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テュニジア日記


1999年10月31日

 昨日車に乗ってるときに見つけた、近所の小さいスーパーへ行った。野菜が比較的よくて嬉しくて買い込んだが、すんごく高かった。なんで人参がこんなに高いの?! 中央市場とか、たとえ高くてもこんなにしない・・・

1999年10月30日

 今日補習校に出かけて、初給料をもらった。なんかうれしー。で、補習校の後、同じく講師でもあって去年からお世話になってる由美さんの家にお呼ばれにいった。彼女の息子(旦那さんはテュニ人)のイサムくんと、彼の先生で私の後輩のTくんも一緒だ。外食を抑えている私は、久々にクスクスを食べることが出来てかなり幸せだった。そう、私はこの味に飢えていたのだ。日本人向けに辛さを抑えてあったけど、それでもおいしかった!
 その後、彼女の次男マリクちゃんとイサムくんらと共に、我々は遊園地へ行った。初のダハダハ遊園地だ。ダハダハは、結構怖いって脅かされていたので、去年は行かなかったのだ。けど、行ってみたら、噂の遠心分離器・ティーカップらしきものはないし、高速観覧車の姿もなかった。なぜ?? とにかくそこでプリクラを見つけたので、なんか嬉しくて、海外初プリクラを撮ってしまった“(^o^)” 今日はなんかとっても幸せな息抜きをしたので、勉強してないよ・・

1999年10月29日

 テレコムへ行ってお金払ってきた。つまり、私は6ヶ月分払ったので、自分がこれから6ヶ月使っても払わなくていいのだ。自分が使った分の請求書は放置していくことになってるから。
 「異邦人」の劇を観てきた。仏語なもんでさっぱり分からない。しかも、理解不能な音は入るし、誰かの携帯の音は鳴るし、観客のテュニジア人は暴力シーンが好きで、そういうシーンになると話の筋に関係なく拍手するからたまったものじゃない。劇が終わってアンコールで役者が出てきたとき、それまでの音楽がいきなりアラブ音楽に変わった。すんごい違和感があった。やめてほしー。

1999年10月28日

 授業後、オーラルフランス語の授業の登録をした。でも、私の目の前で先生が事務の人と電話で話しているのが聞こえる・・。「オーラルの方? 今初めて来たわ。日本人よ。メディカルの方は二人ね」・・・って、ほんまに授業始まるんかい?! 不安になったけど、彼女は「大丈夫、まだ来るから」。けどその後、「クラスの人で、他に受けたいっていう人知らない?」と訊いてきた。ああああ、不安だ。始まらなかったらお金はどうなるんだろう? 規定の中に「いかなる理由があろうと、お金は返却しません」って書いてあるんだよね。授業がなくても当てはまったりしたら嫌だ。

1999年10月27日

 昨日電話回線が切られた。普通は100DTとか200DT支払いを貯め込まない限りは使えると思うんだけど、もしかして3期目の請求書が届かなくて、それを払わなかったからなのかな・・・。そう思ったので今日テレコムに行って、9月分の請求書を請求した。けど「まだ出てない」と言われた。でも回線止められてるんだと説明したら、納得して検索してくれ、「はい」と、99年1−3月分の請求書を渡された。なぬ?! お値段は88DTほど。前の住人シリア人は、やたらと支払いを貯め込んだ挙げ句にトンずらしたらしい! 私はもう既に彼の残した4−6月分を払ったのに!
 このままでは電話が使えないし、せっかくPlanetに申し込んだのにネットもできないし、これでは困るので、明日払いに行くしかないな・・と思って、大家にそれを話した。・・ら、「もし前回分が支払われていないなら、4−6月の請求書に書いてあるはずなのに、それがないからおかしい!」と主張された。で、彼が明日出かけてくれることになった(もしかしたら私も一緒に行くかもしれないけど)。一体電話が使えるのはいつになるのか、そしてこの日記がネットに流れるのはいつになるのか・・。

1999年10月26日

 昨日の天気予報は、24−39度だった! 今日はかなり暑い。まるで9月初旬のようだ。真っ昼間は日向に出ようなんてこれっぽっちも思わなかった。
 今日教えてもらったフェディ語。モスクのことを、「バー」っていうんだって。なんでかっていうと、お祈りの呼びかけの「アザーン」を毎日5回流すから。アザーンっていうのは、「アッラーフ・アクバール」で始まるので、その一部の「バー」をとってるらしい。面白いから、ちょっとずつフェディの喃語(赤ちゃん語)を集めてみようかな。

1999年10月25日

 今日は梅雨明けの日本みたいな気温のように思う。じめじめしてないけど、暑い。

 授業中先生が「オーラルのフランス語とメディカル・フランス語は今日からだから、申し込みを忘れないようにね」と言った。メディカルが今日というのは聞いてたけど、オーラルってやっぱりあったの? この間、聞き返したとき先生が何も応えなかったから、オーラルは私の聞き間違いかと思ってたのに、やっぱりあったみたいだ。それで、受けようと思ってたテュニジア方言の授業と重なるので、そっちを諦めてオーラルの方を受けようと、授業後に申し込みに行った。そうしたら「生徒が全然来ないから、終末からね。また明日いらっしゃい」と言われた。
 仕方ないからアラビア語の先生のところへ行って、「フランス語を受けるか迷ってるので、今日試しに受けてもいいですか」と頼んで、2時から2時間、方言の授業に参加してきた。最初は基本的に挨拶からだったので知ってることばっかりだったけど、先生がずーっと方言で喋ってるの言葉が「ああ、方言でもこういう言い方をするんだな」と認識できたのでよかった。

 大家に会った。いつも通りフェディ坊やを連れてて、フェディが「カギガー」って言ったのね。なんのことかと思ったら、「門に鍵が掛かってるとこう言うんだ」と、フェディ語を大家が解説してくれた。だもんで、私も「日本語で、鍵っていうのを「かぎ」っていうんだよ」と教えてあげたら、「フェディは日本語喋ってたのかー」って、ほっぺたをくりくりしてた。かわいー。

1999年10月24日

 今日、Aちゃんと約束しているのをすっかり忘れてた。彼女が来てから、「L’etranger」のチケットを買いに、国立劇場まで行った。けど閉まってたので、また明日以降にすることにして、中央市場へ買い物に行った。ほうれん草とトマトの入った生パスタと、ほうれん草・海老・インゲンを買った。どれも今年初めて買う。
 帰り、いつもの5tのバスが来なくて、5のバスが来たから「乗っちゃえー」と試しに乗ったら、変なとこへ着いてしまった。方向だけ訊いて延々歩き続け、なんとか家にたどり着いた。そんなに遠くなくて良かったよー。
 歩き疲れたので、ご飯がとてもおいしかった。お昼は、緑と赤と白の色とりどりのパスタと今日買った材料で食べたけど、もうこのパスタがかなりおいしくて、ファンになってしまった。このモチモチ感がたまらなくおいしい。また買いに行こう。

1999年10月22日

 補習校が終わった後、後輩のTくんの家で時間を惜しんで食事をし、そのままメトロに乗って会場へ急いだ。今日のイベントは「西洋音楽の夕べ」だ。
 なんとか会場へ滑り込んだら、一昨日とは比べものにならない人の多さにびっくり! 立ち見席(ステージの前)はひしめき合ってるし(前回はほとんどいなかった)、座席は全て埋まって立ち見がうようよいる。かく言う我々も席の横で立ち見だった。最初は前座のディスクジョッキーがやたらと長く時間をとっていた。やっと司会者が出てきて、アラビア語で長口上をして「大統領はベン・アリ!」とか叫んだとき、「やっぱし選挙後援なのよねー」としみじみ思った。ベンちゃんの名前でイベントやって、「私に一票を」ってやつ?

 とにかく、その最初の一言以外は、言語は全てフランス語に取って代わられた。なんでかと思ったら、「西洋音楽」の名の通り、西洋人が来てたからだ。いきなりフランス人が出てきて、ビビった。彼らが去った後司会者が「エタジュニ」って言ったときはもっとびっくりした。それしか聞き取れなかったんだけども、「え? アメリカ人??」って。いやあ、人々の熱狂ぶりは恐ろしかった。前座の段階ではどさくさに紛れて「アルーシュ!(羊の意味で、東洋人の蔑称)」コールを延々する奴もいたけど、ノッてくると、どざくさに紛れて叩く奴、触れてくる奴・・・。とにかく人がすぐに出たり入ったりするもので、落ち着いて聴いてられないし、妖しい奴もそれとはすぐ分からない。おまけに、道を譲ろうとして落ちそうになるわ・・・。
 けどね! やっぱ、音は悪いし割れてるけど、結構面白かったの。いいとか悪いとかよく分からないけど、延々フランス語の解説っていうのも面白かったし、楽しかった。またなんかあったら行こう。

1999年10月21日

 授業中、とうとう先生が切れた。何回やっても全然理解のかけらも見せない生徒がいることと、みんなの発音があまりに悪すぎたのだ。「今週や来週はいいわよ。けど、再来週はこんなわけにはいきませんよ。あなたたちが来年大学に行きたいと思えば(クラスの大半を占めるイエメン人たちは、来年大学に行くために仏語をやってる)、もっとやらなきゃならないことはあるんですからね! いつまでもこんなことしてる訳にいかないのよ!」勿論、先生だけじゃなく、比較的発音がよくて理解度のある人たちは、みーんなイライラしてる。先生が一人に延々発音指導してるときなんか、することなくて絵を描いてる人とか、いろいろ。私が注意されるのはzとかfとかの発音で、これはアラビア語の授業の時にも言われてたところで、何回やっても80%くらいの確率でしか言えない。面白かったのは、インドネシア人は「j」が「z」になるのに、韓国人はその逆なの。勿論、ある母音との組み合わせのときってことだけど。

 で、今日その韓国人と話をした。彼女に限らず、韓国人の発音というのはかなり分かりづらくて(アラビア語にしても同じ)、「s」も「sh」になるようだから、日本人より子音の幅が少ないのか?とか思ってしまう(日本人が頑張ってるだけ?)。けども、クラスで孤立しないように、早くいろんな人と話さなきゃ! 私の席の周りはほとんどイエメン人で、ついアラビア語で質問されたりするから、ちょと敬遠してるけど。でも、クラス20人中、11人がイエメン人、4人がイラク人とあれば、アラビア語が幅を利かしてることには違いない。

1999年10月20日

 授業はひたすら発音をやっている。発音だけならまだしも、他人の理解力のなさにはついていけない。先生が一人にかかりっきりになったりすると、「進まないー」と苛ついてしまう。なまじ一度やったところだけに。。。。

 8時から、「テュニジアの若者の発表会」みたいなタイトルの付いたイベントに行って来た。これは、ベン・アリ大統領の選挙後援会が主催してるので、会場一帯はベンちゃん尽くしだ。で、会場の中は熱気がムンムン。8時からの予定がなかなか始まらず、やっと始まったと思ったら、既にテュニジア人は身体を揺らしたり、下手なウェーブを作ったり・・・。テュニジア人歌手がレゲエっぽいのを歌い、いかにも練習中ですって人たちが出てきてダンスをし、いやあ・・・燃えてましたね。はっきり言ってテュニジア人とかアラブ人はヨーロッパの真似事のダンスより、腰振ってくれた方がよっぽど凄いと思う。あれはほんとにセクシーだ。真似したくてもできないって! 隣でちっちゃい女の子たちが、曲に合わせて腰を振ろうと必死になってるのを見てると「私がやってもこんなカンジ。。。」って思ってしまった。で、アラブミュージックになると、おばさんまでノリノリになり、、、、見てて楽しかった。明後日の「西欧音楽の夕べ」っていうのはどんなものなのかなー<?

1999年10月19日

 今日も朝から学校へ。他の人たちに聞きまくったら、「パスポートの入国スタンプを見せたりしただけで、何も提出してない」という声があったので、なんかこれは間違いに違いない!と勢いが出てきたので、秘書に確認したら、3ヶ月ごとに外へ出るなら大丈夫だ、問題ないとの答えが! おいーっ。つまり彼は私が、ビザが欲しくて年間登録の許可を欲しがってると思っていたのだった。それは、去年私が申請したものはそうかもしれないけど、、、、。で、タクシーで家に飛んで帰ってパスポートを取ってきて、さっさとフランス語の先生のところへ行って授業を取ってきた。しかも早速授業に参加。9月に勉強したところだったけど、発音にやたらと拘ってくれて、嬉しい限りだった(だってやろうと思えば他は家で自習できるから)。

 解決したらホッとした。次に考えるのは、他に何を勉強するか、他の時間をどう有意義に使うか、だ。例えば、ある人は、午前中にアラビア語、午後から1時間をオリエンタルダンス、4時から2時間フランス語・・・なんてことをしている。私は運転免許を取ろうかと思っていたけど、今からじゃ間に合わない(取得後2ヶ月は同じ国にいないと日本で切り替えが出来ないみたい)だろうから、誰かに聞いてみようかな。もしくは、卒論用の研究に賭ける!とかね。

1999年10月18日

 朝からブルギバスクールへ行ったら、やはりと言おうか、フランス語の授業も今日からだった。どうやら先週質問したときにちゃんとフランス語って言ったのに、向こうが英語だと勘違いしたらしいことが判明(なんでやねん!)。更に、私が去年度のうちにもらっていた文部省の許可証が、アラビア語の継続のためのものであったので、フランス語をするならまた許可を取り直さなければならないと言われてしまった(があぁぁん)。1ヶ月か2ヶ月待たないとダメってことだ。で、「午前中アラビア語を取って午後にフランス語を取り、更に同時に文部省に許可を申請しておいて、1月から午前中にフランス語をすることは可能か」ということを訊いたら、申請は一年分のものになるので、途中から変えることは出来ないと言われた。でも、一年通じてする人なんて多くないじゃないか。。。

 アラビア語のクラスを覗きに行ったら、懐かしい人に会った。去年の一期だけ一緒に勉強したマヌウェーラがいたのだ。思わずヨーロッパ式に抱き合ってしまった。アラビア語はしないの?と言われて、私はかなり迷ってしまった。マヌウェーラは私好みのとてもかわいい子なのだ(私は美人よりかわいい人が好き)。とてもお友達になりたいタイプ。でもね、アラビア語もしたいことは山々なんだけど、今年の目標はフランス語であって、午前中にアラビア語取ってしまったら、フランス語が多分予定通りできない。。。 他のクラスメイトの住所を聞かれたので、明日持ってくると言って別れた。明日先生に手紙の書き方を教わるのに学校まで来るので。
 それで結局、フランス文化センターの夜のコースを取ることにした。今から入れるかなあ? しかも週に4時間半しかしないやつなので、かなり不安だ。ブルギバスクールの午後の授業を別に取れたらいいけど、どうなるんだろう??

............「complet(終了)」って言われちゃった(T.T)
どーしよー。。。

1999年10月16日

 今日は全然勉強しないで、PCいじってばかりだった。すると、夜になって、段々不安になってきた。毎日ちゃんと4時間は勉強するようにしていたので、違和感があるのだ。たぶん私は今まで「自主的に計画的」に勉強なんてしたことがなかったからだ。いつも、自主的の時は途中放棄が多かったし、計画的にしても途中放棄していたからだ。で、今日フランス語でメールが来たのをいいことに(文字化けのため、日本人がフランス語で送ってきた)、私も辞書を引き引きフランス語で書いた。なんだか辞書を引くと安心する。。。

1999年10月14日

 今日、テュニジアのプロバイダー・Planetへ行ってきた。値段は半年か一年の一括払いなんだけど、先月の自分の使用料を考えたらこっちのほうが安かったもので、乗り換えることに決め、さっさと申し込みを済ませてしまった。半年分が税金と加入金込みで194.8DT。リムネットにお別れして、HPも移行しなきゃ。
 家に帰ってくつろいでたら、隣からヌールとライラ(大家夫妻)がやって来た。なんでも20日と22日にあるパーティ(もしくはコンサート)の招待券が4枚ずつあるので、行くならあげるとのこと。ひとつは、ヨーロッパの音楽のと書いてあり、もうひとつにはテュニジアの若者の、と書いてあった。なんだかよく分からないけど、面白そうだったのでもらった。音楽好きのAちゃんを早速誘わなきゃ。あとはもう一人の後輩Tくんと、JICA隊員のOさんかな?

1999年10月12日

 学校が始まらないなんてやってられない!ということで、朝から授業と同じ時間割で勉強することにした。だらだら者の私はこうでもしないとちゃんとした勉強をしない。おかげで8時から12時まで休憩を取りながら結構勉強できた。今は星の王子様「Le petit prince」を読んでいるのだが、単語が覚えられないのでなかなか進まない。
 3時から大使館に出かけた。そこで、もう帰ったと思っていたJICAの人に会った。懐かしい人に会うのは嬉しいものだ。帰ってきたお祝いをしようと言ってくれた。ついでにテュニジアのプロバイダーについて訊いてみたら、3ヶ月ごとでも申し込みが可能とのこと。海外ローミングをし続けるのも高いので(特にHPをアップするのに時間が掛かるとやたら取られる)、乗り換えようかと思う。明日か明後日、直接出向くことにした。

1999年10月11日

 今日は早起きをしてブルギバスクールへ登録手続きに行った。ところが、フランス語は25日だというのだ。ちゃんと聞かなかったので25日に登録なのか25日に授業なのか分からないが、おそらく来週が登録なのだろう。どちらにしろ暇すぎる! あと2週間もどうしろというのだろう?!

1999年10月9日

 昨日毛布を一枚多くしたので、朝とても気持ちよかった。外に出たらコンクリートの庭の一部に水が溜まっていた。空はどんより曇ったままで、いつ雨が降ってもおかしくなさそうだった。これはもう冬が始まったのだんだろう。
 今日はとてもだるい。洗濯物を外に干すこともできないし、勉強も進まない。大使館で借りてきた本を読んで過ごした。
 昨日出した写真を撮りに行った。11.8DTもした。学校の前だったらあと2DTは安いのに! もううちの近所で出すのは止めよう。2DTあったらパンがいくつ、ヨーグルトがいくつ買えるだろう。

1999年10月8日

 今日のお昼にお好み焼きを作った。珍しく近場の八百屋でいいキャベツが手に入ったのだ。虫食いはいっぱいあったけど、それもいいことだ。とにかく私は久しぶりのお好み焼きが嬉しい。すごく鰹節が欲しくなった。

 2回目の補習校。今日はお話をしよう!という目的だったので、授業を進めることは脇に置いておいて、教科書に出てきた魚を図鑑で探してみたり、前に書いた日記を読んでもらったり、息抜き感覚で授業をした。それがよかったらしく、実際授業はスムーズに運んだし、Nちゃんのご機嫌も良かった。やりたいと思うことをとりあえずやらせてみて、自分で選択させるのも手だなと思った。来週は折り紙を少ししたいのだそうだ。図鑑で見た動物とかを折れると面白いのだけどな。

 昼頃からぽつぽつ降っていた雨が、夜になって強くなった。冷えてきたし、そろそろ冬だ。

1999年10月3日

 Aちゃんが、待ち合わせの時間より前にやってきた。しかし、想像通り大家の車で、だ。大家もいい加減、私の家を覚えてしまったらしい。

 空港のパスポートデスクで、私は激しく事務官とやり合ってしまった。だって、もうVISAは切れてるのに、レジデンス扱いになるから出国税を払えっていうんだもの!! それも45DT、いくら今円が高いといっても4000円近い出費になる。外人価格のチケットだってレジデンス価格の10DT高いだけなのに! それで、「なんでなの? 理解できない!」などと色々文句を付けたが、私が入国したときにレジデンスだったから出国時にも適応されるんだとか言われ、誰に訊いても同じことを言われたので、結局は払った。ごねて、ディナールなんて持ってない!と言ってやったし、私のカードが空港にあるATMに通らなかったのでカードも使えないと主張してはみたが、それなら市内まで連れてってやるとか言われたので、同伴者に借りたのだった。すっごく恥ずかしいことをしたとは思うけど、ほんとに腹が立ったんだから仕方ない。VISAなんて、あっても大した意味はなかったよ。

 久しぶりのマルタは、なんとなく懐かしい。

 → マルタ旅行記

1999年10月2日

 今日は日本語補習校で初めて教鞭を執った(というほどえらくもないケド)。私の生徒のNちゃんは今日はとっても元気。授業が終わったら日本人会主催のバーベキューがあるからだ。それに、がんばりシールがもう10個たまったので景品をもらえるとあって、ご機嫌。というわけで本日の集中力は前半よしで、後半ダレた・・という感じ。私が後半にちょっと迷ったせいもあったので、次回からはもう少し計画をたてて。。。 教科書の次の単元も難しいのだけど、うーん、どうやろうかなぁ。

1999年10月1日

 仏文化センターでの授業が終わってしまった。なんかすっごいあっさり。短い期間しか一緒じゃないだけにみんなの別れ方もシンプルだった。なんか寂しかった。