犠牲祭の写真   

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「ビスミッラー・ラフマーン・ラヒーム」
慈悲深き慈愛あまねきアッラーの御名において、羊の頸動脈をナイフが切り裂く。
 羊のげぇげぇという声が、穴のあいた管に突風が吹いたかのような音に変わっていく。
 男たち三人で抑えつけたからだは、最後にひどく暴れたかと思うと、それきり動かなくなる。
 早く羊を楽にしてやるためにも、男たちは力を込めて、首から羊の血を絞り出したのだ。
静かになった羊の後ろ足首に、ナイフで切り込みを入れ、そこにこうやって棒を突っ込んでいく。
そうやって空気を通りやすくしておいてから、同じ切れ込みから空気ポンプの管を入れる。
勢いよくシュッシュッシュと空気を入れすと、羊はあっという間にパンパンに膨れ上がる。
 大人たちがその膨れ具合を確かめるために、おなかをパンパンと叩くと、子供たちも面白がって叩く。
そうやって皮と肉の間に空気を入れてしまうと、皮は簡単にはがれてしまう。
そうやってはがした皮は、このよーに引き延ばされ、女たちが残った薄皮をはがし、そして塩を擦り込んでいく。
勿論小さな女の子たちもお手伝いだ。
で、羊の肉塊の方はというと、このようにして柱などを使って吊り下げ、お腹にくいっと切り込みを入れ、あっさりと中の内臓を引きずり出す。
 このときは注意しないとこぼれ落ちてしまうので、お腹を開く前に、受け皿を必ず用意する。
さて、内臓を出してしまったら、あとはこのようにして切り分けを行います。ごっつい包丁でガンガン叩くようにして骨ごと切り落としていきます.

この人は熟練のお父ちゃんだからいいけど、私の知り合いの家では、三男坊があやしい手つきでやっていました。だって、普段料理なんて女がするから包丁なんて使わないんだよね。

で、これが胆嚢(・・だと思う)。
お金持ちになりますようにっていう、お守りなのだそうな。
こうやって吊り下げておく。

一家に一匹の羊は、一家に一つのこのお守りのため・・なのかな?


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