暮らしのエッセイ
***テュニジアの障害者***
町を歩いていると、車椅子のマークを見かけることも多い。一段高くなった歩道には、乗り上げられるようにちゃんと斜面までついている。けど、これが実用的かというと、そんなことはないのだ。
まず、車椅子が走れるような滑らかな道路ではない。型をはめ込んでいたコンクリートが取れたり歪んだりして、かなりボコボコしていて、とてもじゃないが走れない。なのに、それで別段困ったことが起きている様子はないのは何故だろう。それは、アラブならどこにでもある「大家族(アーイラ)」の存在によるところが大きい。簡単に説明すると、親族のひとまとまりのことをアーイラという。アーイラの中に一人でも障害者がいれば、アーイラ全体で包み込んでしまい、その人の行動を誰かが必ず補助するのだ。だから、アーイラの中にいる限り、その人が困ることはない。それに、普通の一般人だって、困っている人がいたらちゃんと助けてくれる、そういう社会なのだ。
乞食をするに当たっては、彼らは普通の人より得と言っていいだろう。貧しいお母さんなどは小さな子供を連れてきては、哀れさを訴えてお金をねだるのに、彼らときたらその姿だけで哀れなのだ。しかし、自分で動ける障害者となると、メトロ(市電)やバスの中まで乗り込んで、車両の中を練り歩く。私は動ける乞食なんか、動けない人に比べたらかなりいい方だと思う。町を行けば、下半身のない人がいたりするのだから。※口の利けない人も、そんなに困っている様子はない。日本語しかできない旅行者よりはるかにマシだと思う。というのも、ボディランゲージというものが、普段の生活にかなりとけ込んでいるからだ。ちょっと町を歩くくらいなら、口を利かなくても事足りるのだ。
マルタからの帰りの飛行機の中で、前の席にそういう人が座っていた。彼が飲み物をどうやって注文したかというと、親指だけ立てて握った右手をグラスに見立てて飲む真似をし、「ま」と口を動かしただけだ。私でも知っている水を表すジェスチャーだ。「マ」というのがアラビア語で水のことなのだ。しかし、彼がもし炭酸なんかを欲しがったりしたら、「ぼ・が」(テュニジア製ソーダ)とか「こ・か」とか口を動かしたのだろうか。
で、その同じ彼が、通路を隔てた隣にいたアルジェリア人と何やら会話をしていた。今度は見えなかったので、どんな話をしているのか分からなかった。しかし、違う国の人でも通じるのだから、アラブのボディランゲージというのはかなり凄いものらしい。・・・ということは、だ。アラブを旅行する人は、なまじ分からない言葉を覚えるより、このボディランゲージを覚えた方が得なのではないだろうか。・・なーんて思うのは、ちょっと早とちりかな。
※別に差別する訳じゃないけど、テュニジアの「偉そう」な身体障害者のことが私は好きじゃないので、ちょっと表現が適切ではないかもしれません。ご勘弁を。
***ファティマの手***
北アフリカの有名な土産に、「ファティマの手」というのがある。歴史をやった人なら「ファーティマ朝」などの名前で知っている人もいるだろうが、ファーティマは、預言者ムハンマドの娘にして第4代カリフの妻である。その彼女の手を象ったというのが、この「ファティマの手」なのだ。※
ファーティマは献身的であったことで有名で、病魔などから身を防ぐのに、彼女の力を借りたものだとかいう。その手は左右対称になっていて、右手なのか左手なのか、それはさっぱり分からない。でも実際のところ、問題なのはその形ではないと思う。「5」という数字がポイントなのだ。
アラビア語で「5」のことを「ハムサ(xamsa)」という。イスラムの守らねばならない教えとして「5行(信仰告白・巡礼・礼拝・断食・喜捨)」があるが、これもこの「5」が使われている。
「5」はファティマの手と同様に、魔除けの意味があるようだ。ファティマの手のように5のお守りは「ホムサ(xomsa)」といって、ハムサの3つの子音(x・m・s)から作られた言葉だ。同じように「木曜日」も「xamiis」というので、これも魔除けの意味があるんだとか。ファティマの手は、よくドアノッカーになって家を守っているが、南部のベルベルの住居になると、ドアノッカーの存在がないところは、赤いインキを手に塗って、手形がついていたりする。ベルベルの魔除け・魚のマークも一緒だ。
※「ファティマ」は、「ファーティマ」の長母音が方言になって短くなったもの。
***ラマダーン時間***
アラブで郵便局や銀行なんかへ行くと、営業時間表に、平日・土日祝日の記述に混ざって、必ずと言っていいほどラマダーン時間が併記されている。
観光地などでは、もちろん観光可能時間も異なってくる。日没前にはみんな閉まってしまうのだ。当然、トータルの営業時間は短くなる。テュニジアなんか、日頃からシエスタというお昼寝時間も採っているものだから、ラマダーンになると営業時間がまた短くなる。
平常、8時から12時と3時から6時なんて営業をしているところなら、8時から2時まで、なんてことになる。大体が1時半とか2時とかに閉まってしまうのだ。
その辺にたくさんある食糧雑貨屋さんは、ご近所の強い見方だから、結構ぎりぎりの時間までやってる。市場でも、日頃一日中開いてるところは、日没前までやるし、午前中で終わるところは、ちょっと時間を後ろにずらす。でも、ほんとに時間にきっちりしてて、いつもなら余裕で売ってくれるものも、「もう時間だから駄目、駄目、駄目!」と、問答無用で店終いをする。みんな食事に向けて必死なのだ。学校だって同じだ。8時から12時、2時から4時、4時から6時、6時半から8時半という時間割がある中、休憩時間が短くなり、昼休憩はなくなり、結局8時から11時45分、11時50分から1時15分・・・というように大幅にずれる。断食しない人にとっては、お昼の時間がずれ込むから、結構苦しい。
ラマダーン中の楽しみ、ハンマーム(公衆浴場)の時間帯も変わる。女性時間と男性時間が入れ替わるのだ。いつも、午前中と夜の部が男性で、午後からが女性になっているのだが、これが見事に入れ替わる。女性でもラマダーン中は夜遊びの許可が出るし、男でも午後はお休みになるから、こういうことになるみたいだ。
そうそう、たとえ日本大使館であろうと、テュニジア人だって働いてるから、やっぱりラマダーン時間・・・。
ラマダーンになると、生活のリズムが、どうあっても狂うものなのだ。
***ラマダーンが明けると***
ラマダーンが明けるのは、三日月が見えるか見えないかで決まる。その三日月を見る日のことをルウヤという。ラマダーンが始まるのもこれで決める。だから、このルウヤが終わらないことにはいつ始まるか、いつ終わるかというのは分からないのだ。(イスラム諸国の中にはルウヤを行わずに決定するところもあるとか。インドネシアとかはこの類らしい)
ラマダーンが明けると、人々はウキウキ。ラマダーン中に買っておいた新品の服に身を包み、新年のご挨拶さながらに親戚回りをする。だから、ラマダーンが終わる頃になると、あちこちで帰省ラッシュが発生するのだ。
ラマダーン明けの休みは2日間あるが、その間、お店は閉まってしまう。開いてる店もあるけど少数派だ。大抵は里帰りしてしまうからだ。(休みが明けた後もまだ帰ってきてない人が多いらしく、店は結構閉まってる)そして人々は朝から食べる。ほとんど一日中食べてるような感じも受けるが、実際どうなのか私は知らない。とにかく、山のようにお菓子を買う。食事以外はお菓子を食べるのだ。
だから、このラマダーン明けの休み(イード・ル・フィトル)のときのラジオ番組は凄い。単純な、電話を使った番組なのだが、こんなの聴いてる人いるのかな・・と思う内容なのだ(まあアラビア語の番組を回すとこれしかないけどね)。「イード・マブルーク(おめでとう)!」
「イード・マブルーク!」
ここまではいい。しかし、
「今お父さんはクスクスを食べてるわ。お母さんは今朝モロヘイヤを作ったのよ。妹は友達の家に遊びに行ってる。私? 私はブリックを食べたわ」
と、延々食べ物の話なのだ。誰が何を食べようと、知ったことじゃないのだが、司会者もよくやる・・・去年もこの番組を耳にしたから、毎年やってるんだろう、おそろしいことだ。
※私はこのラジオ番組をずっと聴いていたわけではありません。
***お金の話***
そういえば、テュニジアの通貨の話をしていなかったと気が付いたので、この辺で少し。
単位はディナール。アルジェリアやヨルダンも同じ通貨なので、テュニジア・ディナールという。しかし、テュニジアは仏語とアラビア語文化圏なので、TDと略さずにDTと略す。仏語もアラ語も、両方形容詞が後ろから係るので。新札は4種類ある。5DT、10DT、20DT、30DTだ。しかし、この30DTにはあまりお目に掛からないし、使いたくもないので、通常は前者3つを使う。20DTだって使いたくないから、手持ちは2種類の札で抑えたいところ。日本のガイドブックを見ると、はじめから30DT札のことなど無視してあって、20DTまでしか書いてない。
ATMでお金を下ろすと、銀行によっては5DTと10DTで出してくれるけれども、ひどいところになると、20DTだけでなく30DTを混ぜてきたりする。通常の日用品を買うのには必要のないお札なので、崩すのが結構大変だ。市場へ行って20DT札しかなかったら、お釣りを探してうろうろする羽目になる。先ほど、新札といったが、旧札もまだ出回っている。新札は、5DTが英雄ハンニバル(紀元前3世紀)、10DTがイブン=ハルドゥーン(14世紀の旅行家・・だよね)、20DTがハイル=アッディーン=トゥーニシー(という私の知らない19世紀の人。馬に乗ってるから多分将軍)、30DTがアブー=アル・カーシム=アッシャービー(って、20世紀の人、建築家だと思われる)・・という人が描かれている。裏は大抵、大統領就任記念日の11月7日の文字を図案化した物。
旧札になると、新札より大きくて使いにくい上、絵柄は全てハビブ・ブルギバ前大統領!という、面白みも何もない札だ。何回か発行されていて、私は3種類くらい持っているけど、どれもブルギバが光っている。そのうち、ベン=アリ大統領がこんなことを始めたら、私は今のお札だけを使いたいと思う。ベンちゃん札よりハンニバルやイブン・ハルドゥーンの方がいいに決まってる。で、小銭は上から1DT、1/2DT(500m)、100m、50m、20m、10m、5m。mはミリームの略で、1DT=1000m。・・って書かなくても分かるか。何故か1mが存在しない。昔は1mも2mもちゃんと存在していたということは、子供のお遊び用の紙のお札セットに、それが含まれているから分かる(いいかげん新しくすればいいのに)。で、1mがないからと言っても、値札に「7,678」なんて表示がされている。この場合、10DT札で払えば、お釣りは2DTと320mが返ってくるだけだ。最後の数字が3mだったりすると、5mを払うか払わないかは、運次第。相手に5mのお釣りがあると返ってくるし、ないと払わなくていい。こっちが最初からきっちり払いたいときは、5mは無視しても構わない。・・・という、でたらめな計算が存在するのだった。
この5m、海外ではちょっと珍しいことにアルミ製だ。だからこれを見ていると1円玉の気分を味わえてお得である(ちょっと違う?)。でも、ほんとにアルミ製のコインって少ないんだよね。テュニジアでは、コインの大きさは額によって統一されているし、数字は厄介なアラブのインド数字じゃなくて、日本で言うところの算用数字=アラブ数字なので、旅行者には便利だ。
ヨルダンなんか、通貨単位も新旧入り交じっているし、大きさはてんでバラバラで細かすぎだし、色も違うし、数字はアラブのインド数字だけだし、使い勝手がかなり悪かった。シリアは通貨単位は同じだけど、同じ額のコインなのに微妙に大きさがずれていたり、やっぱりインド数字だけだし、旅行者は何をもって値段を知っているのやら、私には理解しがたかった。アラブのインド数字が読める人は関係ないけど。アラビア語を知っている人が旅行すると、テュニジアのお金の言い方にちょっとビックリするかもしれない。仏語ではいちいち「**ディナール、**(ミリーム)」という言い方をするが、アラビア語では全部単位をミリームで言うため「2千」とか「10千」とか言われるのだ。これならまだいいけど、「15百」なーんて言われると、混乱すると思う。「15百」はつまり「1500」なので「1ディナール500ミリーム」のことなのだ。
更にアラブにありがちなのが、細かいお金に別の名前が付いていること。エジプトに行ったときも、10イルシュ(ピアストル)だかにリヤールだか何だかいう名前が付いていたように思う。これは記憶があやふやなので、名前はいいかげんだけど。テュニジアの場合は、5mに「ドゥロ」という名前が付いている。5mに名前が付いていたって大したことじゃない。「あ、そこにドゥロが落ちてる」とか「ドゥロだって大事だよ(1円を笑う者は・・)」なんて言うくらいだ。けど、たまに飴玉を買うときに、値段をいちいち確かめたりするとこんなふうに聞くことになる。「カッデーシュ・ワフダ?(一個いくら)」「5ドゥロ」・・と。つまり5m×5=25mってことなんだけど。・・・分かる?日本みたいに分かりやすいお金の言い方をするところは、案外少ないのかも知れない。それとも、日本も「銭」を使っていた頃は、もっとややこしかったのかな??
***テュニジアのクリスマス?***
私はテュニジアにクリスマスなんてない!と思っていたのだが、あながちそうでもないらしい。
何故か。イスラム教の中では、イエスも預言者の一人と数えられていて、やっぱり敬うべき人物であることに違いないからだ。もちろん、ムハンマドが最大にして最後の預言者、なんだけれども。
というわけで、イエスの生まれた日も祝ってしかるべき、という考えがあるようだ。・・でも、私は単にお祭り好きなんじゃ・・という気もちょっと、する。大家に「じゃ、何をするの?」って訊いたら、特別なことはないようで、ただ、騒ぐんだ、というようなことを言っていた。そして、付け加えて曰く「今年はラマダーンだったから、何もなかったんだよ」と。
なるほど、ラマダーン中はラマダーンという行事で手一杯だものね。よく分かるお話でした^^
けど、金曜日に礼拝に行く大家が「うん、ワインも飲むよ」と言ったときは、ちょっと驚いたけど。ついでに、2000年を祝ったのかという話について。
西暦の新年も祝うものらしいのだけど(特に今年は2000年だし)、それもやっぱりラマダーンで祝わなかったのだとか。ラマダーンは何より優先されるらしい。
うーん、さすが(笑)
***犠牲祭***
犠牲祭も終わったので、宣告通り、この話をしよう。ちなみに、2000年度の犠牲祭は3/16で、毎年10日くらい前にずれる。だから、2001年の犠牲祭は3/6 くらいだろうか。
犠牲祭とは、旧約聖書の、アブラハムとその息子イサクの話に由来する。アブラハム(アラビア語ではイブラーヒーム)が、夢を見て、息子イサク(イーサーク)を神への気持ちの証として捧げものにしようとする。神は、その彼の気持ちを知り、羊を以てそれに替えさせた、というもの(どこかおかしかったら遠慮なく掲示板へ・・。かなり手を抜いて書いてます^^)。
この犠牲祭をするのは、ユダヤ教徒とイスラム教徒で、キリスト教徒はしないそうだ。さて、イスラム教徒が全体の九十何パーセントも占めるテュニジアでは、犠牲祭が近づくと、町のあちこちで羊が歩くのが見かけられる。もちろん、勝手に闊歩しているのではない。飼い主が連れているのだ。どこかの草場への散歩のときもあるが、大体は買ってからすぐのことが多い。
下町へ行くと、飼い葉が今年は1キロ300ミリームで売られていた。羊自体は下町の広場や、肉屋の前などで多数連れられて売られている。一頭、安いもので120DT(1万2千円ほど)くらいから500DTくらいまでと、結構幅がある。テュニジアの平均所得が月400DTということからすると、これは大変高額な出費だ。しかし、それでもアラブ人は羊を買う。これは、信仰心が厚いからという人もいるだろうが、多分に見栄ということもあると思う。そして、みんなが楽しみにしている最大の行事、ということもあるだろう。テュニジア人のお宅にお邪魔して、子供に「この毛皮はね、去年の犠牲祭で食べたやつだよ。これは一昨年の。とってもおいしかったんだーゥ」と言われた人もいる。犠牲祭が近づいて出回るのは、羊や飼い葉だけではない。犠牲祭に必要なものとしては・・・
焼き網、火鉢(バーベキューセットみたいなもので可)、火ばさみ、大きな包丁、大きな盥、切り株。
そして、忘れてはならない、頸動脈を切って羊を捌く人、である。
これは、家の中に誰か出来る人がいれば、その人がするが、誰もいない場合、肉屋を雇う。だから、この日、肉屋は大忙しなのだ。私が招待してもらった家では、2頭捌いてもらって20DT(と聞こえた)渡していた。他には、誰か近所にできる人がいて、その人に頼むか。技術を持っているお父さんは、毎年息子にそれを教えるべく、「よーく見てるんだぞ」と言い聞かせる。でも、覚えなかった息子が多いから、今できる人が少なくなってるんだろうけどね。さて、犠牲祭当日、この日は、どこもかしこも閉まる。公共交通機関もほとんど動かなくなる。みんなが自分の家の羊に夢中になるのだ。そして犠牲祭翌日も、まだ交通機関も店も完全には復活しない。2日間は完全オフなのだ。だから、この行事に参加しない人は食糧を忘れずに買い込まないといけないし、外へ出るときは歩きを覚悟しないといけない。タクシーもわずかしか走っていないし、大抵先客がいたりするからだ。お招きを受けたら、前日から泊まり込むのが確実と言えるだろう。
もし、観光客が犠牲祭の羊を見たいなと思ったら、どこかのアパートに潜り込むのが一番だ。朝8時から9時頃にアパートの屋上にでも行けば、たくさんの家族が羊に向かっている。カメラを向けて、アピールしてみよう。人なつこい子供にカメラを向けたりしていれば、きっと快く見せてくれ、当日でもお誘いを受けられるかもしれない。
肝心の羊は、どうやって捌かれるか。私が見た2カ所の様子を、継ぎはぎながらもご紹介しよう。
これは、一人では出来ない作業なので、男たちが集まり、羊の四肢を縛り付けて押さえる。そして切り株の上に頭を載せて、それを台にする。ナイフを持った人が、まず首の部分の毛を剃る。このとき見た羊は、既に諦めたかのように、うんともすんとも言わず、目は死んでいた。
「ビスミッラー」(神の名において)と唱えられ、ナイフがすいっと、羊の喉に吸い付けられるようにして動脈を切った。一瞬の間をおいて、しゅしゅしゅしゅーーっと、血が飛び出た。身体を押さえていた男が、血を絞り出すように羊を押さえた。それまで啼きもしなかった羊の喉から、ぎゅーっぎゅーっぎゅーっ・・という空気の音がした。必死に息をするから、苦しげな音が洩れる。そして吹き出す血の勢いも衰えてきた頃、最後に何回か、ばたばたっと足をバタつかせ、羊は動かなくなった。あっけなかった(▼写真)。
私は、子供と一緒になって、「まだかなまだかな」とその瞬間を待っていたのだが、首を切ったらこんなに簡単に死んでしまうんだ・・と、改めて認識して、少し怖くなった。
大量の血の上に、おばさんが塩を振りまき、水を流す。その間に、男たちは、羊の脚をくくりつけていた紐を外し、毛皮を剥きに掛かる。まず、足の近くに、切れ目を入れる。そこに棒を突っ込んで、何回か左右に動かし、皮を剥きやすいようにした(▼写真)。ところが、ここで秘密兵器の登場である。何かというと、、空気ポンプだ。
肉屋は、ホースの先をその皮の切り込みに入れ、一人が切り込みの口をふさいで押さえると、えいっえいっと、ポンプで空気を送り込みだした。子供が面白がって、パンパン!と腹を叩く。男も同じようにして腹を叩いてみて「まだだ」と言う。まんべんなく空気が行き渡るように、子供も足を持ってお手伝いする。皮の全体に空気が行き渡ると、しゅーっと空気を抜き、肉屋はポンプを置いてナイフに持ちかえる(▼写真)。
こうしておくと、皮がはぎやすくなり、出来上がりも大変きれいだった。空気ポンプを使わずに原始的にしたところは、皮を剥いた後、血肉が残るのを少しずつナイフで削がなければならなかった。初めてこの様子を見ることになる子供は、「しっかり見なさい」と言われる。羊の血が噴き出しても泣かなかった子が、皮が剥かれて羊が丸裸になるにつれて、涙目になってきた。「さっきまで生きていたのに」という気持ちが強くなってくるのだろうか、イヤイヤと首を振って、誰か人の陰に隠れてしまう。それでも「こっちへいらっしゃい」と、逃げることは許されないのだ。なぜなら、これはむやみやたらと生きている物を殺しているわけではなく、神への、そして自分たちへの犠牲にされるのであるからだ。自分が必要とするからこの羊が殺されるのだ、ということを、子供は知らねばならないからだ(ほんとかなぁ?)。自分が常に何かの犠牲の上に立っているということを、ちゃんと知らねば、感謝の気持ちも湧かないのだ(ほんとにそんなこと考えてるのかなぁ?)。
女の子も男の子も、毎年するこの作業には慣れてもらわないといけないし・・・って、そういう意味だったりして・・・?準備が出来ると、肉屋は、まず切り込みを入れた足の部分から身体の中央までに切り込みを入れる。そして、おへそに向かってスイスイっと切ってしまう。でべそはあっさり切り捨ててしまって、喉元まで切り込みを入れた。後は、男たちが素手でビィィィっと剥いでいく。とても簡単な作業だ。そう、鶏肉の脂身だけを取るときと同じ。手でチィィィっと簡単にむけてしまう。このとき、頭と前足は骨を切り落としてしまう。ごっつい包丁で、ダンッダンッダンッと切り株に打ちつけて切る。そして、皮が剥けてしまうと、男たちは、後ろ足にまた紐を結んで、羊を逆さ吊りにする。
女たちは、その間に、毛皮を広げて、そこへ塩をまく。丈夫にするために、塩を擦り込むのだそうだ(▼写真)
逆さ吊りにされた羊のお腹に、肉屋がナイフを入れる。すすっと、切り込みを入れると、中の内臓をごそっと取り出す(▼写真)。そこへ大きな盥を持ってきて、入れる。肉屋の役目はここまで。次の客が待っているのだ。そして、多分、胆嚢だと思うのだが、ちょっと緑掛かった小さい袋を取り出すと、これは誰かにプレゼントしてしまう。もらった人は、ありがとうと礼を言って、どこかへ吊してきてしまった。これの意味は、生憎と分からなかった(▼写真:これの意味も判明)。あとは家人がお肉を切り分けていく(▼写真)さて、出てきた内臓は、女たちが処理することになる。余裕がある男たちなら、羊の後ろ足を切って解体してくれるだろうが、それまで女に任せるところもある。
とにかく、女がするのは、内臓をキレイにすること。すなわち、糞を処理すること。さっきまで生きていたし、さっきまで食べていたし、死ぬ寸前くらいまで糞をしていたので、腸や胃には色々詰まっているのだ。
だから、腸をぎゅーっと絞って、中身をぽいぽい出し、水で洗い流していく。腸の中にも水を入れる。胃の中も洗う。それを全部キレイにするのに、一番時間が掛かるのではないだろうか。子供の初めてのお手伝いは、ここでも出てくる。女の子は「じゃ、これをお願いね」と言われて、糞を見てイヤイヤながらも手伝うのだ。そして、別の人は、これらの間に、頭と足に火を通している。羊の角を包丁で叩ききって、頭を焼き、足を焼く。それから、それらの焦げ目を十分に洗い落とすと、一連の作業は終わる。
これから、女が料理に掛かる。普通は内臓から食べるらしいのだが、私がお邪魔したところでは、内臓は肝臓くらいだったかな。とりあえず、最初に焼き肉をいただき、それからクレーヤ、それにひよこ豆と羊肉の煮込み(名前不明)をもらった。
お昼が終わっても、女たちは作業を止めない。時間のある限り、この羊の下ごしらえに時間をとられるのだ。日が経ってしまうといけないからだろう。だから、腐りやすそうな内臓を先に食べるのだろうね。ここで、犠牲祭の羊料理リスト。
オスバーン(腸の詰め物)、クスクス(オスバーンのクスクスの場合もある)、タジン(テュニジア風卵焼き)、脳、カンムニーヤ、マルガ(赤いソースで煮込む)、ケブダ(レバー焼き)、メシュウィー(焼き肉)・・・
私はあまり知らないので、今はこれくらいしか出てこないのだけど、肺とか胃も、無駄にしないで食べるので、他にも料理があるはず。一体どんな味がするのか、機会があれば逃さずに食べてみて下さい。
最後に。
犠牲祭は宗教行事なので、この間にメッカへ行くという人もいる。実際、私のクラスメイトはテストが終わった次の日に、もうサウジへ行ってしまった。犠牲祭当日、テレビに映ったメッカのカアバ神殿の周りは、いつもながらの凄い人出が、ぐるぐると回っていた。
そして、犠牲祭当日のテレビで、我らがベン・アリ大統領は、集団(政治家なのかな)でモスクに出向いて礼拝をしていた。全く、こういうときくらいしか、ベンちゃんの礼拝姿なんて見られないね。
***水たばこ・シーシャ***
アラブ世界には「水たばこ」というものがある。「それ、飲むの?」っておっしゃる方、違うんだよ。これは、アラブで「シーシャ」といい、ちゃんとそれ専用の器具があるのだ。
中に水の入ったガラスの花瓶を、想像したらいいだろうか。その花瓶、腰の辺りがくびれていて、頭には帽子をかぶっている。花瓶の中には勿論水が入っていて、帽子の下から水のあるところまで管が通っている。更に腰の辺りからホースが伸びているので、それを口にくわえるのだ。
まず、帽子の上に、煙草の葉と程良く火を通した炭を乗せる。ホースを口にくわえて勢いよく吸うと、帽子の上の煙が花瓶の中の管を通って、その水をブクブク泡立たせ、上がってきた煙を吸い込むのだ。私は煙草を吸わないので、何がどうと言えないのだが、「軽く吸う」ということはできない。ほんの少し吸い込んだくらいでは、水はブクブク音を立ててくれない。それに、初心者があんまり勢いよく吸ってしまうと、煙たくて仕方がないだろう。
だから、レポートするぞ!という気合いで試してみたとき、加減が分からなくてドキドキした。あんまり吸い込みすぎてケホケホとむせってしまった。味? そんなもの分かるわけがない!
私たちが試したのは(日本人集団で挑戦した)ノーマルなものだったが、煙草の葉は、りんご風味とかいちご風味とか、匂いが「あまあま」で、食べてしまいたくなるようなものも売っているのだ。
こういうシーシャの器具は、一つ2000円も出せば買えるものだが、大抵の人はカフェに入って頼む。だが、「シーシャの置いてあるカフェは高い」というのが常識なので、シーシャ自体もあまり安くない。私たちが試したのは、海辺の街シディ・ブ・サイードの有名なカフェ・デ・ナットだが、300円ほどだった。
え? 高くないって? だって、普通のカフェでカフェ・オ・レを頼むと30円くらいで、高いカフェで100円くらい。それを考えたらやっぱり「高い」でしょ?そういうカフェに一歩足を踏み入れると、このシーシャの独特の匂いがする。普通の煙草の煙など気にならないほど、店全体を、この煙の色が埋め尽くしているのだ。
男たちは話をしながら交替々々にふかしている。昔から、「カフェ」というのは交流の場。娯楽施設がない地域では、「話す」ことが人々の息抜きであり娯楽だった。こうやって外でシーシャをふかすのは男の特権。女がそのようにするのは極めて稀だ。女がシーシャを吸うとき、それは家の中だ。女が煙草を吸うことをよしとしないのは老年層に多いようだが、欧米化の進む都市では当たり前のように見受けられる。だが、それは”一般の煙草”でのことなのだ。
このシーシャ、ニコチンが水に溶けだしてしまうということで、ニコチン量が少ないらしい。たばこをやめられない人は、とりあえずシーシャに移行してみるというのはいかがだろうか。日本だとシーシャのあるカフェなどないのだから、はまれば自然に煙草の量も減るかもしれない、と思うのだけど……。