。日本へ帰ったら、就活で埋まるんだろうけど。
家に帰って昼に寿司を作って、3時頃に寝た。
・・・・ら、起きたら日付の変わった1時前だった。けど、今日は日記書かないと、昨日も書いてないので(仏語は諦めた)。で、これを書いている今は3/9 2時半・・・。これだけアップして寝ようかな。明日のテストは10時からの部なので、遅く行ってもいいんでしょ、たぶん。
2000年3月7日
授業が終わって、マハムードにアナスを呼んできてもらい(っていうかクラスを訊いただけ)、写真を渡す。ペドロが、メディナへ出かける話を催促してくれたけど「ごめーん、今日はやることがっ」。その後、彼の友達のギニア人・コンテを紹介してもらったが、なかなかいい感じの人だった。しかも、ペドロよりフランス語が分かりやすい。
Aちゃんたち日本人と食事に行って、その後カフェに行き、Tくんと日本語補習校の賞状をコピーしに行ったけど、「厚紙は駄目っ」と言われてやってもらえなかった。しかも「グラムが重いから駄目」っていうのよ、ちょっと違うんじゃないの?
一旦家に帰って洗濯して、Aちゃんと待ち合わせてたバーブ・ハドラーへ行った。カリグラフィーで知り合ったおばちゃん、シャリーファの家に行くのだ。待ち合わせの5時半までには時間があったから、先におばちゃんのアパートへ行ってみて、場所をチェックしてきた。「シャリーファか、なら5−5だ」と、なーんも言ってないのに、通りすがりのおじさんに言われてしまった。なんで知ってるの? 結局Aちゃん以外は来なくて、二人で行ったのだけど、シャリーファのうちは綺麗すぎっ、6階の最上階で、テラスは広いし、一人暮らしだよ。そこでクスクスをいただいてたら、甥っ子が登場、名前忘れた。そのあと4人で宗教談義になり、またまた頭がパニック。けど、神道でもめるより仏教の方がいいかも。今回は輪廻転生とかを思い出すまでに時間が掛かり、思い出しても説明できないし・・・。気が付けば9時だったので甥っ子に車で送ってもらうことに。途中エンストを起こして動かなくなったけど、通りすがりの人にエンジン見てもらって、10時前には家に帰れた。
そこからメールチェックして、企業HPとか見てたら、その日にエントリー締め切りのとことか見つけてしまった物だから、さあ大変。翌朝4時までやってました。で、4時半に寝て、、、、(続く)
2000年3月6日
クラスのみんなに、週末に仕上げた「メッセージと写真」をあげた。何が面倒って、封筒が尽きたときに封筒を捻出するんだもん。作ったわよ。それにメッセージを書くネタがなくなるからって全部「日本語の単語を教えてあげる」と言って3語ずつ書いたのだけど、それも同じ単語の繰り返しになって飽きてきたし。でも、その甲斐あってみんな凄く喜んでくれた。たかが写真にそんなおまけが付いてくるとは思わなかったらしい。しかも封筒にもシールとか使いまくってカラフルだったからかな。
授業が終わって、メディナの方へ歩いていき、フリカシー(揚げパン)のおいしい店を見つけた。値段は同じ(200ミリーム)なのに大きいし、流行っているから揚げたてが食べられる♪ それに、そこのロールケーキもおいしかった。メディナで写真を撮るのに協力してもらった人たちに、ついでだから写真をあげて回った。途中、母の欲しがりそうな飾り用の素焼きの皿を4DTで買った。
で、前のご近所まで来たので、もう帰るし・・と思って思いきって行ってみた。今まで近くまで来ていても「今更」と思って敬遠していたのだった。出てきたお母さんは、びっくりしたというよりは非難げな目で私を見て、それでも招き入れてくれた。「どうしたっていうの。どこにいってたの、一回しか来てないじゃないの!」・・・もうむちゃくちゃ肩身が狭い。しかも、ご飯食べたと言ったら、「どうして、まだ早いじゃないの」と怒られた。そう、御飯時というのは1時半から2時くらいのことなのだ。今日は長女のノーラとお父さん・お母さんしかいなくて、また来いと言われた。しかも、日曜日・・・。テスト前・・・(^^;; 帰りがけに、ノーラが私にインコのファリーハの卵をくれた。ちょっとひびが入っていて、軽くて、まるでおもちゃみたいだった。授業に急いで走りながら、私はその卵をジャケットのポケットに放り込んだ。
カリグラフィーの授業を受けたあと、明日家に呼んでくれるおばちゃんの家の場所を確かめるため、おばちゃんの車で家まで行った。場所を確認してからバス停まで送ってもらった。車を降りるとき、見事に皿を割ってしまった。降りたら「かしゃん」ってしたで音がするんだもの。さすがに素焼きの皿は修復できないくらいには壊れていた。で、そのままゴミ箱へ捨てて、「何よ、4DTなんか一食分よ」と自分に言い聞かせながらバス停へとたどり着く。
ふと思い出してポケットを覗くと、卵の殻と黄身が見えた。「うそっ」。ミスキーナ(かわいそう)。なんでポケットなんかに入れたんだろう。おもちゃみたいだったから? 持って帰ってどうするつもりだったんだろう。ノーラはなんでくれたんだろう。生かせてもやれず食べてやることもできず、無駄に殺してしまった。ミスキーナ。
家に帰って、今日届いたエントリーシートを書くべくPCに向かう。締め切りは3/15必着。そんなん不可能やん。明日出しても間に合わない確率大。2時間半ほどそれにかかりきりになるも、ついに断念。やる気があるんだかないんだか。
2000年3月5日
今朝一度起きてトイレに行き、二度寝した。2回目、10時頃起きたら、台所が水浸し。それもトイレとの敷居から水が漏れている。ええっ、と思ってトイレに駆け込むと、水道の蛇口が閉まってなくて、ぴちゃぴちゃ音を立てながら、あふれていた。ここの蛇口しまりにくいから・・・。その水を全部外に吐き出してしまって、ほっと一息。そのうち乾くでしょ。
朝御飯にするものがなくて、この間買ったメロンと、絞ってオレンジジュースを作って飲む。
この間買ったエンドウ豆を全部むいてしまい、一緒に買った米がおいしかったから、豆ご飯をしよう!とウキウキ作り始める。ほわ〜ん、しあわせ^^ 水加減もOK、まるで日本米の感触。
それから家にある手紙の束を段ボールに詰めて、一息。まだまだ片づける物は残っている・・・。
それから、昨日の旅行記を半分書いて、これも安堵。でもまだ半分残ってるー。しかも、明日のテストの支度っ
2000年3月4日
朝8時に学校前で待ち合わせ、四駆に乗ってイシュケウルへ! このガイドブックの「イシュケウル」っていう表記は、私は気にくわないのだけど、ガイドブックにこう書いてあるとみんながそう認識するから、そう言わないと通じないので、困るのだ。Ichkeulという仏語表記を英語読みと仏語読みを混ぜて読むからいけないんだよ。アラビア語だと「イシュケル」だし、仏語だと曖昧母音が入って「イシュクール」みたいな感じになる。
それはともかくとして、夜は遅くに帰ってきたので、この日の日記は別枠で「旅行記」の方に回すことにして、今日は寝ます・・・(ずるい?)
2000年3月3日
午前中、借りた辞書をコピーしに行って、洗濯してご飯食べて過ごす。
3時に家を出て、補習校へ行く。今日はひな祭りだから、お寿司を食べさせていただき、授業も早めに切り上げて、みんなで折り紙。めびなとおびなを作った。最後は桜餅まで頂いて(どこから材料が??)、幸せだった。はうーん。
2000年3月2日
昨日現像の終わった写真を、みんなに見せた。他のクラスのアナスがみんなの集合写真を撮ってくれたのだけど、彼もやってきて、自分が撮ったのが一番綺麗だと言っていた。確かにその通りだったので、他のも彼に撮ってもらえば良かったと思った。
授業後、アハマドがやって来て「行けるかどうか分からない」と、想像通りのことを言ったので、「別に構わないよ」と言っておいた。
学校の前の写真屋に焼き増しを頼みにいくと、「3時か4時くらいに出来る」と言われた。週末に写真に付けるメッセージを書いてしまいたいので、今日受け取りたい。ので、それまで時間を潰すことにした。
どこでご飯を食べようかなと思いながら、カセットテープを買うためにメディナまで行き、久々の店に入ることにした。そこで「あのクスクスは何?」と尋ねたのだが、その人が御馳走してくれた。久々に食べるオスバーン(腸だか膀胱だかに野菜などを詰めた物)だったので、凄く嬉しかった。レストランでオスバーンが食べれるとは思わなかった。で、その後、カフェでもどうだと彼とその友人に誘われたので、奢ってもらったしそれくらいは付き合おうと思って、ついていった。ホテルアフリカっていう5つ星ホテルの横のカフェで、初めてだったし、テはおいしかったし、満足した。
彼らと別れてから、目的の店でテープを買い、まだ時間があったので、母の欲しがりそうな皿(飾り用ね)を見に行くことにした。うーんと唸りながら見ていたら、後ろから声を掛けられた。しかもフランス語だったから頭の切り替えがすぐに出来なくて、びっくりした。それがテュニジア人だったらそんなに困らなかったのかもしれないけど、クラスメイトのマハムードとアナス、どちらもパレスティナ人だった。パレスティナ方言って古典語の語彙と近いところがあって、テュニジア方言とは大分違う。最近頭の中から古典語フスハを引っぱり出すのがすぐにできなくて、まして彼らの方言では喋れないし、彼らの前でテュニジア方言を使うのは、なんだか凄く恥ずかしいのだ。マハムードはフランス語で私に話しかけるけど、アナスはマハムードほどフランス語が出来ないから、ほとんどアラビア語(方言)で話しかけてくる。だから、私の頭の中の混乱と言ったら余計に酷くなる。彼らはお互い、もちろん方言で話すのだけど。
で、歩いていたら、途中で「絨毯屋の上にテラスがあるんだ、見に行かないか」というのに引っかかった。私一人だったら最近はそういうのには出くわさないから、心の中でちょっと心配しつつも、そのテュニジア人についていった。甘く見られて、彼らが騙されないかなぁ・・・という心配である。で、問題のテラスは私が今まで行きたいと思っていた一番大きいテラスで、満足したのだけど、お決まりのコースで香水屋に連れて行かれた。私ははじめから分かっているから「好きじゃないから」と断る姿勢でいたけど、アナスは見物がてらに妹への土産を買っていたりしたくらいだから、思わずそこで悩んでしまったのだ。マハムードも要らないよと断っていた。、私だったら、彼がそういう姿勢になった途端に「じゃね」と言って逃げるのだけど、純情だからねぇ、アナスは「欲しいけどお金がないんだ」と必死に説明を始める。別に彼が納得しなくてもいいじゃないかと思うのだけど、そういうことは頭にないらしい。で、テュニジア人も「よし、じゃあお前とマハムードで5DTずつでいいよ」と言う。「いや、そんなにないんだって」。ようやく納得したらしいので、立ち去ろうとすると、道は知っているというのに、彼はわざわざ先導に立つんだ。で、道の途中で足を止めて、マハムードとアナスに向かって何やらごちゃごちゃ言い出した。どうしたの?とマハムードに訊いたら、指で札を繰る仕草をして、お金、と言った。あ、やっぱり? アナスはかなり困っていたけど、私は手助けすることもなく、こういう場合にアラブ人がどうするのかというのに凄く興味があったので、じーっと見ていた。香水屋での出来事も、どうやったら逃げられるか知っているにも拘わらず、成り行きを見ていたのだ。ごめんね、アナス。テュニジア人は「テラスに案内したじゃないか。カフェ代だけでもくれよ。シーシャじゃないよ。一杯カフェを飲むだけさ」と1DTを請求した。おい、どんなとこへ飲みに行くねん。この辺やったら0.3DTで十分やないか。と思ったけど、黙ってる。結局マハムードがアナスに「500ミリーム渡してやれよ」と言い、アナスはそれに少し上乗せして払ったようだ。ああ、アナスってば世慣れしていないの?? その後、マハムードが私に「日本人を見たら、お金持ちだからいっぱい払うと思ってるんだよ」と言ったから、もしや彼は、私が一緒にいたからそういう災難を被ったと思っているのだろうか。けど、絶対私一人だったら、誰も引っかけてこないんだよ。きっとマハムードとアナスが、いかにも初心者という雰囲気を漂わせていたのではないだろうか。そのテュニジア人も、テラスに案内するとき、かなり面倒な道を遠回りに進んだんだ。わざわざ、どこを通っているのか分からないように。けど、私はそれも分かっているから、通りに出るごとに、どこであるかチェックして、知ってる道を通ると安心していた。それに、アナスってば、店でまけてもらうということをしないんだもの。交渉ってものを知らないのか、それともアラブ人価格を信用しているのか。
彼らと別れて、学校前までの道を戻る途中、アハマドに会った。「どこへ行くの?」って訊いたら、「友達のところ」と言って、「土曜日、友達を誘っているけど、彼らが来なかったら俺は一人じゃ行かない」と説明してくれた。それで、今まで何をしていたのかと訊いたら、「2時から4時の仏語の授業に出ていて、また6時半から8時まで英語の授業に出るんだって。びっくりしたのと同時に感心してしまった。アハマドってば、なかなかやるやん。
2000年3月1日
今日、どうしようか悩んで、アハマドに「イシュケウル行ったことある?」と訊いてみた。「行こうと思ってるんだけど、バスもないし、車が1日140DTするっていうのよねー」とかなり回りくどい言い方をしたのに、「いつ行くんだ?」とか要点を訊いてくれて「分かった。友達に訊いてみるよ」と言ってくれた。・・・・のはいいんだけど、友達って誰だ、アハマドっ。わたしの知ってる人にしてくれ。クラスメイトじゃいかんのか。・・・結構アハマドって、クラスからはみ出てたりする?? ああ、こんなことならアハマドが一人でいるときに声を掛けるんじゃなかった。
ソマイヤが、サイン帳(懐かしい響きだ)を持ってきて、メッセージを書いて、というので持って帰ってきたけど、何書こう・・・。
昼、一旦家に帰る。市場でぼられて(気づくの遅いんだよ)、アハマドの件でもかなり憂鬱になって後悔の念にもまれていたのだが、楽しみにしていた唐揚げ(昨日久々に鶏肉を買った)を作ったら、かなりおいしかったので、全てのもやもやはどうでもいいことに早変わりしてしまった。単純だからもう・・・。昨日の晩から醤油と生姜で浸けておいたし、香辛料はまぶしてるし、お気に入りの作り方なのだ。
荷物を詰めて準備し、ガムテープなんかを買いにいってから、タクシーで空港近くの郵便局へ行った。着いたら4時だった。あー疲れた、と思ってたら、窓口でおねーちゃんが「もう終わりよ」と言った。「それ送るつもりなの? でも4時半で終わりなのよ。また明日来て」。せっかくタクシーでここまで来たのに?! 私は「14時半で終わり」と聞き間違えたかと思った。でも、それだとアルバアターシュだし、ラービアとは言わないよな。それで、「4時半? だってまだ4時だよ?」と言い返すと、「だって、あなた、その荷物まだ封をしてないでしょ。いっぱい書くのに、時間ないわよ」・・・前回来たときかなりの量で時間を食ったので、彼女はそれを考えているらしかった。「んー、でもーっ、試してよ。ね?」「・・・・。お好きなように」私の荷物は、本ばっかりが詰まった段ボールが一つと、プリンターなどのPC周辺機や土産の服が詰まったスーツケース。段ボールの中身を一応見せるけど、彼女は焦ってて見てくれない・・・。スーツケースに紙を貼るのも、「急いで急いで」と急かされるものだから、丁寧に千切ってる暇もなく、かなりびりびり。ガムテープもしかり。こんな汚い宛名書きが日本に届くかと思うとむちゃくちゃ恥ずかしいやん^^ ともかく荷物を送り終えてホッとしたのだった。
それから空港からのバスで市内へ出て、旅行会社でもういお金を払ってしまい(アハマドが友達を連れてこなかったら終わりだけど、もうどうでもよくなった)、その足で現像の終わった写真を取りに行って、メトロで帰った。
家を出るときに大家の家で工事していた人たちがまだいて、ヌールが言うには「ガス管」の工事だそうで、今は使えない・・・。というわけで、しばらくフェディのお相手。ヌールとライラが「14日から実家に帰って、22日に戻ってくるよ。私たちがいなくても留守番がいるから、彼女に鍵を渡してね」と説明してくれた後で「でも、一緒にくればいいのに。オアシスとか、綺麗だよー」と誘ってくれたのだった。そして追い打ちをかけるように「ほら、これが南部の民族衣装だよ。結婚前にこれを着るんだ」とか言って写真まで見せてくれるしっ。行きたい行きたい行きたいっ、しかも羊食べれるやんっ。でも、絶対チケットの変更利かないんだってばっ。どーしよう。駄目元でチャレンジしてみようかなぁ。けど、18日くらいにAちゃんのお姉さまに会うという計画もあるんだけど(話を聞いていてAちゃんのお姉さまのファンになったのだ)・・・。