日帰り旅行の記録 〜イシュケル編〜
2000年3月4日朝、8時に学校の前で待ち合わせ。8時半まで、当日参加者が現れるかどうかを待つ。・・・けど、来ない(^^;;
仕方ないから、そのまま車に乗り込んで出発!参加者は、Tくん、Sちゃんの二人。目的地はイシュケウル Ichkeul 国立自然公園と、海辺の街タバルカ。タバルカは、ルアージュ(長距離相乗りタクシー)やバスでも行けるが、イシュケウルは交通機関がないため、車を借りるしか方法がないのだ。
参考のため、値段などをここに記しておこう。
ハビブ・ブルギバ通りにあるグラン・タクシー乗り場(カフェ・ド・パリの前)にて値段を訊いたところ、タバルカまでは遠いから200DTだと言われた。どんなに言ってもまけてくれず、他に空車がなかったので、グランタクシーを諦めた。但し、私は去年、ドゥッガとブラレジアをグランタクシーで回ったが、そのときは120DTだった。しかし、これも先の運転手に言わせると、去年の話、だそうだが、真実の程は分からない。
街の旅行会社で、ツアーはないのかと聞いてみたが、あまり用意していないようだった。代わりに、車(四駆)の値段が200DTだと言われた。
結局、友達の知り合いで、日本語の出来るハムディを頼っていき、140DTで車(四駆)を借りることにした。ハムディが言うには、普通の客には150までしかまけていないとのこと。
注意しておきたいのは、グランタクシーは4人までしか乗れないが、四駆なら7人まで乗れること。そして、旅行会社で頼む場合は、当日の運転手へのチップ(1日10DT程度)は別払いだということ。さて、車は空港方面へどんどん走っていき、アリアナを越えて、山の方へ向かっていく。
市松模様に広がる緑の絨毯、そこに混じる黄色い花の絨毯。ときどき姿を見せる桜の木は、もう満開を過ぎて深緑が混じっている。春の風だ、心地よい春の風。車の窓を全開にして、陽光をカーテンで遮りながら行く。パタパタと風になびく音も、耳に心地よい。イシュケウルが近づくと、運転手は車を停め、道行く人に道を尋ねる。
「おい、イシュケル(テュニジア方言ではこう言う)はどっちだ?」
「ああ、そこを曲がっていけばいいよ」
「ずーっとまっすぐか」
「ずっとまっすぐ行ったら、テュニスへ行ってしまうよ。途中で右に曲がるんだよ」
道を運転手が知らないと言うのはよくある話だし、それを人に尋ねるというのもよくある話だが、旅行会社から派遣されてて、それは嫌だなあと少し思う。まあ、気にするほどのことではないけど。イシュケルには1時間半ほどで着いた。湖が見えてくると、その上にだけ、低くピンク色の雲が懸かっていた。何だろう、あれは。・・・結局分からずじまいだった。
国立公園の入り口には、小さな箱のような受付があって、そこで契約をしなくてはいけない。つまり、ここが世界遺産に指定されている自然公園だからだろうが、禁止事項が書いてあってそれに違反するとおそらく罰金などの処置を受けるのだろう。余裕のあるときに、この契約書を訳してみようか。簡単に言うと、禁止されているのは、野生動植物の持ち出し、彼らを傷つけること、売買、ポイ捨て、住居区域外への火の持ち込み・・などだ。
とにかく、そこで代表者がサインをし、グループの人数と国籍を書き、印紙代1DTを払って、はんこを押してもらうと、その契約書は完成だ。そこから博物館のあるところまではまっすぐ一直線、道は一本だ。右手は山、家々が並び、左手は湿地帯、家畜の動物たちが群れている。少し広くなった場所が駐車場になっていて、そこに車を停めると、階段を上って博物館へ向かう。
博物館入場には別にお金は掛からず、ぼーっと中を見てから出る。かなり多種の動植物がいるらしいことが分かったが、それ以外はさっぱり謎だ。一体この公園はどこからどうやって見ればいいのだろう。地図で見た限りではやたらと広いのだが、全部車で行けるのだろうか?
外へ出て、見晴らし台から下を眺める。久々の緑が気持ちいい。山水は、やはり日本人の心を動かしてくれる。草花にも名前の書いた看板が付けられていて、それを読む。Tくんは蟻をじーっと見ている。Sちゃんと私も参加する。
石で出来た机と椅子を見つけた。そこに腰を掛けていると、いつまでも時間を忘れていそうになる。背景はイシュケル湖。山々が水に姿を映して揺れている。のんびりと話をしながら、ここに何をしに来たのだったかを忘れそうになる。
席を立って、次にどこへ行けばいいのか分からないまま、歩き出す。道しるべはアラビア語のものだけなので、観光客向けのものではないのだろうか。しかし、こう情報がなくては動けない。
適当に道を進みながら、地層に心奪われてみたり、石を探したり、化石がないかと見てみたり・・・。一体私たちは何をしてるんだ? 動物はどこへ行ったんだ、鳥は?! 鳥は、声はすれども姿は見えぬ、というやつで、春の景色の中にとけ込んでしまっている。それで、駐車場の向こうにも道が続いていたから、車でもう少し進んでみようということになった。階段をまた戻って運転手に、先へ進んでくれるよう頼む。・・・が、許可がなければ立入禁止、になっている。すぐそばにある小屋からも、人は出てきてくれない。人がいれば、頼み込むとか、同伴を頼むとかができるのに・・・。
運転手はさっさと諦めて、戻り始めた。ええっ、これで終わりなの?! 私たちはちょっと暗くなる。これだけのためにあんな大金払ったなんて、アリ?!公園の入り口近くに、ちょっと変わった形の建物があったので、私はそれを指さして「ねえ、あれ何?!」と訊いた。ところが運転手は何を聞き間違えたか、山手に車を進め、道なき山道にどこどこと乗り上げてしまった。そこにも牛や羊の家畜動物がいて、のんびりくつろいでいた。私たちはそこで車を降りた。
見れば、もう少し上ったところに、家があった。何にもないから一旦は帰ろうとしたのだけど、それじゃつまらないので、思い切ってこの先の家を訪ねてみることにした。行け! 何とかなるさ。
牛や羊の糞の臭い、そして紫や白に黄色の小さい花々。それらを踏まないようにして、えっちらおっちら、ようやく目的の家までたどり着いたが、何度呼びかけても出てきてくれない。でも、奥の方からラジオの音がする。
ちょっと躊躇ったが、Sちゃんがそろそろと家の囲いを抜けていくのについて、羊の皮を干してある下をくぐり、ラジオの聞こえる棟まで前進した。
「あ、アスラマー」
先を進んでいたSちゃんが人を見つけたらしく、そう言った。私も進んで、挨拶する。アスラマと言ったら、ボンジュールと返されたので、言い直す。お互い握手をして、「ごめんなさい、家を見せてもらいたいんだけど」と言ったら、後ろのおばあちゃんがちょっと不思議そうな顔をした。奥さんに案内されて、手前の棟に入る。この「家」は、3棟の土と石壁の家と、1棟の木の家Kら出来ていた。その時間、太陽が眩しいくらいに照っていて、一つ目の家に入ったとき、とても涼しく感じた。家の中は白壁で、ベッドが2つとタンスが並んでいるだけのシンプルな部屋だった。しかし、真ん中の支柱は、同じく白く塗りたくってあったが、紛れもなく、生きている木だった。床から生えていたのだ。天井を見ると、横木が同じように白く塗りたくられているのが分かった。
おばちゃんはこのように言った。「私たちは”風”なのよ。街の人とは違うの。だから、こうやって周りにある木と土と石で家を造るの。貧しいから、こんなのしか作れないのよ」。でも、おばちゃんの顔は得意げだった。自分は風の民なのよ、そういう誇りがあるみたいだった。おばちゃんは、嬉しそうに私たちにオレンジを一つずつくれた。木の家を見せてもらった。真ん中には石と木が置いてあり、そこで火を起こしたらしく、灰が固まっていた。周りには雑多な物が置いてあり、壁は外を通して見える簾のようなものだった。Tくんが「ここで料理するんですか」と訊いた。すると、おばちゃんは唸ってから、「水を沸かしたり、火鉢で暖をとったりするわ」と言った。唸ったのは、一応肯定だったのだろうか。
もう一つの寝室棟を見せてもらった。後ろから見たら、石がいっぱい積んであって、中がどうなっているのか想像が付かない。側面は土でしっかり塗り固められていて、おばあちゃんが「手で一つずつ塗ったのよ」と教えてくれた。屋根は、藁葺きのようで、藁でない何かの植物を使っていた。その屋根が飛んでいかないように、両端に大きな石をくくりつけた針金を何カ所かに張っていた。
外を見てしまうと、また中が見たくなるもので、もう一度見せてもらった。今度の部屋は、表に窓が付けてあった。窓といっても、細い針金の格子が埋め込んであるだけで、それも網か何か既製品を拾ってきて付けたようなものだった。部屋の中は先ほど同じ真っ白で、部屋の真ん中にはやっぱり白く塗りたくられた木が生えている。ベッドとタンスがあるだけ。もう一つの窓の通気口は、布でふさがれていた。Sちゃんが天井に裂け目を見つけた。そこは、すぐ屋根の上に張ってある植物で、下から練った土で固めてペンキを塗っただけなのだと分かった。おばあちゃんが笑って、「落ちてくるのよー」と言った。このベッドはあなたの?と訊いたら、おばあちゃんが「子供たちのだよ」と答えてくれた。こ、子供たちって、一体どこへ行ってるんだろう。学校はどこに?!そこを出るとき、おばあちゃんが「山に登るのか?」と上を見上げて言った。え?! ってことは、やっぱり、あのアラビア語の標識に従って奥へ歩いていけば良かった、っていうの? ・・・私たちはとりあえず満足して、ありがとうとお礼を言って出てきた。突然押し掛けたのに、説明してくれてありがとう・・。
そして車は進む。動物はどうなったんだ?なんて、言わないで。目的の物は見れなかったけど、満足してるんだから。
私は手の中のオレンジを転がす。貧しいからこんな家しか造れないのよ、と言っていたおばちゃんが、それでも私たちにくれたオレンジだ。アラブでは客は絶対に歓迎しなくちゃいけないから、嫌々施す人も多いし、それが嫌で居留守を使う人も多いとか言う。けど、おばちゃんが自慢げにくれたオレンジは、おばちゃんの嬉しい気持ちがこもってる、そんな気がした。
「私たちは”風”なのよ」、この表現が、むちゃくちゃ格好良かった。→→→タバルカ編へ続く
*Ichkeul : 仏語読みで「イシュクール」、テュニジア方言で「イシュケル」という。「イシュケウル」は日本語読みだ。