1999年9月5日
家を探しはじめてほぼ2日にして見つかる。らっきー。高級住宅街のstudioタイプ(大家の家の補助的についてる部屋。2階の間借りのこともあれば離れの場合もある)だけど、大家の家と入り口は別だし月3万円とちょっと高いし、学校から遠いけど、結構気に入ったから、いいや。
電話がねー、まだ使えないのだ(前の人がお金払ってない、しかもシリアへ帰ってしまってる)けど、それはどうしようかなー。けど回線は生きてるので、こうやってネットも使えるわけだね。
1999年9月6日
大家と賃貸契約をするため市役所へ行く。結構込んでて待たされる。契約書は今回、アラビア語で作成した。去年はフランス語だったから読めなくて困ったのだけど。
午後6時15分からフランス文化センターでフランス語の授業が始まる。最初からフランス語だけ! 私は初心者のクラスにいるけど、先生はフランス語だけで説明を続ける。それでなんとか通じてるのが恐ろしい。
1999年9月7日
大家が朝から警察署へ報告を出しに行くというので8時半に約束をしていたが、大家が現れたのは9時を回った頃だった。警察に行ったら担当の人がいなくて、1時間後に来いと言われた。大家が10時半か11時くらいに行こうと言ったのでその間に食事の買い出しなどを済ませたが、結局大家が来たのは11時半を回った頃で、シエスタを採用しているテュニジアのこと、警察に行ったら、3時にまた来いと言われた。おかげで今日は警察行くだけで潰れてしまった。大家の馬鹿・・・
1999年9月8日
まだ家を探しているAちゃんは、しばらくうちに泊まり込んでいるのだが、彼女と一緒に今日は市内へ出かけた。彼女の目指す物件は、「終わった」の一言で片づけられ、今日の予定はあっさり終了。なかなか見つからない。
仕方ないのでスーク(市場)をうろうろ。私は大使館で付け替えるよう言われた鍵を購入。窓の閂(かんぬき)にするべく、工場で板を注文する。
玄関の鍵を付け替えてちょっとほっとしたのだけど、フランス語の授業が終わって帰ってきたら、小さくても土も花もあった庭が、コンクリートで固められていた。かなしー・・・
1999年9月9日
昨日注文した板を引き取ってから、近くまで来たので去年のお隣さんの家を訪ねる。いつものよーにお昼を御馳走になり、やっぱりファーティマの料理はうまいと思った(今の大家の料理はちょっとイマイチだった)。今日のメニューは羊の脚の煮込みだった。かなり濃く羊の味がした。
一度家に帰ったら、Aちゃんが家を決めてきていた。私より高いお値段で、うちよりかなり交通の便が悪いが、大家が学校まで送ってくれると言ってるらしい。本人は納得してるみたいだからいいけど、電話付いてないらしいし、しばらくメールもできないねー。
今日授業が終わってから、タクシーもバスも捕まらなくて1時間待ち、いい加減「ちょっと歩くことになるけどメトロ(市電)で帰ろうか」と思ったら、隣にいたテュニ人に「今日はスポーツでね、メトロ動いてないよ」と言われ、唸るしかなくなった。結局家に帰り着いたのは10時だった。明日もこんなだったらかなり最悪だ。
1999年9月11日
今日は朝から日本語補習校の見学に行って、そこで10月から小2の女の子を受け持つことになった。教えるのは国語だけど、習字もやらなくちゃ駄目になるかもと言われ、ど下手な私はショックを受けた。10月から私もいっぱいお勉強するかも・・・・・。
今日は雨が降ったので、そろそろ雨季かなと思い、家の中に洗濯物を干せるスペースを作ろうと思ったら、ないーーー。壁に釘を打ち付けようにも適当なところにそういう場所がない。明日もう一度探してみなきゃ。
1999年9月14日
昨日後輩に付き合って、銀行や学校で私のコネを使って手続きを進めたのだが、今日はその続きで、学校の在学証明書を発行してもらうべく登校。秘書に話を聞いたら、結局また書類を集めて出直せと言うことだった。後輩が書類を持っていったら「また明日」。うーん、やっぱりアラブだ。
今日は大家に、私のうちの電話番号をもらうことに成功。明日、テレコムに行ってきて、うまくすれば新しく回線を引かなくても、今の電話を使えるようになる。全ては交渉次第?!
その大家が、チュニジア南部の料理だと言って、薄焼きのアラブパンを千切って盛ったものにクスクスのソースをかけたものを持ってきた。名前はシャハシューハ(shaxsyuuxa)というそうだ。なかなか美味だった。
今日の授業の帰りは、タクシーを拾った人が譲ってくれたので、夜間料金になる前に乗ることができた。しかも、結局相乗りしたその彼が、私の足りないお金を払ってくれたので、ちょっと得した。ありがとう、おっちゃん。
1999年9月17日
テレコムから帰ってきたら、大家が電話機をくれた。使ってもいいよって。昨日「溜まってるやつ払うから、私が出るとき最後の請求書を代わりに残していく」と交渉したのがOKだったようだ。テレコムも電話機があれば、そのまま使ってもOKって言ってくれたので、問題なし! やったぁ。
1999年9月19日
今日のへんなこと。私がシチューを煮込んでたら、テュニ人のおばーちゃんがやってきて「あなた、ここに何人で住んでるの?」と訊いた。「一人だよ」「一人なの? お隣は何人いるの?」かなり訝しげに「知らないけど、家族だよ」「ここの家賃はいくらなの?」「・・・300」「300? 一人で払ってるの?」彼女はそんなことを訊いた後で、「私、ここにあなたと一緒に住んでもいいかしら?」と言った。「駄目!」しかもテュニジア方言とフランス語がかなり混ざっていた。どっちも初心者向けのフレーズだったけど。よく分からない出来事だった。
1999年9月20日
今日は友達を集めてケーキを食べることになっていた。私たちの授業がない時間帯を狙ってお昼に開催するので、私は前々日からお昼の仕込みをやっていた。骨付きしか手に入らなかったので鶏がらを延々煮込み、翌日はそのブイヨンでシチューを煮込む。コロッケの方は前々日にパンを買って乾燥させておいて、翌日に下ろし金で下ろしてパン粉を作った。そうまでして、また朝からコロッケ用にジャガイモ湯がいたりいろいろして・・・・・・。
けど、約束の時間になっても連絡もなければ誰も来なくて、かなり心配になった。けど交通事情のためだったらしく、みんな遅れてもちゃんと来てくれ、私たちはかなりお腹がいっぱいになった。お陰で私は晩御飯が食べられなかったほどだ。
今日の授業の帰り、タクシーでラジオを聴いてたら、台湾がどうとか言ってたが聞き取れなかった。珍しい単語を聞くなーと思ってたら、運ちゃんがフランス語で「セイスム・オン・タイワン」と言った。なにそれ?って聞き返したら、アラビア語で「タイワンで地震だ」と教えてくれた。うひゃー。運ちゃんが言うにはかなりでかくて(M7?)トルコ並みだっていうし、世紀末だねー・・・としみじみ思った。日本はまだ無事かしらね・・・・。
1999年9月23日
今日は門の合い鍵を作りに行った。ところが、「minute」って書いてあったのに、やっぱり私の鍵がちょっと大きめのものだったので、1時間を要した上、普通の4倍はとられた。更に! できあがった代物が、微妙にオリジナルと違った。鍵屋は大丈夫だと主張するけどかなり疑わしかったので、食い下がると「駄目だったらまた持ってこい」と言われた。私の家はそこから遠かったのに。けど仕方ないので分かったと言って、授業が終わって家に帰ってから試してみた。すると・・・・回る回らないの話以前に、鍵穴に入らなかった!! なんてこった! 明日は絶対文句言ってやらなきゃ。ぼったくりだよ、まったく!
1999年9月24日
昨日の合い鍵に文句を付けに行った。今度は30分ほどで修正してくれたが、なんか程遠くなっていた。おっちゃんは「今度駄目だったら新しく作り直してやる」と自信たっぷりに言ったが、今度も勿論駄目だった。私はそれよりお金返して欲しい。他の店に行くから・・・。交通費も時間もやたら掛かって仕方ないんだけど・・・・。また明日行かなきゃ・・・・・
今日Aちゃんと一緒に、マルタ行きのチケットを買ってきた。船で行きたかったが、秋は直行がないのでシチリア経由で行っても、帰りのマルタからの片道飛行機がかなり高いので、諦めたのだ。Aちゃんはレジデンスを持っていなかったが、「レジデンス持ってるから」と言ってテュニスエアで買えば、わざわざコピーを要求されないのだ。今回はその手を使って、レジデンス価格で買った。春に買ったときと同じ値段で158.3DTだった。今年はビザを取らないので、ずっとテュニスエアのお世話になる予定。
1999年9月25日
今朝は日本語補習校に出かけた。先任の先生と新任の私たちの歓送迎会があるのと、引継のためだ。私が来週から受け持つことになるNちゃんは、今日はとってもお疲れで、終始だらけていた。先生、今日でお別れなんだよ?と思ったけど、あんまり関係なかったのかしらね。いつもの半分の授業の後、ささやかなパーティがあり、椅子取りゲームとフルーツバスケットをした。バックには、古い「みんなのうた」とか「おかあさんといっしょ」の曲が流れていて、かなり懐かしかった。ともあれ、私も来週から先生だ。
そのあと、また合い鍵を修正してもらいに行った。すると、電源が壊れてるから1時間半待てと言う。そんなに待てない!といいながら、ずーっとそこで待っていたが、いい加減腹が立ってきて(睡眠不足だったし)おっちゃんを睨んでたのだ。そしたら1時間経ったとき、おっちゃんはとうとう諦めて「この鍵は10種類の鍵を開けるマスターだ」と言って、それを私にくれた。どうも作るのを断念したみたいだ。もう一つの門の鍵のほうは少し削って細くして「これで大丈夫だろう。もしまた駄目だったら、電話してこい。鍵を付け替えてやる」と言ってくれた。つまり、もっと小さくて簡単にキーが作れる錠にしてくれるってことね。私はその説明が最初分からなくて、隣にいた客に向かって「私、これで3回もここに来てるんだよ?! この鍵、同じだと思う?」って言ったら、そのテュニ人は「同じだよ」と言った。どっからどうみても別物の鍵なのに、テュニ人の感覚って一体・・。まあ、今度はなんとか無事開いたけど、マスターなんかもらっていいんだろうか。他にも同じものもってる人がいたら、ドアなんか簡単に開いちゃうじゃないか・・・。
1999年9月26日
今朝はとんでもないことが発覚した。朝からいつものように、前住人のシリア人宛に電話が掛かってきたのだが、一旦切った相手がまた掛けてきて、このように言ったのだ。「その電話番号は個人名じゃなくて、会社のものなの。だからあなたが使うことは出来ない」って。「でも、テレコムはいいって言ったし、大家も大丈夫って言ったし、私がお金を払ってる」と言うと、彼女は難しい声を出した。そうか、道理で何度奴はここにいないと言っても別の人から掛かってくるわけだ。どちらにせよ、親切な彼女(訊けば同い年の、英語とイタリア語をやってる学生だった)がいろいろと私に分かる言葉(正則アラビア語)で話してくれ、私も「うーん、それはちょっと問題かも。けど、今更どうしようもない・・」という気になった。
話してるうちに彼女が、あなたと会って話が出来るかと言ってきた。彼女の喋りはかなり分かりやすかったので、私もそれはいいなと思ったけれど、来週にはマルタへ行く身、そんな暇があるわけでもなく「来週マルタへ行くから、その後ならいいよ」と言ったら「そう、別に必要があるわけじゃないからいいわ」と言われてしまった。けど私はもう少し彼女と話がしたかったなぁ。
1999年9月27日
今日は一日だらだら過ごす。勉強する気にもならず、アラビア語の自動車教習用の本に手をつけても進まないし、日本語補習校の授業の内容を考えたりした。ようやくフランス語の問題集に手をつけれたと思ったら、授業に行かねばならない時間だった。
家を出たところで大家のヌールに会った。いつの間にか南部の母親の実家から帰ってきていたらしい。「土産があるんだ。初物だよ」と、彼はナツメヤシをくれた。テュニスのナツメヤシはまだ時期が早くて固いのだけど、さすがに南部のナツメヤシはやわらかく甘そうで、いかにも食べ頃だった。授業が終わってから早速食べてみた。予想通りとっても甘くておいしくて、手にべたつく感じが、ナツメヤシ!って感じだ。かなり久々に食べたので、嬉しかった。明日くらいにAちゃんにもお裾分けしよう。
1999年9月28日
今朝はいつもより早く起きた。朝からAちゃんに電話するためだ。うちの電話は0が壊れていて押せないので、0のつくAちゃんの大家の家にかけるためには外から掛けねばならない。ところが、いきなりバラバラ・・・・と音が聞こえてきた! うわっ雨だ! 慌てて昨晩干した洗濯物を取り込む。しばらく降らなかったから油断していた。雨なら外に出ていく気がしなくて、二度寝した。
お昼にひじきご飯を作ったら、やっぱりAちゃんとこに電話しなきゃと思って出かけた。今日は電話のことでテュニス(市街地のことをこう呼ぶのだ)へ行くということで、明日ついでにお昼に親子丼をすることになった。この間からAちゃんがリクエストしてたのだ。けど、うちにある鶏肉は骨付きのまま凍っている・・・。昼寝の後に解体を試したが、苦しかったのでそのまま鍋に放り込んだ。今日の晩はこれでシチューでも作ろう。
1999年9月29日
前に住んでいた辺りへ買い物に行った。ついでに懐かしい郵便局に顔を出したら、窓口のおばちゃんが感激顔で「どこ行ってたのー?!」と言ってくれた。そんなに会話した仲じゃないのにそんなふうに言ってくれるなんて、かなり嬉しかった。
今日の授業で、昨日やったテストの結果と成績証明を渡された。5段階評定で、かなりいい数字をもらった。いつも数字だけはいいのだ、数字だけは。昨日のテストの結果は、かなりケアレスミスばっかりで埋まっていた。大分耳も慣れてきたと思ったのに、たかだか1ヶ月じゃ思うようにいかない。どっちにしろ、道を歩いていても買い物しても、ついついアラビア語で喋ってしまうから(買い物の時はアラビア語の方が都合がいいけど)駄目なのかも。今日スーパーで普通にアラビア語で話しかけられてしまったときは、そろそろテュニジア人化してるのかも・・・と恐ろしくなった。買い物以外はなるべくフランス語を使うようにしよう。
1999年9月30日
お昼にAちゃんがやって来た。昨日キャンセルだった昼食の約束のためだ。私は親子丼を作り、ヌールがくれたナツメヤシを食べた。話の後に、彼女が持ってきたケーキを食べ、紅茶を飲む。ここのケーキはおいしかった。
彼女が帰った後、よく考えたらテュニスまで出ていたのでは6:30の予定に間に合わないことに気づき、もう一件の待ち合わせはタクシーを使うことに決めた。大幅な出費だ。バスとTGMなら多くても2DTいかないのに、タクシーだと5DTにはなる。
6時からタクシーを飛ばしてシディ・ブ・サイード近くのアミルカール・ホテルまで行く。明日日本へ帰る友人二人と明後日フランスへ発つ友人とで夕食を摂るためだ。ここは海辺で今の季節ならシングルで41(夕食込みで45)DTで泊まれるそうだ。もうお別れというのに、いつもと変わらない話の進み方だった。なんだかいつでも会える気がするからかもしれない。バイキング方式で食事を済ませる。昼もたっぷり食べたのに、今日は食べ過ぎだ。
お別れはいつもと同じ「じゃ、また」。このあっさり感は何だろう。同じ国の人だもの、国に帰る限り、会うのはそう難しくない。また会えるよという気持ちが、自然とそういう言葉になるのかもしれない。