暮らしのエッセイ
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***羊の話***
テュニジアに来た東洋人が誰しも耳にする言葉。それが「アルーシュ」だ。この「アルーシュ」、レストランに行けば大抵アラビア語のメニューに入っている。フランス語なら「agneau」、英語なら「ramb」に当たる。つまりは羊のことだ。
何故、町のあちこちで「羊」なんて言葉を聞くのか。テュニジアってところはそんなに羊ばっかり食べているのか、そんなふうに思う人もいるかもしれない。確かに羊は犠牲祭のときのおいしい御馳走だし、どこにでもあってみんながよく食べるものだが、殊これに関してはそういう意味じゃない。もしそうだとしたら、「アルーシュ!」と自分に向かって叫ばれることも、「アルーシュ」のあとに下卑た笑いが続くこともないだろう。
彼らは明らかに我々に向かって言うのだ。明らかに我々を嘲笑して言うのだ。他に我々が町中で言われるものとしては「ジャッキー・ション(仏語読み)」「ブルース・リー」「ジャポネ」「シノワ」などがある。「ちんちょんしゃん」という、中国語を真似したらしい変な言葉で馬鹿にされることもある。「あちょー!」という掛け声と共に、カンフーっぽい構えを取られることもある。「スピーク・イングリッシュ?」とか言われることもあるし、「ウェルカム トゥ チュニジア」と言われることもある。たまに子供に石をぶつけられることもある。
こういうのは程度によって様々だ。町中にいればどこでも言われるから、はっきり言ってうっとうしい。彼らが珍しがっているのも分かるし、だから自分に気を引こうとして言っているのだとも思う。無視すれば彼らは怒るし、キッと睨み返してやると「言ったのは俺じゃないこいつだ」と仲間を売りつけるくせに、背中を向けるとはしゃいでまた言う。でもだからって、羊呼ばわりされて、「けけけ」と笑われるのはムカツク。ご丁寧に「アルーシャ」って女性形で呼ばわる奴もいるし、「ア、ルーーーシュ!」とか強調する奴もいる。
それでこっちが怒ったり相手に掴みかかったりすると、決まって周りが仲裁に入る。「まあまあ」「こいつは馬鹿だからさ」と身振りで示す。そのジェスチャーは日本のとあまり変わらない。「もう言うなよ」と釘を差しておいたって、こっちが一度怒ると、「また反応してくれる」と思って奴らは繰り返す。
仲のいいテュニジア人に「アルーシュってどういう意味よ。なんであんなふうに言うの」と訊いても、学校の先生に訊いても、「犠牲祭の時にも食べるでしょ、あれは羊のことだから好い意味なのよ」と言われる。あんまりうるさいから警察に訴えたとき(人を馬鹿にするのはいけないことだから訴えてもいいらしい)も、警察は「あれは可愛い子に向かって言う言葉だよ。妹とかにね」と言った。でもそれは「アルーサ(花嫁さん)」であって「アルーシャ」ではない。それに訴えた私たちにそう誤魔化しておきながら、警察は犯人を捜し出してきて「こいつか」と訊いたし、若い連中に向かって「言うなよ」とお説教をしたのだ。警察だってそれが侮蔑語だっていうのを知ってる訳だ。テュニジアは警察の権力が強いから、みんな警察は怖がる。「警察に言うぞ」と言ったら「あ、いや」と後込みする。
前に私たちの友達の日本人が、よく彼がしていたように言った相手を殴ったら、相手があっさり口を切って血を流し、警察を呼ばれたことがあった。それはテュニスではありがちだったかもしれないが、あいにくとある程度の住宅の建ち並ぶところで、彼はあっさり警察に連行されてしまった。言った相手は「何もしてないのに殴られた」と主張し、彼は「奴がこう言ったんだ」と主張。結局、喧嘩両成敗で「もうしません」とお互い署名させられたらしい。なんで東洋人に「羊」なのか。それには色々説があって、昔建築ラッシュのときに派遣されてきた中国人が集団でうろちょろしたのが羊のようだったからだとか、昔イスラムに縛られたテュニジア人の男が性欲のはけ口にしたのが羊で、東洋人もそのように思われているからだとか。確かに男一人であるいていると、アルーシュと言われることは少ないというけど。
まあとにかく、はじめの頃は「アルーシュ」にやたらと構ったけれど、最近は無視することにしている。聞かなかったことにしないと、こっちの機嫌が悪くなるだけだから。
***アラブで薬にチャレンジ***
リクエストがあったので、アラブの薬の話をしようと思う。
それは私が2度目のエジプトに行ったときのことだった。何でもいいが、私は旅行前に大抵風邪を引く。どうも緊張するらしい。で、しっかり帰る頃には治っているというやつだ。ところが、このエジプトの時はそうじゃなかったのだ。
なーんか変だなーと思いつつ、私はルクソールに来ていた。例の新婚さんたちがテロにあって、日本でもになった場所だ。もともとそれだけでなく、エジプトの遺跡巡りのメインの一つである都市だから有名なのだが、日本ではテロの話の方が有名なのだ。私はあのせいで、大好きなルクソールを気軽に訪れることができなくなって哀しかったのだけど、まあそれはさておき。
その日はだるかったので、メインのネフェルタリの墓だけを見ようと思っていた。ネフェルタリの墓は、長く修復のため非公開だったのだが、近年公開されたばかりで、一日に訪れる観光客の数も制限されているばかりか、その入場料も半端じゃなく高い。ネフェルタリの墓一つだけで100ギネー(エジプトポンド)取られる。これは大体3000円くらいだが、ツタンカーメンの墓で40ギネー、事件のあったハトシェプスト葬祭殿で12ギネーだから、相当な物だ。
前日は自転車を借りてナイルの西岸に渡り、きこきこと自転車をこいで観光したのだが、この日はそんな気力はなかった。ので西岸に渡ると、タクシーと交渉して王妃の墓に向かってもらった。途中は省略するが、ラマダーン中だというのに「ごめん、しんどいんだ」と言って現地人の前で水を飲んだりしたけど、どうにもだるくて、王妃の墓を出てタクシーに向かう間、私はふらふらしていた。なのに、たくましきかな、現地の土産物屋が寄ってきては「1ドル」だのなんだの言う。もうやってられなくて、アラビア語で「やめてよ、私頭が痛くてしんどいんだってば!」と懇願したら、彼らは本気になって心配しだし(こういうところ、根は親切なんだけど)、薬を持ってきてくれたりして、とにかく休めと店の中に放り込まれた。彼らが頭に巻いていた布で私の頭が縛られ、「締め付けておいたほうがラクだ」みたいなことを言われた。「医者に行くか」というので、もうどうでもなれと思い、医者に連れてってもらった。その頭の中には半分、タクシー代が浮くといいなあ・・などという考えがあったことは言うまでもない。
とはいっても田舎である。私はちょっと怖くなった。最初連れて行かれたのはこれがクリニック?と思うほどのひしゃげた民家で、一応医院らしきポスターなりは張ってあったが、肝心の医者はいなかった。私はホッとし、また次の医者へ連れて行かれた。
次の医者は、さっきとは違ってやたらと広く、近代的と思える設備があった。体温を測るのに、耳でピッて計るのを使ったんだよ。あれは日本でもまだ新しかった筈だ(そのとき私は電機屋でバイトしていた)。脈とか見たあとに、とにかく医者の言うことは、著しい気温の変化が原因でしょう、ということだった。処方箋を書いてもらい、診察料として50ギネー払った。テュニジアで20DTくらい(2000円ほど)かかると言われてた診察だから、あまりボられてるとかは思わなかった。
そのあとその処方箋を持って隣の薬局へ行った。鼻水を止めるためのスプレーと熱冷ましと、咳止めその他をもらった。これで30から40ギネーかかったと思う。
ちなみに、タクシーの運転手にはそのあと、送ってくれた人の家で一休みしているところを発見されてしまい(アラブの人脈ってすごいのだ)、お金は全く浮かなかった。まあ、私が病人と言うことで、運転手も怒らなかったけど。で、結局、その薬が効いたかというと、これが分からない。アラブ人の処方だからと少し減らしたりもしたから、効いたのか効いてないのかさっぱりだ。けど、鼻風邪の多い私にとって、鼻水用のスプレーはありがたかった。
まあエジプトでもらった薬に関して言えば、大したことはなかった。別に悪くならなかったからだ。ちょっとドキドキのお医者体験があっただけだ。
問題は、テュニジアなのだ。
テュニジアに帰ってきてからしばらくして。風邪がぶり返してきたらしいことが判明した。ってことはやっぱり薬は効いてなかったのかな。ともかく、あんまり喉の痛みが酷かったので、隣のうちへ行くことにした。隣の長女が医者だから、タダで診てもらえるのだ。んで、喉のための薬を教えてもらい、私は翌日それを買いに行った。
それまで私は、愛用の「のどぬーるスプレー」を使っていた。でもそれでもどうにもならなかったから、この薬を使ったのだ。薬局では、隣の長女に言われたのと同じ処方を繰り返し聞かされた。私はそれを間違わなかった。
それまで、その風邪は喉だけだった。なのに、薬を始めてすぐに、鼻水がそれこそ大量に出るようになった。どう考えても薬の副作用だ。
アラブとかの薬は日本のと違って、何にでも効く漢方みたいなものはないと聞いていた。だから、症状ごとに薬を買わないとダメなのだ、と。
でもこれじゃあんまりだ。一つの薬のせいでもう一つ症状が出たりしていたら、いつまで経っても治りゃしないじゃないか!私の鼻のせいで、授業中皆さんに多大な迷惑を掛けたけれど、これ以上新しい薬に挑戦する気にならず、私は結局喉の痛みが引くまでその薬を飲み続けた。薬のせいで鼻水が出てきたのなら、薬を止めればとまるだろうと、安易にそう思ったのだった。
でもねぇ、その副作用、半端じゃなかったのよ、マジで。寝られないくらいに凄かったんだもの。ティッシュの消費も半端じゃなかったわ。
もちろんのことながら、喉の痛みが引いて薬を止めたとき、しばらくは鼻だって収まってくれなかったけども、しばらくすれば平気になった。どっちにしろ、私は副作用が怖いからもう飲まない。どんだけ何があっても、もう飲まない。
大体よく考えたら、テュニジアに来た当初にお腹壊したとき、隣の長女がくれた薬は効かなかったし、私の肌荒れが酷かったときに勧められた薬も効かなかった(アトピーだからこれは仕方ないと思うけど)。
そもそも、アラブという全然気候の違う国の人たちが使う薬が、そうそう私たちに合う筈がないのだ。
というわけで、私は違う国の薬はお薦めしない。日本人は日本の薬の方がいいよ。人によっては合う人もいるんだろうけど。
***親切っていいな***
テュニジア人に限らず、アラブ人っていうのは結構人がいいと私は思う。ほんとに誰かが困っていたら、一生懸命助けてくれる。まあ、その一生懸命の方向が違っていたり、助けてくれたはいいけれど間違ったことを教えられたり、ときどきミスはあるけれども。
バスやメトロに乗ってると、それがすぐ分かる。足を引きずった人とか、年寄りとまでいかなくてもそこそこのおばさんとか、そういう人が乗ってきたら、誰かが必ず席を譲る。もしくは「どけろ」と言う。寝たふりするような人は一人もいない。親切って言うよりは、それが当たり前っていう感じだ。もちろん私だって、率先して席を譲る。そしたらちゃんとお礼を言ってくれる。そのお礼の言葉もまたいろいろで楽しいんだけどね。
他にもこういう話がある。先日寝坊して走ってメトロまで行ったときのことだ。さすがにちょっと時間が違うともう人がいっぱいで、私も無理矢理に身体を詰め込んで乗ったのだった。乗れたはいいけど、おかげで背負った鞄を扉に挟まれてしまった。
すると、向こうの方から高校生くらいの男の子が、私に向かって何か言った。はっきり言って何て言ったのかは聞こえなかった。けど言いたいことは分かる。「大丈夫か」って云ったんだ。首を竦めてみせると、仕草を付けて「動くか」って云う。私は鞄を引っ張ってみた。ダメだ、動かない。「ダメだよ」と答える。そうしたら、そのやりとりを見ていた目の前のおじさんが、もうすぐに駅に着くからといって、扉が開いたときに落ちないように、私の腕を引っ張ってくれた。
これらはほとんど口を利かない動作だ。向こうは方言を喋ってるし、私もそうだけど、私はほんとの片言しか言わないし、大体聞こえてるか怪しい。でも、言語がなくたって困ってるときに言葉はひとつだ。「たすけて」っていう、それしかない。全然言葉が通じなくても助けてもらえる。これってすごく幸せなことだ。上記の薬の話でも、ふらついてる私に対してエジプト人は、椅子を勧めてくれたり水を持ってきたり自分の薬をくれたり、自分の子供が病気したみたいに、みんな大慌てで構ってくれた。私を医者に連れていくのに、わざわざお兄さんのバイクを借りて、途中でそれが停まってしまったときは、友達とやらが別のを貸してくれた。さっきまで「これ買わないか」「1ドルだ」とやたらお金にうるさかったのに、病気と分かった途端、態度がころりと変わって親身になってくれる。
大体からして、子供や病人とかの弱者には徹底してる。身体障害者なんかも、身内がみんなでカバーする。足のない人、口の利けない人、いろいろいるけど、大家族が一丸となって守り補助をするから大して困らない。車椅子使用者に親切といえないでこぼこ道路でも、補助者が非常に苦労して人を運んでいく。もちろん、身内が側にいなくても、代わりになる手はどこからでも差し伸べられる。
アラブであなたが本当に困ったら、身振りや視線でいいから訴えてみるといい。必死に言えば、それが何語であっても彼らは一応理解して助けてくれる。一夜の宿だって貸してくれるだろう。そんな出会いがあったら、心がほんわかあったかくなって、自分もとても優しい気持ちになれる。やっぱり親切っていいなって、そういうとき、思うのだ。
***テュニスのバス***
ということで、バスの話をしよう。
テュニスのバスは色分けできて、黄色・緑・白とある。そのうち旅行者が使うのは、空港と都心を結ぶ黄色の35番の空港行き(35番でも空港へ行かないのがある)と、白の空港行きだろう。けど、それ以外のテュニスの住人が使うとすれば、緑か黄色だ。緑のバスは、座席数しか人を乗せないため、いつでも座れるし込まない。だからその分黄色のバスより高めだ。黄色のバスと全く同じ路線を走っているわけでもなく、大体からして路線は少ない。つまり、高級住宅街にしか行かないのだ。そりゃそうだろう。普通の住宅地へ緑のバスが向かっても、たぶんみんな安さをとって黄色のバスに乗る。どれだけ込んでいようと、だ。
かく言う私も、けちって黄色のバスに乗る。うちの家は運良く緑も黄色も近くを走っているし、緑の方が本数も多いだろうが、私は黄色が来なければメトロ(市電)を使う。学校まで緑で680ミリーム、黄色で390ミリーム(メトロでも同じ)。たかだか30円くらいの違いだ。でも、この差額290ミリームで、クロワッサン一個orカフェオレ一杯orキャンディ11個、そういうものが買えるのだ。つまり、往復黄色に乗るだけで、朝食代が出てしまうのだ。だから、私は緑には乗らない。よっぽど疲れてたり、バスがそれしか来ないときは別だけど。
バスのダイヤ表は存在しない。よく乗る時間帯は、自分で確かめる必要がある。最終が何時なのかも分からない。だからバス停に行ったら、まずそこで待ってる人に「何番のバスはもう行ったか」と訊くのだ。バス待ちをしていない人だと「そのうち来るよ。30分待ってみたら」とか言う。けど、最高1時間とか1時間半待たなきゃ来ないときだってあるから困りものだ。
だから、自分の目的地の近くへ一体何番のバスが走ってるか、ちゃんとチェックしておかないといけない。目的地からちょっと歩いたところにあるバス停に、別の番号のバスが行くこともあるから、そういうのも知っておくとかなり便利だ。
私の場合、家の最寄りのバス停から学校までは、黄色の5t と緑のバスがあるが、メトロ近くまで10分ほど歩いていけば、63とか80とか、やたらと本数が増えるのだ。そこまで行けば、メトロにだって乗れるし。バスの乗り方は、緑の場合前から乗って、座席に座ってからお金を払う。料金はどこで降りても一律だ。降りるときは後ろからだけど、前から降りた方が分かりやすいから、運転手の横に立って「次降りるぞ」と意志表示をする。
黄色の場合、後ろから乗る。すると、カウンターが用意してあって、そこに切符売りのおっちゃんが座ってるので、そこでお金を払う。チケットは距離によって色分けされていて、黄色・緑・青の順で高くなる。降りるときは前からで、これも意志表示をしないとダメだ。「降ります」のボタンや紐は存在しないので、気づいてくれなかったら「サマハニ(すみません)!」と言えばいい。
だけど、黄色の場合、あまりに込んでて後ろから乗れないときがある。そういうときは前から乗せてくれる。で、そういうときは大概、お金を払いに後ろまで行くことなんて到底できないので、タダで乗車できたりする。でも、ときどきどこからか切符をチェックする係員が乗ってきて、一人一人チェックすることがある。もちろんあんまり込んでるときはそういう人は乗れないから関係ないけど、たまにチェックされて切符を買いにこそこそと後ろに行くテュニジア人もいるんだよねー。
お金のことだけど、テュニジアはアバウトだから、お釣りがなければ返してくれない。反対に、小銭がちょっと足りなくて後は札しか持ってないときなど、「持ってないのか、じゃあそれでいいよ」って、まけてくれたりする。せっかくバス停まで行ったのにドアが目の前で閉まったとしても、気にすることはない。その扉をどんどん叩けばいいのだ。運転手が気づけば開けてくれる。
このようにして黄色のバスを乗りこなせるようになれば、一人前だ。私はまだ、定期券とか回数券は使ってないけど、それ以外はほぼマスターした。同じ路線の切符売りは3人くらいがローテーションしてるので、いいかげん顔を覚えられた。そのうちの一人は、顔をつきあわせる度にわざわざ私にアラビア語を喋らせて、周りに自慢する。私の顔見ただけで何色の切符買うかなんて分かってるのに、わざわざ訊くんだ。こっちは疲れてるんだってば。
***テュニスの飾り窓***
テュニスにもいわゆる飾り窓は存在する。しかも、公娼だっていうんだから驚きだ。ほんとかなぁ?
それはテュニスのメディナ(旧市街)にある一つの通りだ。夜になるとぶっちょいおばちゃん(おねーちゃん?)が、おいでおいでしてるんだそうな。
私の友人らが男女混同で夜に見物に行ったのだが、やっぱり「なんで女がこんなとこにいるだ?」という目で見られたとか。ただでさえ夜のメディナなんて暗くて物騒だから観光客なんて行かないんだから、そりゃあ珍しかろう。私は昼に、ぼーっとしてて踏み込んでしまったことがあるが、昼でも女の人は歩いてない。そんなとこで声を掛けられたら、他のどんな場所で声を掛けられるより不気味で気持ち悪い。「Speak English?」って言われた瞬間、逃げ出した。
女の人は昼でも特にご用心を。観光客は観光スーク以外立ち寄らないと思うけど、ご希望なら通り名を教えします。お問い合わせ下さい。男の人は出かけてみるのも一興かも?!
で、自分の娘や妹が男と付き合うってだけで、目くじらを立てて「殺してやる!」と言ってしまうようなアラブ人社会の中で、どういう人が娼婦になってるんだろう? 家族に見つかったらかなりヤバイと思うから、やっぱり田舎から出てきた人とかがやってるのかな・・・? 万が一父親とばったり出くわした日には、親父さん、火付けでもやるかもしれないなぁ・・・
***ラマダーンの話***
もうすぐラマダーンになるし、この話はしておかねばならないだろう。
大体、変な認識をしてる人が多いのだ。まるまる1ヶ月も飲まず食わずでいたら死んじゃうじゃないか。なのに、ほんとに何も食べないと思ってる人がいたりする。はたまた、健康にいいからというアラブ人の言を鵜呑みにしてる人がいたり。
そういう訳だから、イスラムを知らない人のために、ちょこっとだけラマダーンの話をすることにしよう。そもそもラマダーンとは何か。まず、日本語では断食月と訳される。イスラムで使われる太陰暦・ヒジュラ歴で、第9月に当たるのが、このラマダーンだ。この期間中、敬虔なイスラム教徒がコーランの教えに従って断食をする。コーランによると、妊娠中の者・病気の者・年若き者・旅の途にある者は断食をしなくてよいが、その代わりに別の機会に断食をしなくてはならない(子供は別だろう)。
イスラムにおける断食とは、日の出ている間、飲食をしないということ。だから人々は日の出前に食事をし、日が沈めばまた食べる。コーランの書かれた時代においては、貧富の差も激しく、食べ物が手に入らない人もいた。だからその食べ物の大切さを理解し、共に苦しみを分かち合うため、断食が行われたのだという。実際、ラマダーン時の食事は貧乏人や旅行者にまで無料で御馳走が振る舞われる(ところもある)。適度な断食は健康にも良いとされるから、ラマダーンは健康だと主張する意見もある。
しかし、それは飽くまで昔の話だ。
現在のラマダーンは、単なるお祭りだ。子供たちはラマダーンが来るのを本当に楽しみにして、指折り数えて待っている。日本のお正月みたいなものだ。ラマダーンになると新しい服を買ってもらえるし、昼間ご飯を我慢すれば、夜には御馳走が待っている。普段は夜の外出禁止を言い渡されている女子も、ラマダーンの時ばかりは許されて夜の町へと繰り出すことができる。テレビ番組だって、ラマダーン特別番組が編成され、笑いが絶えない。
ラマダーンの御馳走というのも、ただごとじゃない。もちろん家による格差はあるが、とにかく食べる。日の入り(マグリブ)と同時に食べ始め、デザートまでを一気に食べる。そして、しばらくするとまた食べる。ひどいところでは夜通し食べているとか。
夜に起きているものだから昼間は寝る。仕事だって学校だって、ラマダーン時間というのがあって、普段より早く終わるから寝る時間はある。昼間に公園なんかを覗くと、みんなして伸びているのだ。
こんな具合だから、人はこの間に太る。これのどこが健康的だというのだろう? そう、健康的だったのは飽くまで昔の話なのだ。ところで、ラマダーンが始まるのは、太陰暦なので、日が沈み終わったときに三日月が見えるか否かで決まる。ラマダーンの終わりもそう。三日月が見えたら明日からラマダーン、三日月が見えなかったら明後日から。三日月が見えたら今日終わり、見えなかったら明日で終わり。というわけで、ちゃんと三日月を見る日(ルウヤ)というのがある。地方によっては、その日だけですごいお祭り騒ぎになったりする。何にせよ、その日にならないと分からない。時間にうるさい日本人にとっては困りものなのだ。
機会があれば、また別の話をすることにして、今回はこれまで.
***フランス追い出し計画?***
これは人に聞いた話だから確実なことは言えない。けど、興味深い話なので、書くことにする。
以前ここのサイトで「フランスの放送が消えた」と書いたと思うが、それは、テュニスの選挙が終わった後に、そのフランスの放送で批判が行われたかららしい。「インチキだ」と言われて情報を規制したら、その事実を認めることになると、どうして分からないのだろう。しかも、フランスの放送が入らなくなったからと、衛星放送を受信する人が増えたらしい。・・・意味ないやん。
その選挙、現ベン・アリ大統領の支持率が九十何パーセントで、かなり高い確率だった・・と発表されたのだが、そもそも投票率が悪い。日本のように選挙案内の葉書が一人一人に配られるわけではなく、投票したい人は予め申請して手続きしなければならない。彼を支持すると言った施設・機関などには賄賂的な物資・支援が送られ、選挙前は学校の授業はなかなか始まらず、教師が教壇で余計な口を開かないよう規制していた感がある。選挙前、電話で「選挙」なんて言葉(日本語は無事だけど)が出ようものなら、即回線が途切れていたそうだ。盗聴がされていたということだろう。
また、おとり調査のようなものもあったらしく、乗り合いタクシー(ルアージュ)で一人が大統領の悪口を言い始め、それに呼応した人たちが検問時に告発を受けたとか。悪口なんて言えないのだ。
こういう話を聞くと、やっぱアラブなんだなぁ、と思う。秘密警察っぽいのがテュニジアにもいたんだなーと、新鮮な驚きを感じる。今フランスで、大統領一家を批判した本が出版されたとか。それに伴ってかどうか、テュニジア国内の看板が変わりつつある。アラビア語併記のないフランス語のみの看板が、アラビア語のみの看板に書き換えられているらしい。そのうちアラビア語だらけになってしまったら、観光国テュニジアのお先は真っ暗だと思う。先のことを全く考えない処置だ。
物価が上がってきていることもあって、大統領への不満は上昇しているらしいが、不満は下火がくすぶっているだけのようだ。
***テュニジアの一般家庭***
朝霧さんからリクエストがあったので、私の知っている範囲で家庭について話そうと思う。
一般の中流家庭なら、まだどこでも父親主流で、男が偉い。父親の言うことは絶対で、これに逆らってはならない。たとえ一番上の長女でも、年下の弟のすることに従う。男と女が喧嘩した場合、どちらが正しくても、父親は女を罰する。
家庭の中において、男は常に甘やかされて育つため、できあがるのはふにゃふにゃしたマザコンが多い(そうでない場合は、よほど母親がしっかりしていたのだろう)。たとえ20を過ぎても、「ウンミー(お母さん)」と言って甘える。父親と息子が喧嘩して、父親が「お前なんか出てけ!」と言ってたとしても、母親が「私の子だから追い出さないで、お願い」と言って息子を庇ったりするため、息子が鍛えられることはない。お金に困ったら、母親か父親からの援助がある。なんでこんなに甘やかされるかな。
反対に、娘の方がよほどしっかりする。ある程度の教育を受けて、自らの家庭に疑問を持つような娘なら、父親に反抗し、兄弟に反抗する。でも、普通その反抗が実ることはないので、娘はかなりしっかりした考えを持つようになり、そのまま母親になる。反抗心を持たなかった娘は、自分を抑えて生きることを覚えていく。・・・・だもんで、教育の立場にいる女性はたいてい前者のパターンで、未婚の人が多いように思う。生意気な女は好かれないってことかな。父親は家事なんて手伝わないし、息子も然り。母親が料理をしているとき、父はカフェでお茶やシーシャ(水たばこ)・・・なんてことが多いのだ。
***年頃の女の子***
ラマダーンのところでも少し触れたが、女には外出禁止というものがある。学校が終わったらすぐ帰ってこないといけない。用があるときは、前もって父親の許可を取っておかないといけない。だから、男と付き合うなど言語道断。そういうときは友達同士で口裏あわせて密会するらしい。それも、ご近所では絶対に駄目だ。みんなが知り合いだから、父親の耳に入ることは必須なのだ。
ご近所で、父と娘が出会っても、絶対に知り合いのふりをしない、名前を呼ばない。名前を呼んだ途端、その娘の素性が知れてしまうからだとか。友達同士じゃニックネームに始まって、本名も出てると思うけど、父たるもの、娘を守る義務があるのかも知れない。でも娘は学校などで男と知り合うし、寮の塀の外には、夜になると別れを惜しむ恋人がたくさんいるらしい。夏になると、女の子の中にはかなり大胆な服を着ていって、教室で上着を脱ぐと・・・・っていうのも多いそうで、強烈にアピールしているらしい。
知らぬは父ばかり・・・ってね。母親は、見て見ぬふり、知らぬふり・・・。自分も似たようなことをしていたのかも・・・。